二葉亭四迷(4) 「浮雲」の恋愛観

 前の記事では、『浮雲』を社会批判として観察する視点を持ったが、今回は、『浮雲』の語る恋愛観について見ていこうと思う。

 そもそも「恋愛」というものは西洋文学におけるロマンティックな愛の形を知って、近代日本の文学者たちが明治二十年代頃に「恋愛(ラブ)」という翻訳語を作り出すことによって新たに認知された新しい観念であった。従って二葉亭が描いた「恋愛」が新鮮なものであったという言い方は正しくない。むしろ、明治二十年に出版された『浮雲』第一編は、「恋愛」という新しい感情の形態を初めて提示したのである。

尤も『浮雲』の中に「恋愛」という言葉は使われてはいない。だがそこで描かれている男女の関係が、同時代の詩人や思想家——例えば巌本善治や北村透谷——らによって「恋愛」という言葉によって定式化されつつあったものとほぼ同じ内容を持つものだったことは疑いない。

 主人公文三は叔父の家に寄宿しているが、其娘——つまり文三の従妹——お勢の、事実上の許婚であるかの様に遇されている。しかし、二人はそのことを、お勢の親が其様に決めたということではなく、お互いに人間的好意を抱いているからだという様に認識している——あるいは其様に捉えたがっている。

 男女がそれぞれの人間的資質を評価し、そこに惹かれることによって恋愛感情が生まれ、そしてそれが婚姻関係の基礎になるというのは、近代的なロマンティック・ラヴ・イデオロギーの柱の一つである。やがて職を失ってお勢の態度が自分に対して冷たくなっていくと、文三は其事態が理解できない。人間として愛し合っていたはずなのに——お勢は、親の取り決めたのではなく、尊敬の念から自分を愛していたはずなのにと、合点のいかない文三は、「相愛は相敬の隣に棲む。軽蔑しつつ、迷ふといふは、吾輩人間の能力の能く了解し得る事でない」(第一巻八二頁)と心に思っては煩悶するのである。

 行為の感情が相手の人格の高さに向けられた尊敬の念であり、精神的なものであるというのもロマンティック・ラヴの特異な発想であった。

 そして、そこにはまた西洋の宮廷風恋愛に発し、ロマンティック・ラヴに受け継がれたところの女性崇拝の観念も存している。文三はお勢の美しさに打たれるとともに、その人格的高潔を尊敬し、崇めているのだ。文三の元同僚で、お勢をめぐる恋敵でもある様な昇は揶揄して、文三がお勢の様な「女本尊」に思いつかれて羨ましいと冷やかすが、「本尊」という規定は的外れではないのである。

 そこで恋愛感情は、高尚な理想を共有する仲間あるいは友人同士の様な形態を取る様になる。第三回「風変わりな恋の初峯入り」でお勢に不器用な愛の告白をしようと試みる文三は、お勢が彼を慕っているかの様な口振りで話すので、そのことに力を得るものの、それでも彼女と「親友の交際」ができないという。何故と問われて、文三は相互の真の理解が欠如しているからだと訴える。恋人同士は相手の主義主張や信念というものを理解しあえる友人であり同士でなければならないのだ。

 このロマンティック・ラヴ・イデオロギーは明治二十年前後から啓蒙主義者、キリスト教系思想家・文学者などの著作において次第に紹介され、推奨されていった。「恋愛」という言葉を決定的に印象付けたのは北村透谷のエッセイ「厭世詩家と女性」(明治二十五年)であった。恋愛至上主義、情熱恋愛、精神的愛と肉体的欲望の二元論、女性崇拝などが透谷の一連の恋愛をめぐるエッセイの根本を形成していた。「恋愛は人生の秘鑰[ひやく 秘密の鍵]なり」という「厭世詩家と女性」の書き出しが明治の文学青年達に圧倒的な感銘を与えたことはよく知られているが、透谷はこうして「恋愛」という新しい言葉と、それによって表現される新しい概念を一般化したのである。

 二葉亭は『浮雲』の中でも、また他の著作でも「恋愛」という単語を用いてはいない。だが、それと同じ含意で使われていた、すなわち精神的な意味での「愛」・「愛する」が『浮雲』にはしばしば使われているのである。文三が呟く「相愛は相敬の隣に棲む」という表現は、女学雑誌系の書き手の口調を想起させるものであり、二葉亭はこの雑誌を読んでいたのだろう。お互いに理解しあっていないから親友にはなれないと文三に言われたお勢だがそれを肯んじず、彼のことをよく理解していると切り返す。これに対して文三はあくまでもお勢は彼のことを理解していないと言い募り、例として、自分には親より大事な者がある。それをお勢は知らないと伝える——勿論、貴嬢のことを誰よりも思っているのですよという謎かけである。

