式亭三馬(1) 「浮世床」の文章を大正まで戻してみよう!

 式亭三馬は安永5年(1776年) - 文政5年閏1月6日(1822年2月27日)の戯作者である。彼の有名作「浮世床」は既に読み終わったが、余り理解が出来なかったので、分かりやすいように大正の文体まで戻してみよう。が、単語自体は余り置き換えない様にするので、訳の後ろに註釈を載せる。

<柳髪新話浮世床初編巻之上>

大道直して髪結床必ず十字街にあるが中にも。浮世風呂に隣れる家は。浮世床と名を呼て連並の髪結床。間口二間に建列る腰高の油障子。

 大道に面する髪結床は必ず十字路にあるが、中でも浮世風呂に隣れる家は、浮世床と呼んで軒を連ねる髪結床。間口二間に建て連ねられた腰高の油障子。

油で口に糊するも浮世と書たる筆法は。無利な所に飛白を付て蝕字とやらん號たる提灯屋の永字八法。其一方は。大長屋の路次口をひかえたり。

 油(鬢付け油)で口に糊するを浮世と書きたる筆法は、無理な所に飛白を付けて虫食いと為る提灯屋の永字八法の如し。其一方は、大長屋の路地口に控えている。

*口に糊する...貧しく生活する

*飛白...掠れた文字

*永字八法...書道に必要とされる基本技法八種。転じて、基本動作

且(まず)入口の模様をいはば。大峯山の小先達懺悔懺悔の梵天は。雨に洒落ても御丹精を遺し。小松川の大束買(おほたばあきない)。冬菜冬菜の畚(もっこう)は。霜にもまけぬ無掛直(かけねなし)をあらはす。されども不知(しらず)半分値。

先ず入口の模様を言えば、大峰山の小先達、懺悔懺悔の梵天は、雨に洒落ても御丹精を残し、小松川の大束書、冬菜冬菜の縄籠は、霜にも負けない無掛値を出すが、知らず知らずに腐っている。

*大峰山の小先達、懺悔懺悔の梵天...大峰山の山伏の法具で、結衣袈裟と言う物がある。これにはいくつか種類があり(大先達や中先達など)、其中の小先達を指している。結衣袈裟には、梵天がついており、懺悔懺悔(法具などで自らの過ちを悔いている?)の梵天と言っている。

*御丹精...結衣袈裟を作られた、僧侶の丹精。

*畚う...縄なわや竹・蔓つるを編あんで作った土砂どしゃの運搬道具。ここでは<縄籠>と言い換えた。

*無掛値... 掛け売りをしないで、正札どおりに現金取引で商品を売ること。

お花三文嘘八百。軽庵口の口入所は。縁談の世話印判の墨。孰を孰れ地口のごとく。御町便小使無用。孰を孰れ誤謬なるべし。

 お花三文嘘八百、周旋人の口入所は、縁談の世話印判の墨、孰れを見ても地口の如く。御町便の小使は、孰れも誤謬で無用である。

*軽庵口... 周旋屋などが、両方に受けのいいように取り繕って言うこと。信用のおけない言動をすること。転じて、周旋人とした。

尺蠖(せきかく)の屈めるは伸びんが為の九尺二間に。寓舎と書きたる宋朝様は。当世風の小儒先生。渇(かつ)しても盗泉の水屋に汲ませず。勝母の里にあらなくも。親子喧嘩の隣を移すは。易(えき)に所謂山雷顧の。卦象と中(あて)たる占やさんが。十有八変と筆太に見しらせたるは。轉宅の数をいへる歟。

 尺虫の屈めるは伸びんが為の九尺二間に、寓舎と書きたる宋朝様は、当世風の小儒先生。渇しても盗泉の水屋に汲ませず、勝母の里には帰らずに、親子喧嘩で家宅を移せば、易く山雷頤の卦象と当てる占いやさんが、十有八変と筆太に見せて来たのは、転宅の数を言ったのか。

尺蠖...尺取虫。ここでは、音感を残すため、尺虫とした。

小儒...四字熟語に章句小儒と言う言葉のある通り、経典の一つの語句や、一つの文字の解釈にばかりこだわって、経典に書かれている一番大切なことを理解しない人のこと。転じて、「小儒」はくだらない儒学者。

