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竹重さんのはぜ掛米

建設業との2足の草鞋をはきながら、
安心安全にこだわる完全無農薬米を、
昔ながらの天日干しで作る竹重聡さん(54歳)。
自ら作って自ら売るという農業の一元化を目指し、
売れる農業の仕組みを作るために奔走する。

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この記事は、2016年12月発行の「やまぐち食べる通信」第五号からの抜粋です。

知ってもらう、食べてもらう、やってもらうを広める

9月下旬、黄金色の稲穂がきらきらと揺れている田んぼに、カマを持った23人の子ども達と保護者たち、ボランティアの高校生など大勢が集まった。竹重さんを筆頭にずらりと男性陣が列を作って並んだ。足で踏みしめながら田んぼを進むローラー作戦で、田んぼの中の蛇などの動物チェックするためだ。まるで運動会のような一幕の光景でスタートする稲刈りイベントだ。「こんなに草が生えている田んぼは初めて!本当に除草剤をまいてないんですね」と感動の声をあげ、初めてカマを持つ子ども達が稲を刈る姿を、嬉しそうにみる保護者たちを、満足そうに竹重さんは見守った。

「田舎遊びの会ゆるり」とやり出した体験農業も今年で3年目。代表の渡邊ちいこさんと出会い、無農薬米の美味しさを広めていければと始めた親子参加のイベントだ。農業は楽しい、面白い、美味しいということで繫がる喜びがある、と実感したという。

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化学肥料、農薬なしの田んぼは、雑草と稲の共存となり、
本来の米の性質が存分に発揮される。


竹重さんが地元むつみに戻ったのは4年前。代々農家の家業を継ぐのは当たり前だと思っていたものの、大学時代から広島で過ごし、30年間建設業に携わってきた。戻るきっかけは父親が80歳になったことと、景気が下向き建設業を続ける不安を感じたことだったという。就農するにあたり、戻る前に始めたのは籾殻活用だ。籾殻を活かして苗床を作る研究を大学と共同で取り組み、助成金も受け成果も出した。が、実際には大規模量産化の段階で設備費など、投資がかかるので今は封印状態だ。行動とアイディアの人である。

しかし、米作りは地元に戻る一番のきっかけだったという。

「自画自賛ではないが、この地域の米は本当に美味しい。米作りで生計をたてていく自信はあった。でも、農協頼みでじゃなく、自ら作って自ら売るということをやりたかった」自信を持って売れるもの‥肥料も農薬も使わない無農薬農法でやろうと決めた。人間は食べるものでできている。食べものの安心安全が一番大事なことだと、農業に携わるようになり学んだ。ならば完全無農薬、天日で干す、昔ながらのはぜ掛米を作ろうと。「昔の人はそれが当たり前だった。僕が特別なことをしている訳じゃなくて、元の農業のやり方に戻ろうということ」明解な答えが気持ちいい。

14年間荒廃していた放棄地を借り受けた。放棄期間が長く、農薬成分はなくなっていることに目をつけたのだ。最初は0.5ヘクタールほどの田んぼからのスタートだったが、荒れ果てた田んぼの整備は建設業者なのでお手の物だった。しかし、勢い込んで始めた無農薬米農法は、地元の人たちには全く理解してもらえなかった。「肥料農薬使わんで米ができるわけない!」とそっぽを向かれた。ならば、無農薬米が売れるという結果を出して理解してもらうしかないなとやる気に火がついた。

1年目のはぜ掛米の収穫は、30kg の袋で20袋、600kg。4年目の今は、 田んぼの広さも2.5ヘクタールに増えて、5倍になった。完全無農薬米「エコ100」と減農薬米「エコ50」の2本だてで、竹重さん自ら県内はもとより、建設業で付き合いのある広島にも営業で駆け回る。美味しさが伝われば必ず販路はできるという強い信念が原動力だ。 建設業も平行して経営し、広島の支店と萩の本店を往復する生活の中、最初の2年間は移動販売車とテントで、野菜、米、加工品の直売所も毎週開く、超多忙生活を送った。地道な宣伝活動は着実にファンを増やしていき、前出の渡邊さんとも山口の直売所で出会ったのがご縁だ。

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のどかな美しい田園風景。
しかし農業は自然相手で天候に左右されるのが常だ。

むつみの農家の跡継ぎは激減し、平均年齢も70歳を超え高齢化も進む。「僕なんか、農業ではまだはな垂れ小僧。一風変わったワカモノですよ。時代に逆行した農業政策では生き残っていけない。地元に愛着がある分、それが歯がゆい」と故郷への愛が竹重さんの挑戦心の源になっている。

