1/25〜2/2

売れていない芸人にしては、比較的色々な事があった1週間だったので日記的に書かせてもらおうと思う。全日分書くの大変なので所々抜けている日があるのは勘弁願いたい。

25日

GERAラジオ最終回の収録。ラジオが終わるにあたっての心境は以前noteに書かせていただいたので、そちらも是非読んでみて欲しい。

放送ではカットされているのだけど、黒田さんは普段から番組中とは思えないほどの不必要な間を作る。普通のラジオでは放送事故となるであろう、僕の言葉を受けてから5秒ほど考えてから喋り出したりといった事をするのだ。これは単に集中力やパーソナリティとしての自覚が足りないのかな。と思っていたけど、最終回が近づくにつれて日に日に、その間は少しずつ伸びていった。

そこで僕は気づいた。彼なりにこの楽しいラジオの終焉を少しでも先伸ばそうという足掻きだったのかもしれないなと。終わりを止められないなら、少しでも終わるまでの時間を伸ばそうと。
そう思うと一見、不必要と思える間すらも可愛らしいものに思えてきた。彼なりにきっとそれは、「必要な間」だったのだ。

ちなみに「黒田さんの間を編集でカットするの、大変なんですよ」とスタッフのカワハラさんは言っていた。スタッフさんには至極不必要な間だったようだ。1年半すいません。


深夜はテレビ収録があった。帰りはタクチケ案件。タクシーでテレビ局から家まで帰るのが、何だか東京を切り裂いている感じがして堪らなく好きなんです。放送はだいぶ先になります。

26日

ぶちぬき魂。ピンネタ。事務所の先輩のカナイさんや同期の河邑ミクも。
実は今年のR-1のピンネタは構想段階から河邑と百瀬さつきに相談に乗って貰っていた。
同期という立場を利用して、元ファイナリストにネタ作りから手伝って貰うという最強のアドバンテージを有していた事はここだけのヒミツにして欲しい。
カナイさんにもライブ楽屋でネタを一緒に考えて貰ったりして、かなりの他人の力を借りての準々決勝進出だった。みんなありがとう。

ちなみに、河邑からネタの相談された時は「ピンネタよくわかんないから…」と逃げた。実績のあるピン芸人のネタに口出しするのは責任が重い。責任からは逃れ、甘い蜜だけを吸うのだ。そんな浅はかな僕の思惑は天に見抜かれたのか、僕は準々決勝で敗退し、河邑はキッチリと準決勝に進出した。

しかしこんなことでは懲りない。
来年は一からネタを全部作ってもらおうと心に誓うのだった。


28日

ネタ番組の収録。
久しぶりの地上波のネタ番組だった為に、ネタ中はガラにもなく緊張してしまった。とはいえ、楽屋がパンプキンポテトフライさんやファイヤーサンダーさんと一緒という、未だかつてないほどの「イージーモード楽屋」だった。緊張感など皆無で一瞬、下北沢ミネルヴァかと錯覚を起こすほど。

パンポテ山名さんがロングヘアからバッサリと髪を切っていた。中田ヒデのような髪型になっていて、地元が湘南ベルマーレのホームタウンの僕にとってはスター性を感じずにはいられなかった。僕も髪を切るとしたらあの髪型にしよう。

30日

サンパチ師。

コロナ蔓延の影響で演者は従来の半分ほどになってしまっていた。中MCで笑撃戦隊さんとお話させてもらう。以前ランニング中の柴田さんに挨拶しましたよね。というお話をさせて貰ったのだが、それが柴田さんではない人違いだったのが衝撃だった。

楽屋ではモンローズ宮本さん主人公のポケモンのゲームを考えたりする一幕もあった。
宮本さんが主人公だったら手持ちを全部、炎ポケモンにして、最初に仲間にしたポケモンを大事にしてずっと使い続けるらしい。一月末なのに、その話をする楽屋だけは暑く汗ばむ陽気に感じた。

