へりくだりの美文化
父が居た老人ホームに見舞いに行った時のこと、
ホールに車椅子の老人が沢山集まっていて、
これから慰問のハワイアンフラダンスが始まるところだった。
高齢のご婦人方が肌も露わなムームー姿で
ニコニコと登場してズラリと並んだ。
気品を漂わせるリーダーがご挨拶。
その中にあった「お目汚しではございますが・・・」
という言葉に反応してしまって笑いを堪えるのに苦しんだ。
周りは誰も笑わず真剣に見上げている。
私が異常なのである。
一昔前の事、英語もおぼつかないのにアメリカに
家族で赴任したビジネスマンが重役の部屋を訪ねて、
片言の英語で挨拶し家族を紹介した。
「こちらは私の愚妻です。そちらは愚息です」
すると重役は哀しそうな顔をして
「I am sorry、それはお気の毒です」と言った。
お目汚しとかお口汚しという表現は
とても外国語には訳せないだろう。
日本の謙譲語は古来から継承された言語文化が
精練され醸成されて出来てきた。
へりくだる奥ゆかしさの美学は独特だ。
さりげなく語られると気高さと知性の高さを醸し出す。
それでもまあ、現代では死語となった謙譲語は多い。
会議に参加しますを、「末席を汚させて頂きます」、
知りませんを、「寡聞にして存じ上げません」など
めっきり聞かなくなった。
それでも、弊社や粗品、当方や失念などは
若いビジネスマンが今でも使っている。
ネルソン・マンデラさんは「遠慮なんかしてては、
世界のなんの役にも立たないよ」と云い、
サミュエル・マイルズさんは、
「自分の長所を低く見せるのは謙譲ではない」と云う。
やっぱり、このへりくだり文化は世界では異常で、
日本の中だけで通用するものなのだ。