板橋の片隅で

養成所を卒業して1年目になる2014年4月に、僕は東京に上京した。


実家のある神奈川県平塚市から東京に通っての芸人活動も不可能ではなかったのだが、所属した時に同期の間で流れた「芸人はその日に急に仕事が振られることもあるから東京に住んでいないとやっていけない」という今思えばそんなこともない噂を真に受けて実家を離れたのだ。23歳の時だ。


引っ越し資金もなかった僕は、ちょうど1人で家賃を支払うことがキツくなっていて誰かルームシェア相手を探していた松竹芸能の同期芸人のハッピー遠藤の家に居候させて貰うことにした。ハッピーとは住み始めた頃はそこまで仲良くない、適度な距離感だったが結局5年ほど一緒に住んで今では大の仲良し。「もう俺、メロディ以外とルームシェアするのは考えられないわ」と別々に暮らす今もたまに言ってくれてシンプルに照れたりする。


僕が東京で最初に住んだのは板橋の片隅の町。下町感が強くあまり上京したという実感が湧きにくい場所だった。部屋はワンルーム6畳に男2人暮らし。ロフトが僕の寝床だった。ロフトで寝るのは夏以外は苦痛ではなく、この適応能力が現在のボロ家暮らしに繋がっているのかも知れない。



家から3分ぐらいの所に個人経営の喫茶店がありネタを書いたりするのに丁度良かった。珈琲も美味しかったのだが店長のおじいちゃんが30分ぐらい居るともう帰ってくれと急かしてくるので「もうあそこ行くのやめようぜ」とハッピーと約束して行かないことにした。



家の近くにオリンピック選手が合宿などを行う大きなスポーツ施設があり、マラソンの野口みずき選手がよくその辺の道を走ったりしていた。ハッピーがその施設で警備のバイトをしていたので、「え!あの人とあの人仲悪いの!?」と言ったスポーツ選手ゴシップをよく教えてくれて楽しかった。しかしハッピーが二日連続でバイト中に全部寝てしまいクビになり、間もなくゴシップは途絶えた。


またその施設はサッカースタジアムも併設されていて夜勤から帰って昼間寝ていると熱狂的なサポーターの応援でよく睡眠妨害されていた。子守歌とするには騒々しかった。


何もない場所だったが僕とハッピーの唯一の誇りはラーメン屋だった。濃厚魚介系のつけ麺屋で、遠くからそのラーメンを求めてわざわざ食べに来る程の評判の店だった。板橋から方南町に引っ越す最後の夜も2人で食べに行った気がする。もう1つラーメン屋があったのだがハッピーが「あそこは味が落ちた」と頻りに言ってくるのであまり行かなかった。今思えば文句の多い男だ。


そして、家から徒歩1分の所にコンビニがあった。店長のおじいちゃんが孫の子守をしながら接客をしているような地域密着型のコンビニだった。子守をする姿は微笑ましいのだが接客がタメ口で高圧的だったので台無しだった。ハッピーと店を出た後よく文句を言った。



そのコンビニには「諸岡さん」というおばちゃんがバイトで働いていた。見た目はTHEおばちゃんといった感じの純粋な濁りっ気のないおばちゃんだった。髪質もシワの数も一分の狂いもなく年相応だった。



諸岡さんもタメ口を使ったり、店長と話しながらレジ対応をしたりして接客が良い訳ではないのだが高圧的ではない分、店長よりは好感が持てるタイプだった。


そして、諸岡さんはいつ来店しても働いていた。朝7時に行っても夜23時に行ってもいつも働いていた。借金や何か事情があるのかも知れないが、彼女と店長との会話からはそんな悲壮感は感じられなかった。明るいおばちゃんだった。


ハッピーがある日こう言ってきた。




「諸岡さん、年間363日シフト入ってるらしいぜ!」



驚いた。そして合点がいった。それぐらいいつ行っても諸岡さんはいたのだ。その頃僕たちの仲では諸岡さんいつもい過ぎて3人いる説まで浮上していた。



話を聞くと先ほどハッピーがコンビニに弁当を買いに行った時に店長が



「諸岡さん、年間363日シフト入ってるから、毎日来て休みの日探してみてよ!」


と言ってきたらしい。


確かにそれを聞いて、僕たちは諸岡さんの年に2日しかない休みの日をこの目で見てみたくなった。毎日来店してその日を探したくなった。このコンビニ。実に恐ろしいことを考えるものだ…!1人のおばちゃんを休みなく働かせることによって店への客足を増やす。悪魔が考えたようなビジネスモデルだ。


僕たちは悪魔の囁きにまんまと屈し、毎日のようにコンビニに来店し今日は諸岡さんが働いていたかの結果報告をするようになっていた。しかしやはり諸岡さんはいつ行っても働いていた。盆も年末年始も朝から晩まで働いていた。彼女もまた永遠に働き続けられる体を悪魔と契約したのかも知れない。



しかしついにその日は訪れた。ある冬の日の朝、僕がコンビニによると諸岡さんの姿はなかった。すると聞いてもいないのに店長がこう言ってきた。



「おめでとう。今日は諸岡さんお休みだよ。」


何がおめでとうなのか今考えると分からないが、その時の僕は目標を達成したことの喜びに震えていた。家に帰ってハッピーに報告しよう!お祝い事の日にと2人の間で決めているハーゲンダッツのクリスピーサンドを買って…!



長かったコンビニ通い生活も今日で終わりという安堵感もあった。正直終盤は特に買いたい物もないが諸岡さん目当てで来ている状況だった。

僕はハーゲンダッツを買おうとアイスのコーナーに向かった。

…その時









「え!朝番の子が来てない!?仕方ないなあ…代わりの人に出て貰うか…」







店長が電話をかけ始めた。悪い予感がした。まさか…











1分後、諸岡さんは休みの人の代わりに出勤した。諸岡さんの家はコンビニの真裏にあるのですぐに駆けつけられる。かくしてその年の諸岡さんの出勤は年間364日になった。
















板橋では結局3年ほど過ごしたと思う。決して便利な町ではなかったけど上京して初めての場所なのでとても思い出は深い町。


長い人生。もう一度住んでみても良いかなと思う。ハッピーは嫌がりそうだけど。


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