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逆らい

何でもない日がもっと好きだ

今日はクリスマスイブだから世間は忙しない。
みんな早く帰るし、花屋を忙しく見て回る目、ケーキ屋に並ぶ行列。私はそれと関係ないペースで帰る。欲しいのはプレゼントじゃなくてアルコール消毒の大容量と、ボックスティッシュと、口内炎パッチ。そっちの方が今の私には必要。

もし家族が出来たら、今みたいな生き方は出来なくなるんだろうか。出来なくなるんだろうか。今の生き方や考え方がきらいじゃない寧ろ好きだから、それが無くなることを想像すると既に頭が今を恋しがっている気がする。別に世間の流れに乗らなくたって、あたしは幸せなんだなぁと思う。今はだけれど、いつかそうじゃなくなっても、今幸せかもしれないという事実。それは大事だ。

世界に逆らうのが好きなのだろうか、へそ曲がりなのか。の割には人の言葉を真に受けてすぐ傷ついたりする。自分も周りも何を考えてるか、よく分からない。全然分からない。

キリのいい所でと言われたら私がキリのいいとこまでやりたい 日だった。今日は。反対に全部をすっぽかしてアホみたいに帰る日もあるけど。私のエネルギーや思考はすごく突発的でマイペースだ。言葉も本っ当に真に受けるタイプだと思う。迷惑なのかな。でも最近はそうやってクヨクヨすることも無くなった。私が私の呼吸で過ごしているように、相手の発言や行動も相手なりの理由で起こっているんなら、その全部をわかって全部に応えようとしなくたっていいとはちょっと思える。でも応えたいけど。感じ取りきれないことが多すぎるって自分におもうんだけど、それでも出来ないのは私の性質だもんな。出来ないんじゃなくてやらないのかな。やっぱ私のへそがそっぽ向いてるんだな

outタグに新しい動きが出ていて、改めて考えてみる。人に対してメッセージでは無いタグを付けるって何だよ。「#誰もアウトじゃない」ってとてもいいタグだ。そう言ってくれる人が居なければ、私もどこかのコミュニティで、或いはどなたかにとっての「OUT」になるのだろうか。なりそうだ。あなたと、あなたとあなたの周りの数名にとってのアウトタグ そのラベルになんの意味があるのか。相手が誰かを排除したそうなのに私が出ていこうと思わないのは、私が鈍い人間からなんだろうか。人に対して寛容なのは私のいい所だと思うのに。直接的に自分がアウトされているという確証はなくて被害妄想かもしれないけと、全部まとめて自分に悲しくなってきてしまった。私以外にもアウトをすぐ向ける ラベルを貼って、アウトにする そういう人が身近にいるのだが、私はそうなりたくない。なりたくない。 

私の考えのほうが一般的だろうとか
社会はそういう流れだろうとか
そんなものは関係ない。私は私の寛容さ(誰かからしたらそれは良くない意味のマイペースで、また他の誰かからしたら全然凝り固まっているかもしれないが)を好いているから。悲しくなってたまるか。

眠たい

洗濯も回していないけど今日はもういいね、つかれたよね。おやすみなさい❄️️

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