 お勢はこう答える。

「(......)親より大切な者は私にも有りますワ」               文三はうなだれた顎を振揚げて                       「エ貴嬢にも有りますと」                         「ハア有りますワ」                            「誰......誰れが」                             「人ぢやないの、アノ真理」

 愛を確かめあえるかという期待に肩透かしを喰らわされて落ち込む文三だが、むしろそのことでお勢に更に尊敬の念を強め、「真理、アア貴嬢ハ清浄なものだ、潔白なものだ」と感嘆してやまないのである。ロマンティック・ラヴはこの様に「真理」という様な、精神的・人格的価値と同じ範疇にあるものだったのだ。

 ロマンティック・ラヴは精神的なもの、「高潔」なものであるから、当然に、逆に肉体的なものに対する軽蔑も伴っていた。潔白な恋人達は卑猥な衝動を自らに禁じなければならない。文三は「お勢の前ではいつも四角四面に喰ひしばつて猥褻がましい挙動はしない。」(第一巻二七頁)更に「尤も嘗てぢやらくらが高じてどやぐやと成ツた時今まで嬉しさうに笑ツていた文三が遽かに両眼を閉ぢて静まり返へり何と言ツても口をきか」ない上、ついには「我々の感情はまだ習慣の奴隷だ」と言って、お勢を部屋から追い出してしまうのである。「ぢやらくら」とは大言海によれば「男女相互に、痴話をする事」とある。「どやぐや」に対しては小学館日本語大辞典は『浮雲』のこの箇所を引用して、単に「騒がしい事、また混乱する事」という定義を与えているが、ここには明らかな性的コノネーションがあって、親しげに話をしたり、じゃれあったりしているうちに、むらむらしてきて、肉体的接触が始まりかけたのだと解釈していいだろう。そして、この衝動は鎮めなければならず、それができなければ江戸の男女と同じ事で、恥ずべき事だと文三は考えるのである。


 また、先に引用した「習慣」という言葉には別な箇所では「二千年来の」という形容が付けられているが、実際には、江戸後期、化政期以降の男女関係がイメージされていると考えられる。もっと端的に言えば、人情本の世界、そしてそれを代表する為水春水の『春色梅暦』で描かれている様な世界であった。『春色梅暦』は明治の初年代の文学者にとって必読の書——と言って悪ければ、誰もが深く馴染んだ文芸世界であった。

 文三とお勢が「二千年来の習慣」を破るという時には、この人情本世界が含意されていると考えなければならない。『浮雲』が新旧世代の対立を描き、文三と文三の元同僚でありライバルでもある昇が新世代を、お勢の両親孫兵衛とお政が旧世代を代表するというのは既に指摘されている。男女関係を軸にとれば、この対立にあって文三とお勢は「西洋主義」に基づく、新しいロマンティック・ラヴを追求し、昇とお政は江戸の性愛観・婚姻観——人情本や女大学の世界——に立脚している。娘を評して、「是れが奥[手]だからの事サ 私共がこの位の時分にやアチョイとお洒落をしてサ小色の一ツも稼いだもんだ」(第一巻三七頁)などという母親のお政はお勢に「また猥褻」と顔をしかめられる。それはお勢にとって「恋愛」が色男と娼妓・芸妓の間のものではなく、高尚で純潔なものでなければならないからだ。そこでお政が「多年の実験から出た交際の規則」、つまり若い男に冗談を言われたらこう、お世辞を言われたらこうしなさいなどのレッスンを与えようとすると、お勢は「明治生まれの婦人ハ芸娼妓で無いから、男子に接するに其様な手管ハ入らない」と抗弁する。更にお政が「手管」ではなくて「娘の心掛」だと諭すと、「そんな事ハ女大学にだツて書いて無いと強情を張る」のである。

 昇も同じで、道学者流では無い立場から、文三とお勢に対して、よろしくやりなさい、いや、よろしくやっていて羨ましいという意味を込めて、文三を『梅暦』の眼差しから丹次郎と呼ぶのである。

「内海は果報者だよ。まづお勢さんのやうな此様な(......)頗る付きの別品加之も実の有るのに想い附かれて叔母さんに油を取られたと云ツては保護して貰ひや何だと云ツては保護して貰ふ実に羨ましいネ、明治年代の丹治と云ふのは此男の事だ」(一一〇頁)

