坪内逍遥(3) 坪内逍遥の文体変化2/2

 此記事は黄旭揮氏の論文をまとめたものである。

<『細君』に見る新たな文章作法>

情景照応的な表現法の導入

『当世書生気質』が上梓された四年後、「国民之友」に刊行された『細君』は、”作家の外様形式文体”においても”作家の思想表出文体”においても、共に『当世書生気質』より一歩も二歩も前進した作品であり、まさに逍遥が小説家として歩んできた短い生涯の中で最も頂点に上り詰めた時期に創作された傑作であると言えよう。”作家の外様形式文体”では、自らの「俗言に八七情ことごとく化粧をほどこさず現はる」という意思に従い、地の文中で俗文体の成分が多分に残った、いわば「雅言をも交へ用ひて、俗言八分の文となしたり」という比較的新味のある文体を試みた。これは、登場人物の人間性の内面追求に見事に成功したことからも、”近代小説的な言文一致体”と呼べるものだろう。

『当世書生気質』と同様に、『細君』にも文語文体による旧套的な表現が僅かながら点在して居る。例えば、第三回に出現した「好事門を出でぬに、醜聞は萬里を走る」という漢文調の文句や、「今も昔も依々として、他人によるの弄びと、身を下す人の哀さよ」の様な七五調による描写場面である。それは、『当世書生気質』での複合式文体の採用意識の経脈を汲んでいるものと見られるが、『細君』全編を通し、其の使用頻度が低く、物語の進行に適当な表現として結び付けられて居る様だ。また、この作品では、『当世書生気質』に見られた戯作的な趣意が消えており、作品の創作志向においても喜劇性の高い内容を持つ『当世書生気質』とは違い、悲劇的な内容になって居る。例え文体上、やや文語的な筆致を用いているにしても、『細君』は、創作上の態度、観察、主眼など、多岐に渡って『当世書生気質』とは異なっているのである。

 小森陽一氏は「新たな物語の発生は、新たな文体の成立によって与えられるのであり、新たな文体の生成は、其の中に新しい物語を胚胎させているのである。」と述べている。逍遥は、『細君』においてまさに俗言を踏まえた新種の雅俗折衷体によって、見事に”作家の思想表出文体”を作り上げた。つまり、”近代小説的な言文一致体”とも言うべき新文体の採用により、『当世書生気質』に見られる様な外形的で手法的な写実から、より深層心理の写実へ発展深化させたのである。具体的に説明すると、逍遥は、『細君』の地の文において、特に主要人物の心境描写におき、『当世書生気質』では扱われてこなかった新奇な表現法を導入し、人物の内面をより生彩に描き出し、これまでにない写実性を獲得したのだ。

いつしか夜明けを告る鶏の声々、しののめの薄明りはや戸の隙に著し。行末の頼みなき身は新しく明けゆく空も何楽み、力なげに起き直り、襟かきあはせ姿つくろひ、起たんとしたる足元へ、すべり落るハンケチは、幾千行の涙に湿り、萎垂れて色変れり。夫が洋行せし年に買収し船来品、洗ひざらして不断のハンケチ、これも我身の薄命に似たと思へばムラムラとまた湧きかへる無量の涙...(略)

 冒頭の「いつしか夜明けを告る鶏の声々」以降の叙景描写は、作中人物の悲しい心情にとって必然的な見え方であろう。読者は、視点人物が醸し出す空気を捉える事により、其の心情を切々と語られるよりも、それを取り巻く環境の一つ一つから人物の現状況や雰囲気を肌で感じ取ることができる。「力なげに起き直り」や「すべり落るハンケチ」など直接肌を刺す様な思い切なさは、其の叙情の深さ故、読者を感情移入させる効果もある。其のため、視点人物の現時点の感情をリアルに読者に伝えると言う表現の目的に照らしてみても、作中人物の心境を直接反映する手段として叙景描写が相応しく、且つ、必要な表現であると思われる。『細君』では、この様に、人物のセンチメンタルな感情を直接反映する叙景描写を交える手法の採用により、細密な表現手法で人物の内面性や心の動きを描き出す事に成功したのだ。つまり、作中人物の心的な状況をリアルに叙景描写化すると言う一つの”作家の思想表出文体”が作り上げられたのである。

性格解析的な容貌描写の試行

 一方、同じ心境描写でも『当世書生気質』では、次の様な様相が呈されている。

苦しき今の身の上こそ、身に学問のなきゆえなれ、ただ僥倖をたのしみとして、栄華に飽きし一生の、不覚なりきと漸くに、悟ればむかし恨めしく、せめて我子の燦爾には、飽くまで学問を修行させて、よしや官途に就かざるとも、糊口の道には懸念のなさ、博士学士になさまほし、と思ふ心の切なるから、苦しき中にも融通して、燦爾が十五の春よりして、ある英学の私塾には通はせ、其勤学を奨励せるる、...(略)

 この場合は、あくまで視点人物の心情のみを描き、それを取り巻く叙景描写が一切書き出されていない。視点人物の感情がストレートに漂泊されているにも拘らず、単なる物語の一節としてしか捉えられず、『細君』の様な、風景を通しての具象化の努力は見られない。逍遥の写実的な姿勢の相違は、実は人物描写にも現象している。次に挙げるのは、『細君』の人物描写の場面である。

