イラストと数学の話

仕事を辞めて数ヶ月が経過した。

会社はホワイトだったのに、些細な辛いことが積み重なり辞めてしまったのだ。…はっきり言って、自分は子供だったのだ。子供だから自分の世話もできないし、責任転載を簡単にしてしまう。社会に出て人間関係を構築する為には、学生の頃にまともな人間関係とコミュニケーション能力が必要な事に気づかなかったのだ。

お金は日々尽きている。ただ後悔はしていない。学生の頃の私は、「本当に格好いい大人は仕事をやりつつ、合間にイラストを描くことがまともなのだ」と信じて疑わなかったものだが、とんでもない話だ。毎日ヘトヘトで帰ってきて(明日こと絵を描くぞ、明日こそ…)と何度も思い続けて、結局描かない。本も読まない。ただ電車に乗り、仕事をこなし、趣味すら会社の同僚に染まらなくてはならない。そんな暗い暗い毎日が、本当になりたかった大人なのか?という話だ。多少まともじゃなくても絵が描ける方がよっぽどマシだ。


しかしこの絵を描くという行為も、結局逃避行動かもしれない。

私は建築業から逃げてるのだ。家の建築業の人はあの頃、まともに見えていた。私の家系は通称「リストカット家系」よろしくと言わんばかりのメンヘラだ。女性は何かしらの精神疾患ばかりだ。しかし、建築に務めている野郎ばかりは、金銭的自由を手にして、そこそこまともに見えたのだ。


ただ私には1mmの才能もなかった。平面に書けても、立体にする為にはある程度の「器用さ」が必要になる。それがなかった。モデリングはいくらでもやり直せるという理由でモデリングにはまったが、建築に使えるソフトではなく、ビジュアルしか構築できない自分に落胆した。

一旦逃げるのは楽だった。元から絵を描いていたのだからそっちの方向は楽だった。特に試験前夜に建築のテストを捨てて書いたイラストは傑作だった。本気で書いたと思う。焦りと焦燥感と競争のはざまでぐちゃぐちゃになりながら描くイラストのなんと楽しいことか!!!もちろんテストはボロボロになった。


数学も逃避行動の一つだ。逃避と言っても、大学の頃から温め続けてきたBLネタを膨らます為にやっているのだ。攻めは数学なんてちゃちゃっとこなすのに私だけ絶望顔で爪を噛んでるわけにはいかない。

数学はSNSから私を救ってくれている。SNSを見てると毎日マイナスの言葉だけが流れてくるし、何もしてなくても気分が落ち込み、鬱な気分になるものだが、数学をやってる時だけは、心の状態を0にリセットできるだから、その上数学は将来性のある学問なのだから最高である。統計学を学んだ後は競プロで使うのだ。やりたい事はまだまだある。


今は就職活動中だが、絶望はしていない。お金が尽きたら絶望すると思うが。正直このままでは経歴詐称するかもしれないが、統合失調症を隠して生きていってるのだから、映画パラサイトよろしく詐称がどうした?である。会社だって統合失調症だと知れば給料を下げるし、業務形態を詐称してたりするのだから、騙された方の負けである。

病気になった直後は、「就職こそがまともに生きる道だ」と思ったものだが、焦って雑に募集をかけまくるようなものでは、まともどころか普通にアホだ。未だにリクルートメールが一日50通くらい来るし。


まぁそんなこんなで常にギリギリで生きている。最近声優になりたかった女の子が「もう疲れた」と言っていたが、「もっと普通の生活がしたい」のだと思う。金があるのに羨ましいと思った。でも精神子供にはしんどい話だ。私は思う。

絶望も案外悪くないぞ。貧困は絶望だが、本が読めて食べ物が食べられる。夜はぐっすり眠れる。それだけで幸せだと思う。それに気づくか、気づかないかだけだ。


就職は成功するだろうか。資本金が1000万以上で、週休2日。給与は今は、好きな仕事で250万あればいい。逃げるのは悪い事だが、本気で逃げれば、なんとか道はあるのかもしれないと。伝えられる人生になればいいと思っている。