 昇は揶揄しているが、お勢に好かれて羨ましいというのは本心を語っている。丹次郎の様に振る舞うことは彼の理想であるのだ。そして其理想とは美人に「保護」してもらうということであり、これは西鶴の好色一代男というよりは、ジゴロ的な性格の強かった、人情本の色男達の特性なのである。

 猥褻な江戸の「習慣」を脱して、「西洋主義」の、「清浄」、「潔白」な「恋愛」を構築しようとしている文三にとっては、しかしながら、この喩えは侮辱でしかない。そこで彼は、

「僕の事を明治年代の丹治則ち意気地なしと云った(......)痩我慢と云って侮辱したも丹治と云って侮辱したも帰する所は唯一の軽蔑からだ(......)お勢を芸娼妓の如く弄ぼうが」(一一二頁)

 と食ってかかるのである。「丹治」と名指されて「意気地なし」と言い換えるのは、人情本のヒーローが、女性に寄生するやさ男であったからだが、「きわめつきの別品に慕われてうれしかろう」という発言も文三の意に適わない。それは文三と、少なくともこの時点でのお勢の理想が、精神主義的な男女関係を構築することにあり、それは肉体的魅力よりも、人格的高潔に基づく物でなければならなかったからである。

 二葉亭の恋愛論は、先にも少し触れた女学雑誌系の啓蒙思想家達の恋愛論にもはっきり表明されており、女性は外面的よりも内面的に美しくなければならなかった。——そして、まさに其様な人格・知性・徳性の美によって男性に尊敬され、愛されなければならない。巌本善治に至っては、女性の肉体的美を望ましく無いものとして斥けさえする。二葉亭は明らかに巌本流の女学雑誌系の言説を取り入れて、その上で文三、お勢、昇の思想・性格の対立を描き上げている訳だが、その点では彼は逆説的ながらロシア文学を裏切ることになる。と言うのは、二葉亭が『浮雲』を書くに際して参考にしたとされるゴンチャロフの『断崖』ドストエフスキーの『罪と罰』、あるいは並行して多く翻訳していたツルゲーネフの作品には透谷や巌本が標榜していた様なロマンティック・ラヴの理念が典型的に表現されているとは言えないからである。

 例えば『浮雲』第一篇と第三篇を挟む様にして出版された「あひびき」と「めぐりひ」だが、どちらも恋愛を扱っているものの、「あひびき」は農民の娘が村の洒落男に弄ばれる話しだし、「めぐりあひ」こそ、異国の地で語り手が垣間見た美しい女性と運命的に繰り返し二度出会う話だが、謎めいた女性の容姿の美に惹かれるのみで、そこに精神的なもの、人格的なものは何ら介在していない。その上、相手には男がいて、語り手である主人公の片想いに終わるだけで、これも女学雑誌的な恋愛とは異なる。また、出版こそしていないものの、ツルゲーネフの『父と子』を試訳したことは、自らの、また坪内らの回想から知られる事だが、この作品ではニヒリストであるバザーロフとオディンツォヴァの関係は、「清浄」で「相敬に基づく」と言ったものとは程遠い。更に、もう少し後の訳業だが、『片恋』もやはり清らかな乙女アーシャの男に寄せる一方的な恋の物語であり、これも二葉亭の恋愛論からは逸脱している。ロマンティック・ラヴは男の方が女を恋い慕うことが新しかったはずなのだ。

 では、『浮雲』との直接的な影響関係が最も多く語られているゴンチャロフの『断崖』はどうか。既に紹介した様に、『浮雲』の登場人物、文三-お勢-お政-昇は、『断崖』のそれ、ライスキー-ヴェーラ-タチアーナ-マルクを置き換えたものであると言う説は、様々な修正を受けつつ、多くの研究者によって受け継がれている。しかし、『断崖』にはヴェーラやマルクが登場する本筋の前に長いプロローグがあって、その部分にはライスキーがソフィアという女性を口説こうとする、恋の鞘当ての物語になっているのである。しかも、ソフィアは、お勢が文三のそれである様に、ライスキーの従妹なのである。つまり、文三とお勢の関係は、ライスキーとソフィアのそれがモデルになっていると見做してもいいと思われる。

参考資料:『二葉亭四迷:くたばってしまえ(ミネルヴァ日本評伝選)』

     『浮雲/二葉亭四迷』


  

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