年は廿五六、中背にて姿はよけれど、痩がたと言ふよりは痩せすぎといふ爪はづれ。貌はやつれて色は青白く、頬高く見えて目は少し凹み、眉も生際もいと薄く、不人相といふではなけれど、愛嬌は微塵もない、何処かありさうなと探しても、目尻は少し釣り上がり、小さい口元は堅くしまり、額の上の青筋のみ只ありありと目について、どう見直しても、意地わるさうな、不気味な、陰気な、勢ひのない。...(略)

 小間使い・お園の認識に基づく細君の容貌描写、中でも顔つきは、極めて念入りに描き出されている。ここで彼女の体格に結びつく要素が全く叙されないわけでもないが、狙っているのは、明らかに彼女の容貌の浮き彫りに他ならない。顔色、頬、眉、目、口が順序よく押えられ、其の一つ一つが精細に辿られており、明らかに絵画的な構図が意識的に行われているものである。殊に「頬の上の青筋」と言う、ある意味で欠点にもなりかねない特徴の注記がなされる事によって、人物のマイナスの性格まで刻み込まれており、より一層のリアリティーが増す事になった。この様に、作中に極めて重要な人物である細君は、其の名前や素性が提示されておらず、容姿容貌だけが描きだされ、更に、そこから彼女の性格に関する推測がお園によって行われる。亀井秀雄氏が「いわゆる近代文学を創造した作品によって初めて顔への関心が高まった」と指摘している様に、作中人物の顔の描写によって、其の人物の内面の性格を描き出そうとする方法は、既にこの時期の小説表現の一つの新しい課題であった。『細君』は、二葉亭四迷の小説理論の影響の中、逍遥自らの「模写小説」を下敷きにし、書き上げた作品である。上記の登場人物の容貌描写は、二葉亭の「成程目付顔色などの具体的描写をして、それで心内の波乱や葛藤を見せることも必要だ」と言う主張から影響を受け、生み出された部分であると考えられる。

 次に『当世書生気質』における同じ容貌描写の場面を挙げる。

婦人二個は数寄屋町歟、新橋あたりの芸妓と見え、一個は年頃二十五六、一個はやうやう十七八。いずれも頗る別品なれども、若きは殊更曲者にて、尚赤襟の色さめぬ、新妓なりとは見えながらも、客をそらさぬ如才なさ、花の巷の尤物とは、其学動にも知れたたり。其容貌はいかにといふと、痩肉にして背も低からず、色はくっきりと白うして鼻筋通り、眼はちとばかり過鋭あれど、笑ふところに愛嬌あり、紅は剥げたれども紅なる唇といひ、眉根といひ、故人となりたる田の大夫の舞顔に髣髴たり。...(第一回)

 二人の芸妓登場の場面の中で特に標準が合わせられた若い芸妓・田の次の容貌描写の内容からしても明らかな様に、逍遥は全面的な描写を目論んでいないことがわかる。「色ははっきりと白うして鼻筋通り」「笑ふところに愛嬌あり」と言う類型的・一般的な提示という点で『細君』とある程度共通している。しかし、そこには『細君』に見られる様な、類似的・一般的な提示により、作中人物の性格までが捉えられる描写場面が見受けられず、描き出されたのは、単なる一般的説明の枠を抜けない平面的描写である。また、この引用文では、彼女の容貌や服装の視覚的イメージに基づく推測や判断——「数寄屋町歟、新橋あたりの芸妓と見え」——が付け加えられている。田の次の容貌描写は、単に彼女が「花の巷の尤物」であるというイメージ作りを図ろうとする意図強化を持つために、従属させる付属品だけのものであって、『細君』で示されている様な人物の性格を理解するための一種の解析的な描写ではない。つまり、性格解析的な容貌描写こそが『細君』の人物描写の一つの特性であるのに対し、『当世書生気質』の容貌描写は、単に人物描写にとっての一つの付加説明的なものに他ならない。こうして、同じ直感的な手法で描き出された容貌描写でも作中人物の性格などの深層描写を導き出させる点において、『当世書生気質』の描写が及ぶところではないことが上記の分析で明らかになった。

 以上の様に、心境を表すための叙景描写でも、人物像を表すための容貌描写でも、「人物の内面を描く」点において、『細君』は、『当世書生気質』より進化した作品であると言える。つまり、逍遥は『細君』において”近代小説的な言文一致体”という新たなる”作家の外様形式文体”を試みる事により、作中人物の心的状況を表す叙景描写や、性格の一端を垣間見せる容貌描写を確立した。そして、外面から内面へ、類型から個性へと、かつてなかった新しい”作家の思想表出文体”を作り上げたのである。たとえ”写実”というリアリズム志向を抱いた者であっても、いつ何時も同じ模写態度で臨み、同じ文章作用を用いるとは考え難い。ひたすら事物の外形の描出に専念する時もあれば、現実の奥に潜む物の真実を深刻に問う時もある。この様な作家の作品に対する姿勢の違いにより、現れる描写の差異は逍遥の代表的な二つの作品を分析する事で明らかにすることができた。

参考資料:『明治文学に見る文体変化-坪内逍遥『当世書生気質』から『細君』へ-』黄旭揮


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