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号泣する準備はできていたか

まあ、5月2日なわけです。


今の職場にいる限り、5月2日は毎年休前日なので、毎年泥酔しても構わないようだ。
「〇〇ロス」という言葉があったけれども、2023年5月2日までは、特に気にも留めていなかった。人生においてそんなに喪失感を感じることがあるのだろうかと。
でもあの日以降、「ロス」の中でのたうち回ってきた。たとえば、THE SECONDを見て、二人がもうここに出ることはないのだという事実に。たとえば、大宮の寄席に行って、『空に星が綺麗』の幻が聞こえるたびに。たとえば、端末にクレジットカードを差し込んで番号を打つ時に、店員が顔をそむける仕草に。

そんなことも1年経って、ようやく少なくなってきた。

と思ったら
鉄道のまち大宮応援隊に大宮セブンが任命されたり、散歩の達人の冊子版限定付録に「大宮セブンおでかけカタログ」がついてきたり、大宮セブンの映画ができたり、「それゆけ!大宮セブン」のDVDが出たり、最近ますます大宮セブンが活気づいてきて、喜ばしいけど「ここにコマンダンテがいれば」と思ってしまってしんどい。

自分がやり残したことを何か後悔できるかといえば、ありすぎて逆に難しい。余りにも不意打ちだった。一つ今でもはっきりと後悔しているのは、大宮に置いてあった2023年単独ツアーのチラシを持って帰らなかったことだ。「今日はクリアファイル忘れたし」が何回か続いて、そして、それっきりだ。本当にもらっておけばよかった。

単独ツアーのビジュアル撮影日に、石井さんが前日飲み明かして現れたとのことだった。それを聞いて非常に違和感があったが、今思えば、色々圧し潰されそうな気持ちの逃げ方だったのかもしれない。

もしも有楽町の劇場がなくなる時点でコマンダンテがまだ活動していたら、と思う。自分も有楽町、そして一座と心中する狂騒曲の中にいただろうか。(といってもかなりギリギリ最期までお付き合いはしており、石井さん有楽町ラスト出番まで通い詰めてはいた。でも最終日のオールナイトには申し込まなかったし、百鬼夜行にも行っていない。配信は見たけど)

アーティストスポークンで石井さんが「結局自分はヒール(悪役)として振る舞うのはもう無理」と言っていたのは、いったいどのあたりの時点だったか。この発言は忘れられない。(という割に、昨日5/1も流れがあったとはいえ、タモンズ安部さんのことを普通に「デブ」呼ばわりする石井さんなのだが)
有楽町ラストデイでも「僕は一般社会に復帰したので、最近の界隈のことはわからないのですが」と言っていた。なんかまあ、そういうことなんだろう。ひろゆきマークツーさんがバックスに出たけれども、ブレンドさんが出ないのは。

アーティストスポークンで有楽町の合間の過ごし方の知恵を共有した方々は、今もお元気だろうか。あるいは桃ビールの情報共有をした方々は。
後半はライブの振り返りが多かったコマンダンテのアーティストスポークンだったが(きっとその方が反響もあったのだろう)、私は初期の、本当にファンしか喜ばないような、昔見た映画の話とか、夢に出て来た女優の話とか、些細で個人的な内容のラジオが好きだった。

解散の発表と、石井さん個人回となってしまった「漫才師とは」的な回の放送が重なってしまったのも、思い出だけれど、もう細かく思い出せない。

『コマンダンテと漫才師さん』のおかげで、「この漫才師知ってる……?」と思うことが非常に多い。どこかでゲストをまとめておけばよかった。真剣に探せば拾えるかもしれない? のかも?

こうやってじんわりと、色々な輪郭がおぼろげになってゆく。それでも1年経っても、解散の理由が明言されないままのコマンダンテって、結局かっこよかったんじゃないかと思わずにいられない。
でも全国ツアー全キャンセルになった時の「放り出された」感覚は、ずっと忘れないと思う。たぶん。なにもかも「たぶん」。

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