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ワイフとワイン

彫刻家のところに鷲の木彫の依頼があって、
納品先は宮内庁と聞いた。
一世一代の仕事と張り切り、
途中の仕事を全て止めて、早速依頼の作品に
取り組んだ。
 
作業場を片付け清め、身も心も新たにして、
作業着からタオルまで洗い清めた。

構想し、木材を選び、彫刻刀も新調して
作業に入った。
粗く外形が彫り終わったところで、
最も大事な鷲の目の彫りに取りかかった。

ところが思うように表情が顕われない。
腕組みしてしばらく作品を見つめていた。
ふっといつもの道具箱に目が行った。
使い慣れた彫刻刀を取り出して、
彫ってみると刃先が自分の指先のように
思いが伝わるのが判った。
それから新調した道具は仕舞って、
古い道具を並べていつものように作業を再開した。

木材に切り込む角度も深さも思いのままに
刃先が働いてくれる。
制作は順調に進み、めでたく納品ができて
栄誉に浴することができた。
 
この話を聞いて古女房を思い浮かべた。
畳と女房は新しいのがいいと、
居酒屋で若い仲居さんを横目で見ながら
初老の男どもがニヤリと笑い合う。
 
そうじゃない、
「女房と鍋釜は古いほどいい」とか
「女房と味噌は古いほどいい」などと
昔から云われてもきている。
外国でもワイフとワインは古いほど味があると
云うそうだ。
 
夕飯の支度をしている老いた妻の後ろ姿を見て
「そりゃそうだ」と呟くと
「なにが?」と返ってきた。
「なんでもないよ」と
テーブルに拡げた新聞に目を戻した。


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