勝母...仏頂尊勝母と言う清の神のことを言っているのかも知れない。ここから、勝母の里とは天国の事か。

山雷頤(さんらいい)...六十四卦の中の一卦。六十四卦とは占いのひとつで儒教の基本経典でもある易で用いられる基本図象。又、山雷頤はトラブルに注意を言う意味を持つ。

寓舎...宮社(ぐうしゃ)を態と寓舎として、風刺したかと思われる。

本道外科と割て書たるデモ医者の表札は。和様に匙頭(さじのさき)も想はれ。造作附売居ありと。べつたり書たる紙張は大屋さまの書法正傳。さすがに律儀を想像れぬ。

本道外科と割て書たるデモ医者の表札は、和様に匙頭をも想われる。造作附、売居ありと、べったり書かれた張り紙は大家様の書法正傳。流石に律儀を疑心する。

*デモ医者...藪医者と同意。未熟で信頼できない医者。でも〜と言い訳を言う口上から取られたか。

*造作附...大屋によって手を加えられた家。一度以上リフォームされた家。

*書法正傳...中国の本。(詳しくわからなかったが、中国における聖書の様な物だろうか)

灸する所の招牌は些し左りへ曲り。ひめのり有の標識(かんばん)は究て圓し。或は四角の犬這入。或は三角の鳴子板。ひく三絃の稽古所あれば。鳴る尺八の指南所。士農工商混雑(こきまぜ)て。八百萬(やおよろず)の相借家。

 灸する所の招牌は些し左りへ曲り、ひめのり有りの看板は極めて丸し。或は四角の犬這入、或は三角の鳴子板、弾く三味線の稽古所あれば、鳴る尺八の指南所。士農工商混ぜ込んで、八百万の相借家。

*招牌...看板

*左りへ曲り、極めて丸し...社会的立場を表しているのか。

神道者は店賃の高天原に三十日の大祓を苦に病。釈氏は如是我聞長家並の定規を守るかと。差覗く一棟は。げにも長々の浪人者。宿昔青雲の掛橋を路地板と倶に踏外してより。猶いつまでか生の松。

 神道者は高天原の店賃に三十日の大祓を苦に病み、釈迦は如是我聞長家並の定規を守るかと、差し覗く一棟は、確かに長寿の浪人者。宿昔青雲の掛橋を路地板と共に踏み外してより、猶生きる松の如きしぶとさよ。

*高天原(たかまのはら)... 天上界。日本神話中の聖地で、神々が住んだところ。本文では神(神道者)でさえも代金の支払いに苦労すると言う意味だろうか。

*釈氏...釈迦。

*如是我聞...我はこのように聞いた、の意で、釈迦牟尼の遺訓に従って弟子の阿難が諸経の初めに置いたといわれる語。

*宿昔青雲...宿昔とは自己の過去から現在を指す。青雲は希望のようなものと考えると、『今までの希望』と言う意味になりそう。

高砂婆としるしたる温婆の名さへ愛たきに。鉢植の松は寒気に悴て、千歳の齢(よはひ)あぶなくも、戸揚の端に幾代(いくよ)をや經ぬらん。栄枯貧福さまざまなる中にも、楽隠居と見えたる老人、紙衣羽織に置頭巾して大路次より出来り。浮世床の門首に佇立-(会話文始)

 高砂婆と記したる温婆の名さえ愛でたきに、鉢植の松は寒気に悴(かじか)んで、千歳の齢危なくも、揚戸の端に幾代を経たか知れぬ。栄枯貧福さまざまなる中にも、楽隠居と見える老人、紙小羽織(こばおり)に置頭巾して大路地より出て来た。浮世床の門口に佇み、-

