夏目漱石(2) 「二百十日」についての感想及び考察2/2

<その3 寺の持つ意味>

 圭さんが寺へ入らない理由は、以下の碌さんの言葉が、答えになっている様に思う。

圭)「(中略)一体、寺と云ふものは大概の村にはあるね、君」        碌)「さうさ、人間の死ぬ所には必ずある筈ぢやないか」           圭)「成程さうだね」と圭さん、首を捻る。圭さんは時々妙な事に感心する。[一]

 此様に、寺とは人間の死を表す物である。と言う碌さんには当然分かっており、地の文にて「圭さんは時々妙な事に感心する」とまで表される常識が圭さんには備わっていなかった。あれほどまでに細かく寺を見詰め、観察していた圭さんのその不自然な認識は、圭さんが寺に入らなかった所為とは言えないであろう。何故ならば、寺に入らずとも、圭さんの耳には確かに「寒聲寺」の「鉦の音」が聞こえていたからである。此「鉦の音」が、時刻を知らせる釣鐘の鐘ではなく、仏具であり念仏に用いる叩鉦の「鉦」であること、それがその証明である。圭さんが聞こえて来る<かね>の音を<鐘>でなく「鉦」とした時点で、語義から言って確実に、圭さんはそれを人間の死を表す弔いの音であると正しく認識していた訳である。むしろそうであるからこそ、圭さんは寺に入らなかったと言えるのではなかろうか。

 そもそも、「二百十日」に於ける寺を通して「死のイメージ」に就いては、平岡敏夫などによって言われて来たが、自分が此処で言いたいことは、その様な寺が死をイメージしていることだけではない。それを踏まえた上で、圭さんがその死をイメージさせる寺を避けていることへの意味である。圭さんは、寺を見詰め続けたにも拘らず、頑なに寺に入ろうとしなかった。そこからは、寺を「人間の死ぬ所」と知るに足る条件を備えた上で、寺を「人間の死ぬ所」と認識することを避け、寺自体から逃げる圭さん、即ち意図して「死」から逃れようとする圭さんの様子が見て取れる。それは大きく不確かな「世の中の寒さ」から、「夜具」に隠れ、「海老の様に」身を縮めて逃げていた幼き日の圭さんそのものではないであろうか。弔いの鉦を聞いて育った圭さんには、幼い時から「世の中の寒さ」と言うものが分かっていた。それは、寺が意味する人間の死を「世の中の寒さ」の最たるものと捉え、恐れていた圭さんを意味していると言える。であるからこそ、圭さんは夫から逃げるために「夜具」に包まり、「海老の様に」身を縮めていた。すなわち、寺に入らず生きて来たのである。

 さてその恐れを、圭さんは「鍛冶屋」の「かあんかあんと鉄を打つ音」を聞いているうちに思い出して来たのではないだろうか。その為、圭さんは碌さんに「寒聲寺」の「鉦の音」の話をし始めたのではないであろうか。そして、圭さんがその恐れを思い出させる「寒聲寺」の「鉦の音」を忘れたくとも、「鍛冶屋」の音は以下の様に、途切れても途切れても又蘇って来る為、忘れる事が出来ない。「鍛冶屋」の音は、幾度も幾度も圭さんに「寒聲寺」の「鉦の音」を訴え続けるのである。

・一度途切れた村鍛冶の音は、今日山里に立つ秋を、幾重の稲妻に砕くつもりか、かあんかあんと澄み切つた空の底に響き渡る。

・村鍛冶の音は不相変かあんかあんと鳴る。

・村鍛冶の音は、会話が切れる度に静かな里の端から端迄かあんかあんと響く。

 そしてその度に、圭さんの言葉は以下の様に変わっていく。

・「あの音を聞くと、どうしても豆腐屋の音が思い出される」と圭さんが腕組をしながら云ふ。

・「まだ、かんかん遣つてる」

・「頻りにかんかんやるな。どうも、あの音は寒聲寺の鉦に似ている」

 これらの言葉が、圭さんが当初語っていた「鍛冶屋」のイメージと異なっていることは言うまでもない。此処で「豆腐屋の音」とも言い換えられている「寒聲寺の鉦」を圭さんは死の音として、幼少時「夜具の裏で海老の様」に身を縮めて聞いていた。布団に包まり身を丸くするその仕草は、何かから逃れようとする行為である。それが恐れの感情を表していると考えるのは間違いがなさそうな所。それを圭さん自身も意識しているからこそ、「巧み」で「綺麗」と捉えていた「鍛冶屋」の「鉄を打つ音」を、「まだ」「頻りに」と煩わしさを強く意識している語を付加することで、段々と耳障りなものとして捉えて来たことを示しているのではないか。

 此様に、圭さんは当初肯定的に感じていた「鍛冶屋」の「鉄を打つ」音を、「寒聲寺」の「鉦の音」を思い出すことによって、否定的なものへと変えて来た。それは圭さんの意識が、自己の意識から、徐々に地の文が語っていた不穏げな「鍛冶屋」へと近づいて来たことを意味している様に思われる。そこから考えるに、当初の圭さんと地の文の間にあった「鍛冶屋」における表現の差異の理由は、圭さんの意識の変遷を、地の文が予め予言していたために起こった時間差の歪みであると言えるのではないだろうか。そのため、同じ地の文の間でもその描写の対象が、音の響く背景からその音自体へと、段階的に移行していったのではないかと考えられる。

