希死念慮に囚われたときの覚書

以下は2年前の話なので、今はなんの無理もなく毎日楽しく生きています。ただ、こういうことがあったことの記録と、もしまた同じような状況に陥った未来のために。

ちょっとしたきっかけがあって、久しぶりに希死念慮に囚われていました。初期のうつ症状の自覚はあったので、自己復旧がてらメモしておきます。

どうしようもなく、生きててもしょうがないんじゃないか、私ができることなんて大したことないな、いなくなったところで何も変わらないな、このまま生き恥をさらしててもな、なんかもう、どうでもいいや、なんて絶望の落とし穴にハマってしまうこの状態を、私はストレングスファインダーの〈ポジティブ〉資質の “堕天” と呼んでいるんですが、いつも時間が解決して忘れてしまうので今日こそメモしておきます。

長いし重いです。

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メンタルマネジメントを仕事にしているのに、セルフマネジメントできなくてどうするよと突っ込まざるを得ないですが、当事者になるからこそ理解して共感できることもあると思っています。

きっかけは本当に些細なこと

家庭のことで不満はありましたが、対処したりスルーしたりして、3年後には別居も決めていたくらいなので、感情も思考も整理できていると思っていました。誰かに話しても解決策は自分の中にすでにあるので、愚痴のネタにしかならないですし。

ただ、そうやって整理していたつもりのジェンガの塔の、下にあるブロックをスッと抜かれて全部崩れたような、そんな感じです。なんかもう、本当にそれだけでした。怒りよりも悲しみ、そして絶望。

人は積み上げてきたものが崩れると、生きる意味を見失うんですね。

コミュニケーションがポンコツになる

生きているのがメンドクサイけれど、まだ死にたいわけでないものの、膝が折れて立ち上がれなくなっているので、自分の事以外考えられなくなります。心配してほしい気持ちと心配かけたくない気持ちと心配されたらメンドクサイ気持ちがゴチャゴチャになるので、コミュニケーションが怖くなります。そうしてまた、自己否定に陥り、なおさらコミュニケーションできなくなります。世界に絶望しているので、感謝の言葉を述べるのすらツライ。

はたから見て、挨拶ができない、感謝を伝えられない、自分のことしか考えられないけれど、まずいとは思っている、というのはこういう状態なのかもしれません。

思考がポンコツになる

そもそも上記の状態なので、相手のことを考えたコミュニケーションができなくて、何が良くて何が正しいのかが見えなくなり、眠りながら文字を打ち込んでいるみたいな感覚です。感情が極端な状態になっているのでオンにするわけにもいかず、思考だけが現実と夢の区別がつかなくなるというか。なんとか回答していたんですが、おかしな対応になっていたらゴメンナサイ。

ストレングスファインダーがオモチャにしかならない

自己基盤がグラついている時に資質のことを考えても、いま弱みが出てるんだな、としか思えませんでした。“堕天” は俯瞰できるような症状として名付けているので、いつもなら言葉遊びをするところですが、そもそも状態をなんとかしたいという欲求すらないので、自分一人で使っても役に立ちません。

未来のことが考えられず、拒否する

  • 子どもたちのために生きよう→もう充分できることはやった

  • 仕事のために生きよう→どうせ大したことできやしない

  • 悲しむ人がいる→その人が大切な人を思いやるきっかけになればそれでいい

  • 優しい言葉→その言葉を受け取れないほどのクズです

  • 死ぬことを否定される→もう否定されるのはツライんです

……こうなります。希死念慮の強い人にとってポジティブは毒になりかねず、下手すりゃ巻き込まれます。私が傾聴をトレーニングしたのは、こういう自分を傾聴によって成仏させたかったからなんだろうなあ。

交流分析の理論が自己復旧の足がかりになる

「こういうこともある、にんげんだもの」です。絶望の状態にいることを俯瞰的に把握して、軽いうちに回復したほうがイイ(欲求がないので「したい」わけではない)と判断できるのは、心理学の知識のおかげ。恐れのステージから戻るには、悲しみ→怒りを超えていくと良いのですが、これは1人ではなかなか難しいというのも痛感しました。ただ、上記のような「心理ゲーム」に陥ることがあるからこそ、コミュニケーションがまた大変。最悪の禁止令はダテじゃないなあ…。

聴いてくれる人に救われる

ストレングスファインダーも交流分析の理論も、話を聴いてくれる相手がいてこそ効果を発揮するのはわかっているのですが、言葉を選びながらキーボードを打つのすらしんどいので、誰にも話をすることができませんでした。あの人なら聴いてくれるだろうなという相手の顔は浮かんだんですが、こういうときオンラインしかない環境は死ねますね。

幸い、借りている事務所(一軒家)のオーナーさんがセッション前に少し早く来られて、捕まえて口をつくまま聴いてもらうことができたので、「こうやって書いておけば、これからの役に立つはず」と思えるまで回復しています。

「生きてる意味がわからなくなる」というのは、
「生きることに意味を見出そうともがいているから」なのかな。

2022年4月6日