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かわいいのその先に②

私は最近怒っていました。
何も問題は起こっていないのに怒っていた。

イライラと怒りながら自分の姿を鏡で見て、気づきます。

服と鞄と靴は合ってるし、全て妥協なく選んだお気に入りのものたち。でもさ、、、、糖衣厚くない?

これじゃあ、あまりに温厚な人じゃないか。
何より自分が苦しい。
糖衣が厚いと中身とのギャップに苦しくなります。そして余計に苦い中身が溢れ出すのです。

対外的には糖衣が厚くてもいい。害のない人だと思われるのが一番。
でもさ、365日これで生きていていいの?

あなた本当はどんな人なのよ?
ニコニコへらへらして、抜けてるけど悪い人じゃないし、害はないですよ。って他人に見せてる間に、自分でも自分のことをパワーのない存在だと扱っているじゃないか。かわいいを隠れ蓑にして、何もできません。って顔してるんじゃないよ!かわいいに謝れ!

あんたの言う自由ってそれなの?かわいいってそれなの?
せっかく地球にやってきて、ぼーっとして人生を終えていくつもりなの?

どんどん言いたいことが溢れて涙まで出てきました。
だけど自分を責めているのとは違う。応援してくれているんだ。

それは、水泳選手だった頃、レース中にコーチが鳴らしてくれた指笛を思い出すものでした。

苦しいレース終盤で意識がぼんやりとしてくる時、ハッと目の覚めるような高い音の指笛。怒っているような急かすような音なんだけど、絶対にそうじゃないとわかる音。行け!という音を鳴らすということは、行けている!できている!ということでもあるのです。コーチが興奮しないと出ない音。エキサイティングなレースを展開できているということ。いいぞ!もっと行け!最後まで行け!という音。


私はここまで自分の好みを具現化することができた。
効率重視で毎日白シャツと黒パンツで過ごしていたところから、自問自答を始めて、毎日ワンピースを着て暮らしたいと気づいた。そこから素敵なワンピースを一着一着大事に選んで揃えてきたじゃない。

ずっと憧れてたキャメルのレースアップシューズも勇気を出して買った。

かわいいを追い求めて、かわいいをたくさん受け取ってきた。かわいいと好きを自分でたくさん表現してきた。だから大丈夫だよ。


今も私は「かわいい」を求めています。これからも自分にたくさん「かわいい」を言いたいし、「かわいい」と言われたら素直に受け取りたい。

でもそれに頭が弱いとか常識がないとかそういうことをかわいいの条件にすることはやめよう。かわいいを隠れ蓑にすることもやめよう。

かわいいを追い求めることは、きれいでもあるし、かっこいい生き様でもあるんだ。



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