31日

R-1の準々決勝がルミネという大きい舞台になるという事で、ネタで使うフリップを大きく、そして綺麗にする事にした。
まず新宿の世界堂に行って大きな画用紙を購入。サイズは「半切」という、2回戦まで使っていたサイズの約2倍のものにした。フリップのサイズに関しては森本サイダーさんに相談した。やはり大舞台を経験した事のある、質問しやすく、舐めてかかれる先輩がいるというのはこういう時に助かる。

そして、フリップの文字は2回戦までは手書きの文字だったのを、読みやすいようにゴシック体で印刷する事にした。ハッピー遠藤に文字データを作ってもらい、それを印刷屋に持って行ったのだがここで思わぬ事が起こる。

半切サイズで紙を10枚ほど印刷をするのに「7500円」かかると言われたのだ。おいおい!ピン芸人ってこんなにお金がかかるのか??涙目になりながら印刷屋を後にし、ハッピー遠藤に連絡をした。すると、コンビニのコピー機で低コストで半切サイズのコピーをするやり方を教えてくれた。ハッピー!!

そして、家に帰ってハサミとノリを駆使して印刷した紙を半切サイズの画用紙に貼り付ける作業を2時間ほど。

「漫才師って楽すぎやしないか?スーツ着て喋ってるだけで」

普段どれだけ恵まれた演芸をやらせてもらっているのかを再確認した。

2月1日

笑デミー賞GP予選
ナルゲキで行われる大会。同じ楽屋にいつものナルゲキメンバーや、
ハリードやハウメニーピーポーさんといった松竹メンバー
矢田さんやぬえさんといった下北GRIPのメンバーがいるという雑多な闇鍋のような空間。

ストレッチーズのかんちゃんが前回僕の書いた「劇場」の記事を凄く褒めてくれた。ストレッチーズも関東ゲラゲラSILVERに一般参加で出ていた時期があり、僕の文章からあの頃の角座の盛り上がりを思い出してノスタルジアを感じたようだった。
角座とは、松竹芸人のみの思い出の場所ではなかったのかもしれない。

2組が決勝にいけるシステムの中、1位ヤーレンズさん。2位ストレッチーズ。僕たちは5位くらいだった。負けてばっかだな!

2月2日

昼間はチバテレの、駆け抜けて軽トラの冠番組の収録にお邪魔させてもらった。
クロちゃんさんや、大阪のドキドキ純情ガールズと一緒の収録。

あまり、ガッツリとクロちゃんとお話させて貰った事はないのだが、ブリキカラスの事も気にかけてくださっていて、LINEも交換して下さった。
「今、松竹は女の子が強いから男芸人代表として頑張ってね」
と声をかけてくださって、色々とアドバイスをくださった。
元ピーマンズスタンダードの吉田さんが「クロちゃんは特殊な売れ方をした人だから、アドバイスも他の人と違う視点を持っていて参考になる」と言っていたのを思い出した。
とても身に染みるお言葉をいただけたのだが、僕たちと話している間もその目線は僕たちではなく、奥にいる女性タレントに、確かに向けられていた。

いつもテレビで見ているクロちゃんだった。


夜はR-1準々決勝。ルミネ。
今までは3回戦が最高成績だったのだが、準々決勝は別世界。「こんな面白い人たちがいるの!?」が次々続いていく感じ。
僕自身はというと2分まではイメージ通りに笑って貰えた印象だったが、後半1分間で明らかな失速をした。「これではちょっと厳しいかなあ」というのが終わった後の手応えだった。
ピンとしてのネタの強度や3分間1人でネタを演じ切る基礎体力のようなものも達していなかった。

因みに、かが屋の賀屋くんの直後の出番だったのだが、ちょっとしたハプニングがあって僕が登場した時に笑いが起こってしまう事態になってしまった。賀屋くんのネタバレになってしまうので多くは語れないが、配信などで見れたら見てみてほしい。




以上になります。
「メロディ、収録やらR-1やら頑張ったな」
と思った方はサポートいただけたら嬉しいです。

「売れっ子なんてもっと忙しいんだから、これくらいでへばるなよ。ほぼフリーターじゃねえか」
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