<その4 豆腐屋>

 では次に、先に挙げていた疑問である「豆腐屋」と「寒聲寺」の「鉦の音」との関連を考えていきたい。

 圭さんは「まだ馬の沓を打つてる。何だか寒いね、君」と言う言葉から、「僕の子供の時住んでた町の真中に、一軒豆腐屋があつてね」と続けていた。此「まだ馬の沓を打つてる。何だか寒いね、君」と言う言葉は先に示した様に、「寒聲寺」自体を表している。そこから、此第一声の時点で、実は既に圭さんは「寒聲寺」の「鉦の音」を意識していたと言える。にもかかわらず、圭さんはその「寒聲寺」の「鉦の音」より先に、「豆腐屋」のことを語った。そこから考えるに、圭さんにとって「寒聲寺」の「鉦の音」を語るためには、「寒聲寺」自体よりも先ず「豆腐屋」の説明から入らなければならなかった理由があると言える。

 では、その理由はと言うと、勿論第一に挙げられるものは「僕は豆腐屋の子だよ」とある様に、圭さん自身が「豆腐屋」であるが故であるのだが、圭さんはその「豆腐屋」の生まれである自分を、出来る事ならば言わずに隠して置きたかった節がある。碌さんが「君の家は全体どこにある訳だね」「だから、どこにある訳だね」「豆腐屋の向か、隣りかい」「どこの」「へええ。そいつは......」と、繰り返し問いさえしなければ、圭さんの語る生家は、あくまで「豆腐屋」の「音が聞こえる所」としか表現されず、「豆腐屋」自体であるとは言われなかったのである。出来る限り「豆腐屋」である自分を隠そうとするその行為からは、圭さんの「豆腐屋」へ対する厭いの様子が見て取れる。では、その感情はどこから来ているのであろうか。

 さて、圭さんは「豆腐屋」の起きる様子を、「門前の豆腐屋が屹度起きて、雨戸を明ける」と表していた。「屹度」とは、以下四例の意味を持つものである。

1.話し手の決意や確信、また強い要望などを表す。確かに。必ず。       2.表情や態度などが厳しい様。                       3.行動。状態に緩みのない様。                       4.動作が瞬間的に行われる様。急に。咄嗟に。

 以上からすると、圭さんの語っていた「豆腐屋」の行動とは、「毎朝四時頃」に<確かに><必ず>起きるか、<厳しい表情>で起きるか、寝起きにもかかわらず<きっと緩みのない動作>であるか、<急に素早く動き出す>か、此何の意味で「屹度」を用いたにしても、その態度は緊張に満ち溢れたものである。そこから、一見何気ない副詞の中にも、起き抜けから油断が許されない「豆腐屋」の生活感が強く示されていると言っていい。それは、「ぎっぎっ」「さあさあ」と以下続けざまに語られる、連呼のオノマトペによる臨場感の喚起からも言えることである。「豆腐屋」は、朝起き、「雨戸を明け」て朝日を入れた次の瞬間から、既にきびきびと音を立て、仕事を始めているのである。また、此擬声語で言えることはそれだけではない。仮に、ただ見た風景を語るだけであるならば、擬声語はそれほど必要ではない。擬声語が深く印象に残るのは、その風景を見た時ではなく、その風景の音を聞いた時である。圭さん自身が「そんな音が聞こえる所にあるのさ」と語っている様に、圭さんはあくまでその「豆腐屋」の朝の風景を、見ていたのではなく、聞いていたのである。どの様な状態で聞いていたのかと言うと、「布団のなかで世の中の寒さを一二寸の厚さに遮って聞いている」のであり、「夜具の裏で海老の様に」身を縮めて聞いているのである。布団で身を隠し体を丸くする、その防御の様な仕草からは、圭さんがその音を決して聞いたいとは思っていない心情が読み取れる。