今は、家族を広島に残しての単身出稼ぎ就農だ。「嫁にはすべて事後報告。わがまま勝手に自分中心よね、と呆れられてます」とやんちゃぶりは半端ないらしい。直近の目標は建設業の売上げがなければ、農業はできていないという現状を打破すること。農業を事業として経営していける基礎作りに心血を注ぐ。「銀行に勤めている長男が、将来、農業でちゃんと儲かっている会社を継ごうじゃないかと考えてくれるような会社にしたい」と照れながら笑う竹重さんの目に、強い意志の光をみた。

これ以降は、2018年10月発行の「やまぐち食べる通信」第十五号からの抜粋です。

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竹重聡さんの今。
地元を元気にするために、
農業の一元化をめざして。

2016年11月号で萩市吉部下(むつみ地区)を特集し竹重聡さん(56歳)のはぜ掛け米や、その周辺の特集をした。2015年12月に萩市のゲストハウス『ruco』で、8本食べる通信リーグ代表高橋博之と「やまぐち食べる通信」の車座を行った。そのとき知り合った最初の生産者が竹重さんだ。むつみ地区にある『八千代酒造株式会社』もご紹介いただいた。八千代さんとは東京のイベントに何度もご協力いただくことになる。東京や関西の知人や読者を誘って蔵元めぐりが実現できたのも、この八千代さんのご縁の延長線上にある。

2017年5月に特集した山口市の秋川牧園の牛乳は、その生産子会社であるむつみ牧場の乳牛から搾られていたので、その時もむつみ地区を訪れた。こうやってむつみ地区は年に何回か訪れる地域となっていった。2018年8月に行った「やまぐちスタデイツアー」のむつみ地区での農業体験や酒蔵見学もむつみ地区に住む人たちとのご縁が積み重なった結果としかいいようがない。

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竹重さんのその後の様子を知りたくなった。竹重さんがめざしている農業の一元化が形になりつつあるように見えた。一元化とは農業生産を核に加工 ・ 流通 ・ 販売 ・ 交流等のアグリビジネスを農家が行うことだ。現在力を入れているのは、ワイルドクラフト米を使った米飴の製造だ。使い易さを考えて、ゆるめの濃度で作った米飴は「お米のシロップ』として地元のイベントや、ロコミで販売している。パッケージや料理法なども協力者を得て工夫し、販路拡大に向けて動いている。首都園で行われるマルシェにも出店しだした。

味噌蔵として3年前に作った工房の一部を、米飴の量産体制に備えて用意した。2018年4月に吉崎裕一さん(34歳)が、竹重さんの株式会社アグリードに加わった。萩で育った吉崎さんは、地元で自動車整備の仕事をしていたが、地元の若者が『自分らしく、価値を生み出す仕事』をしたくなったという。竹重さんの、地元に元々ある資源で地元を元気にしたいという思いに共鳴したのだ。竹重さんは着々と事業の足固めをしつつある。そして、事務所と、人が集まれるたまり場『賀美(かみ)』を仲間たちと自宅のガレ ージを改装して作ってしまった。賀美は竹重家の代々の屋号だ。

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「やまぐちスタデイツアー」でも、賀美には参加した大学生たち、東京からの訪問者、トマト農家の高橋夫妻、八千代の蒲久美子さん、竹重さんの友人たちなどが集まって交流した。竹重さんの姉の郁子さんが、両親が育てた野菜を使った郷土料理、七輪で焼いたむつみのブランド豚『むつみ豚』やジビエのバーベキュ ーでもてなし、地酒やソフトドリンクなどを楽しみながら、ワクワクする時間を共有することができた。竹重さんの挑戦とその熱量が、周囲に伝染して広がっていることを感じた時間だ。

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昔は、乳飲み子の母乳代わりに使われました。
安心・安全のスローフード。

『米飴』は米やうるち米、もち米などに含まれるデンプンを糖化して作る、昔ながらの製法で作られる甘味料です。昔は、母乳が割として乳飲み子に飲ませました。

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この伝統的な甘味料を未来に残したいという思いで、アグリードの米飴は親しみやすく『お米のシロップ』と名付け製造販売しています。吸収・消化が穏やかで、血糖値があがりにくく、身体に負担が少ないので、健康志向の人たちに見直されて静かなブームとなっています。あっさりとした優しい甘さと、栄養価が高いので、子供のおやつや、身体が弱っている方の滋養にも最適です。添加物も防腐剤も一切使用していない、安心・安全のスローフードです。砂糖や蜂蜜の代わりに、ヨーグルトやフルーツにかけて召し上がりください。また煮物料理にお使いいただくと、国のある優しい仕上がりになります。


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農業生産法人(株)アグリード
山口県萩市吉部下4142
08388-6-0955
www.facebook.com/mutsumi.muraichiba/




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