姑息

一昨日、
新宿のコーヒー360円ぐらいの喫茶店に行ったときの話。

「ブリキカラス!」

と背後から声がした。

振り向くと髪の毛はセンター分け、薄い青のシャツを着て、顔はハンサムで童顔だが顔の皺から、僕よりは大人なんだろうなという細身の男性がこちらに手を振っていた。
その人は大分年配の方と2人で向かい合わせで座っていた。

「久しぶりだな!」と男性は笑顔をこちらに向けていた。




正直、全く既視感がなかった。顔は分かるんだけど名前が出てこない…とかでもない。全く誰だか分からない。芸人の先輩か?けどそういう雰囲気でもない。ブリキカラスと呼ぶと言うことはプライベートの関わりではない。業界の人ではある。どこかの局のスタッフさんか?頭を一瞬でグルングルン回転させた。とりあえず今分かることは1つだけ



「誰だかわかっていないの絶対にバレてはいけない」


僕は無の表情から目を大きく開け、口を縦に開き

あたかも誰だか分かったかのような顔を作り

「おおお、おざます!お久しぶりですね!」


突然すぎて一瞬分からなかったが、顔を見た瞬間気付きその再会の久々さに驚いている人間の様を表現した。
勿論この段階でも全く誰だか分かっていない。


僕は軽い会釈を済ませガラス扉で区切られた喫煙ルームに入りタバコに火をつけた。

そして、なんとかバレずにやり過ごせたとホッとした。我ながら実に姑息。姑息。




僕は人間関係においてずっと姑息な手を使っている。



LINEをするときの文体は相手に合わす。相手が絵文字を使う相手ならこちらも絵文字を使い、短文を連発してくるタイプならこちらも合わせる。そうやって共通の感覚を持っていると相手に思わせたいのだ。自分の文章の型を持たない。相手とのLINEでの関係性が円滑に進むように姑息に合わせにいく。


バイトでよくトラックの助手席に座り、社員さんと2時間くらい、ふたりきりになることがよくある。寝るのは御法度。しかし2時間喋り続けられるほどの間柄でもない。けど会話が全くないのも申し訳ない。そういう時

「へえーこの道出るとここに繋がるんですね。知らなかったです」

その道を出るとそこに繋がることは知っている。敢えて知らないふりをする。そうすると知らない僕に社員さんは色々教えてくれる。僕はそれもはじめて知ったふりをする。この繰り返し。







今回も姑息な手を使って難を逃れた。
しばらくして僕はトイレに並んだ。前に先ほどの男性が並んでいた。


「ほんと久しぶりだな!凄い活躍で嬉しいよ」
男性は心から嬉しそうに僕に喋りかけてくれた。




まずい。話を合わせにいかなきゃ。誰だかわからないが、もの凄くいい人なのはわかる。こんないい人の失礼に当たってはいけない。どうしたら。





すると男性が、
「てかお前、俺が誰だかわかってないだろ?」





まずい。見透かされた。





「すいません。顔はすごい分かるんですけど、久しぶり過ぎてどこでお会いしたかわからなくて…」

本当は顔も全く覚えていない。ここまで追い詰められてもまた姑息な手を使う。少しでも失礼に当たらないように。





「俺だよ。バビ市だよ」




閃光が走った感覚。お笑い養成所の時の演技の授業の先生の「佐野バビ市さん」。1年間お世話になった人。6年ぶりだが、絶対に忘れてはいけなかった人。なぜ思い出せなかった。


僕は
「あ!すいません!当時おかっぱだったから気づけなくて!」


勿論髪型の言い訳は出まかせ。謝罪をして尚、姑息を重ねた。


「活躍嬉しいよ。これからネタあわせか?がんばってな」


そう言ってバビ市さんは順番が回ってきたトイレに入った。
純粋に久しぶりにお会いしたお世話になった先生に褒められたのは嬉しかった。

もしかして演技のカリスマのバビ市さんには僕の姑息な演技なんて最初から見抜かれていたのかも知れないなあ。








最後にこの喫茶店には相方の黒田さんもいたが文章をスマートにするために登場させないという姑息な手を使ったことを謝罪したい。

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