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出戻りの挨拶

 年一回心が身体を裏切りそうなときがある。
中途半端に人生くたびれた女が風俗に走るのだという愚にもつかない発想を肯定して、サイトを見ては品定めしている。
 大学生最後の年、愛なのか情なのかわからない気持ちを抱いていた男の子に駅の改札で「また会えるよね?」なんて未練がましく言ったときと何ら変わらない精神構造に飽き飽きする。
そうだ、そういう人間だった。惚れっぽくて、冷めやすいーー十数年前の保温性のない電気ケトルみたいな人間だったのだ。
今の同居人とは紙切れ一枚の契約を交わしているので、実行に移すとかなり面倒なことになる。
第一、私は嘘が苦手だ。
「あー、くそっ、やりてえ!」(直訳にして極端な言い草)ってなってもなんらかの手段を講じて収めなければならないし合法的に収めてきた。
思えば他人の暴露話を聞くことはあっても私自体が語り手となっていることはあまりなかったと思う。
あるときを境にして情けなく他人に縋ることがみっともないと思ったからだ。
しこしこせっせと文章にしたためてはネットの海へ流していた。
合法でクリーンな応急処置、をその都度繰り返していたと思う。
そういう夜が私には必要だったのだ。



 そして今、いまだにその手段が有効である。
乖離寸前の、理性強く本能を吐き出せる解放区にただいまを告げさせてくれ。かたちにならない声を上げさせてくれ。

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