 論点を戻すと、圭さんは「寒聲寺」の「鉦の音」を語る前に、「豆腐屋」と言う言葉を語っていた。そして、「寒聲寺」の「鉦の音」を語った後に再び「豆腐屋」を持ち出している。その「豆腐屋」に挟まれた「寒聲寺」の「鉦の音」と言う状態からわかることは、圭さんが「豆腐屋」を、あくまで「寒聲寺」の「鉦の音」と関連させて記憶していると言う証明ではないであろうか。圭さんにとって「豆腐屋」の朝の音は「寒聲寺」の「鉦の音」と共に始まる音なのである。またそれは、「豆腐屋」の一日の営業を閉める際にも言えることである。「夫から垣根の朝顔が、茶色に枯れて、引っ張るとがらがら鳴る時分」「又鉦が鳴る」「夫から門前の豆腐屋が此鉦を合図に、腰障子をはめる」とある様に、「豆腐屋」ははっきりと寒聲寺の「鉦を合図」にして、「腰障子をはめ」営業を終わる。そして、「かんかんと云ふ声を聞きながら僕は二階へ上がって布団を敷いて寝る」とある様に、圭さんはその「鉦の音」と共に「寝」るのである。圭さんにとっての一日は、「寒聲寺」の「鉦の音」と共に始まり、「寒聲寺」の「鉦の音」と共に終わるのである。また、その一日の終わりの際に聞こえて来る音は、「寒聲寺」の「鉦の音」だけではない。「垣根の朝顔」も音を出している。朝顔とは、その名の通り、誰よりも何よりも早く、朝一番に花を開く。それは、「毎朝四時頃」の「寒聲寺」の「鉦の音」と共に目を覚まし動き出す「豆腐屋」と重なりはしないか。そしてその朝顔は、圭さんの目の前で「茶色に枯れて」音を出す。それは、文字通り命が尽き果てていると言える。圭さんは一日の終わりを、生命の終わりと共に迎えているのである。それはまさしく、「寒聲寺」の「鉦の音」が弔いの音として響いていることを象徴している。圭さんの言う「寒聲寺」の「鉦の音」の<かね>が、本来ならばこちらこそが時刻を表す筈の釣鐘の<鐘>ではなく、読経で用いる叩鉦の「鉦」である意味は、此処に強く示されているのである。圭さんは、弔いの音を合図に生活をしている「豆腐屋」を、垣根に垣間見える朝顔に重ねていたのではないか。朝早くから油断を許されず花を開き、日が暮れると共に枯れ果てる。その切ない朝顔の生涯を、そのまま「豆腐屋」に重ねていたからこそ、圭さんは「寒聲寺」の弔いの「鉦の音」を布団の中で身を縮めて聞いていたのである。人の死を表す音で起き仕事を始め、人の死を表す音で仕事を終え、また眠りにつく。その生活は正に、以下に示された言葉の中に端的に表現されている。

圭)「それだから猶貧民に同情が薄いんだ」[四]

 此処で圭さんの表した「貧民」すなわち、貧しさ故に生きるか死ぬか、瀬戸際での生活を余儀なくされている人間を示している言葉、これが圭さんが布団の中で怯えていた「豆腐屋」の生活そのものであったのである。人の死を表す音であろうが何であろうが、その音を合図に仕事を始めなければ、そもそもの生活が成り立たないのである。人の死の音を頼りに、己の死を避けるために商売をする。その様な「豆腐屋」の生活は、圭さんにとって、正に寺と同じく人の死を表す商売のそのものであったに違いない。そのため、圭さんは「門前の豆腐屋」と「豆腐屋」に「門前」を付けることで、「豆腐屋」と寺との関連を示し続けたのである。圭さんは人の死を連想させる生家の商売を、死の恐怖と重ね合わせ、恐れていたと言える。であるからこそ、碌さんへ対しその商売を、隠し通せるものならば隠したいと思っていたのではなかろうか。

 また、圭さんが「豆腐屋」を人の死と関連付けて考えていることは、以下の箇所からも言えるだろう。

・圭)「頭ばかりぢやない。世の中には頭のいい豆腐屋が何人いるか分からない。夫でも生涯豆腐屋さ。気の毒なものだ」[一]

・圭)「うん華族や金持が、ありや今でも豆腐屋ぢやないか、君」[一]

 圭さんは、己の生家を「夫でも生涯豆腐屋さ」と「豆腐屋」と断定しつつ、その反面「日に何遍云っても云い足りない位、毒々しくって図迂図迂しい」[五]として敵視している。「華族や金持」に対しても「ありや今でも豆腐屋ぢやないか」と言っている。それは一見、矛盾に思える。しかし以下の様に考えると、それは別の見方を持つのではなかろうか。

 つまり、生活が苦しく、明日もしれない身であるが故に、死を匂わせている「貧民」が「豆腐屋」であるならば、また反対に、その様に、「貧民」を貧しさ故の死に追いやっている華族や金持」も「豆腐屋」であると言えるのではないかと言うことである。死にさらされている「貧民」と、「貧民」を死に晒している「華族や金持」とが共通して匂わせているもの、それは、加害者被害者の違いはあれど、<死>と言うキーワードである。その<死>と言うキーワードが、此部分では、「豆腐屋」と言う言葉に託され、示されていたのである。それ故圭さんは死に脅かされている「貧民」と、死を脅かしている「華族や金持」と言う対立している二つの存在を、同じ「豆腐屋」に喩えるという、一見矛盾した言動をとったのである。此様に圭さんにとって、「豆腐屋」とは「寒聲寺」の「鉦の音」と<死>と言う概念を持って通じていたと言える。

 そしてまた、その生家の「豆腐屋」を圭さんが厭うていることは、寺を避けている圭さんと同じく、<死>から逃れようとしている圭さんを表していると言えるのである。


参考資料:『夏目漱石「二百十日」論-漱石のメッセージを読み取るために』鵜川紀子(2006-07、清心語文)

『二百十日』夏目漱石(明治三十九年、中央公論)


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