Trans、トランス、とらんす。 - 3 変わったのではなく、気付いただけ(2)

GIDについて

GID(Gender Identity Disorder: 性同一性障害)というのは、強い性別違和感を持つ人に対してホルモン投与や形成外科手術をする際、優生保護法等に抵触しないようにするために考案された「病名」です。

*最新版の「精神障害/疾患の診断・統計マニュアル(DSM)」では、GD(Gender Dysphoria: 性別違和)と改称されているそうです。
 

わたしがGIDについて知ったのは、トランスジェンダーという言葉を聞いたのと同時期だったと思います。
望む性への移行を遂げた当事者をテレビで観て、ほのかな憧れと羨望を感じはしましたが、自分はGIDではないなとその時思いました。

なぜなら、そこで紹介されていたMtF(男性から女性へのトランス)のGID当事者は皆、

・小さい頃から自分は女だと確信していた
・自分は性別を誤って生まれてきたと思っている
・生まれた性別での体に、耐え難い苦痛を感じる
・男の人しか好きになったことがない

と話していたからです。

前回書いた通り、わたしは大人になるまで自分の性別に疑問を持っていませんでしたし、自分の中に女性的アイデンティティがあると気付いたのも結婚して子供ができてからです。
好きになるのも、基本的に女性でした。
それ故、当時のわたしにとってのGIDというのは、自分に似てはいるけれど違う世界のお話、どこか別の世界のファンタジーのようなものでしかなかったのです。
 

過労から鬱病を患ったわたしは、継続する倦怠感に見舞われ、並行してCFS(慢性疲労症候群)という診断を受けました。
少し動いては横になって休む、仕事も行ったり休んだりのような状態のくり返し。
一番困ったのが情緒が著しく不安定なことで、ちょっとしたことでふさぎこんだり、胸が苦しくなったり、つらくなってぼろぼろ泣いたりしてしまいます。
そんな時でさえ、「男なら根性出して」のようにジェンダーを押し付ける激励をしてくる人達が周囲には多く、それが一層わたしの感情をかき乱し、回復を遅らせました。

幸いなことに、自分の中の女性的アイデンティティについて、わたしは妻に話すことができていました。
一緒にボランティア活動に参加したこともあり、人権や心の病気に見識のあった嫁は、わたしのアイデンティティに一定の理解を示し、力になってくれました。
けれど、何が原因かとか、どうやったら生活に支障を来さないようにできるかといった具体的な話になると、嫁も分かりませんし、わたし自身も分かりません。鬱が治っていけばこの辛さもそれに伴って軽くなっていくんじゃないか、という期待は2人ともありましたが、確信は持てません。
そこで嫁が、「トランスの友人で専門医を知ってる人がいるのなら、あなたも一度そこでちゃんと診てもらったら?」と提案してくれたのです。
 

ネットで知り合った、現在GID治療中の友人に尋ねてみると、すぐに病院を紹介してくれました。
GID特例法施行以降どの病院も混んでいるようで、連絡をしてから診察日まで数週間待たされました。

先生は、年配で落ち着いた感じの人。
わたしは、今の状態、直面している問題、先への不安を、たどたどしく話します。先生は、時折質問を挟みながら、わたしの話を丁寧に聞いてくれます。

正直この時点で、わたしはまだ自分がGIDには該当しないと思っていました。
性別違和感を抱えてはいるものの、きっと周辺群のようなもので、カウンセリングを受け生活面でのアドバイスをもらいその通りに行動していけば、じきにこの状態を脱することができるだろうと。
どこかで、どうせそんなに重要な問題ではないと、高を括っていたのです。

けれど。

一通り話をした後、その辺りの展望をそれとなく尋ねてみると。
詳しい心理検査をしてみなければ断言はできないけれど、と前置きした上で。
恐らくあなたは性同一性障害でしょう、と先生は言いました。
しかも、かなり直球ど真ん中の。

でも。でも、先生。
いわゆる一般的な性同一性障害の人と、わたしの生育歴って随分違いますよね?
わたしは食い下がりました。

その辺りは個人差だね、と、先生は答えました。
メディアには解りやすい、「いかにも」な当事者が出ることが多いし、そういう人が目立つけど、ここに来るのはそういう人達ばかりじゃないよ。
小さい頃、さほど性別違和感を感じていなかった人も。
感じてはいたけど、それが何かよく分からないまま大人になってしまった人も。
家族や親戚に心配をかけたくなくて、周りの勧める恋愛や結婚を、必死に全うしようとした人も。
結婚して子供まで作ったら、性別違和感も消えると思っていた人も。
MtFだけど、趣味や服装とか、すっごく女らしいって感じではない人も。
色んな人がここにやってくるよ、と。

そして、どの性別の相手を好きになるかということも、参考にすることはあっても、それだけを理由にGIDかどうかを判断することはないのだと、この時初めて知りました。
GIDは、性指向(恋愛対象)ではなく、自分の性別をどう感じているかという、「性自認」の問題だから。
 

その後、心理検査を経て、GIDの正式な診断が下りて。
カウンセリングを重ねていく中で、色んな現実が見えてきました。

わたしは、結構深刻なGIDだということ。
周りが寛容に育てて/接してくれなかったら、もっとたくさんのツライ思いをしていたであろうということ。
これまでに自分のセクシャリティ(性的な状態や、傾向、アイデンティティ等)に気付く機会はたくさんあったのだけど、わたしが大らかで、のんきで、天然なせいで(^_^;、気付かず今まで来てしまったのだということ。

なんていうか、世間の「常識」とか、メディアの描く偏った「GID像」に、わたしも踊らされちゃってたんだなぁと‥‥。
自分のことって、案外自分では分からないものです。
まぁ、自分が「何千人に一人とか何万人に一人」のクジみたいなものにまさか当たるはずがないという、単純な思い込みもあったんですけどね。
 

その後5~6年の期間をかけて周囲とのコンセンサスを得つつ生活環境の再構築をして、今のわたしがありますが、その辺りのお話はまた別の機会に。
(次回は恋愛対象について書きます)

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