*高砂婆... 長寿と夫婦円満の縁起物である高砂人形から取ったか。


以上。最後に全文まとめて揃えよう。

<本文>

大道直して髪結床必ず十字街にあるが中にも。浮世風呂に隣れる家は。浮世床と名を呼て連並の髪結床。間口二間に建列る腰高の油障子。油で口に糊するも浮世と書たる筆法は。無利な所に飛白を付て蝕字とやらん號たる提灯屋の永字八法。其一方は。大長屋の路次口をひかえたり。且(まず)入口の模様をいはば。大峯山の小先達懺悔懺悔の梵天は。雨に洒落ても御丹精を遺し。小松川の大束買(おほたばあきない)。冬菜冬菜の畚(もっこう)は。霜にもまけぬ無掛直(かけねなし)をあらはす。されども不知(しらず)半分値。お花三文嘘八百。軽庵口の口入所は。縁談の世話印判の墨。孰を孰れ地口のごとく。御町便小使無用。孰を孰れ誤謬なるべし。尺蠖(せきかく)の屈めるは伸びんが為の九尺二間に。寓舎と書きたる宋朝様は。当世風の小儒先生。渇(かつ)しても盗泉の水屋に汲ませず。勝母の里にあらなくも。親子喧嘩の隣を移すは。易(えき)に所謂山雷顧の。卦象と中(あて)たる占やさんが。十有八変と筆太に見しらせたるは。轉宅の数をいへる歟。本道外科と割て書たるデモ医者の表札は。和様に匙頭(さじのさき)も想はれ。造作附売居ありと。べつたり書たる紙張は大屋さまの書法正傳。さすがに律儀を想像れぬ。灸する所の招牌は些し左りへ曲り。ひめのり有の標識(かんばん)は究て圓し。或は四角の犬這入。或は三角の鳴子板。ひく三絃の稽古所あれば。鳴る尺八の指南所。士農工商混雑(こきまぜ)て。八百萬(やおよろず)の相借家。神道者は店賃の高天原に三十日の大祓を苦に病。釈氏は如是我聞長家並の定規を守るかと。差覗く一棟は。げにも長々の浪人者。宿昔青雲の掛橋を路地板と倶に踏外してより。猶いつまでか生の松。高砂婆としるしたる温婆の名さへ愛たきに。鉢植の松は寒気に悴て、千歳の齢(よはひ)あぶなくも、戸揚の端に幾代(いくよ)をや經ぬらん。栄枯貧福さまざまなる中にも、楽隠居と見えたる老人、紙衣羽織に置頭巾して大路次より出来り。浮世床の門首に佇立-(会話文始)

<変更後>

 大道に面する髪結床は必ず十字路にあるが、中でも浮世風呂に隣れる家は、浮世床と呼んで軒を連ねる髪結床。間口二間に建て連ねられた腰高の油障子。 油(鬢付け油)で口に糊するを浮世と書きたる筆法は、無理な所に飛白を付けて虫食いと為る提灯屋の永字八法の如し。其一方は、大長屋の路地口に控えている。先ず入口の模様を言えば、大峰山の小先達、懺悔懺悔の梵天は、雨に洒落ても御丹精を残し、小松川の大束書、冬菜冬菜の縄籠は、霜にも負けない無掛値を出すが、知らず知らずに腐っている。お花三文嘘八百、周旋人の口入所は、縁談の世話印判の墨、孰れを見ても地口の如く。御町便の小使は、孰れも誤謬で無用である。 尺虫の屈めるは伸びんが為の九尺二間に、寓舎と書きたる宋朝様は、当世風の小儒先生。渇しても盗泉の水屋に汲ませず、勝母の里には帰らずに、親子喧嘩で家宅を移せば、易く山雷頤の卦象と当てる占いやさんが、十有八変と筆太に見せて来たのは、転宅の数を言ったのか。本道外科と割て書たるデモ医者の表札は、和様に匙頭をも想われる。造作附、売居ありと、べったり書かれた張り紙は大家様の書法正傳。流石に律儀を疑心する。灸する所の招牌は些し左りへ曲り、ひめのり有りの看板は極めて丸し。或は四角の犬這入、或は三角の鳴子板、弾く三味線の稽古所あれば、鳴る尺八の指南所。士農工商混ぜ込んで、八百万の相借家。神道者は高天原の店賃に三十日の大祓を苦に病み、釈迦は如是我聞長家並の定規を守るかと、差し覗く一棟は、確かに長寿の浪人者。宿昔青雲の掛橋を路地板と共に踏み外してより、猶生きる松の如きしぶとさよ。高砂婆と記したる温婆の名さえ愛でたきに、鉢植の松は寒気に悴(かじか)んで、千歳の齢危なくも、揚戸の端に幾代を経たか知れぬ。栄枯貧福さまざまなる中にも、楽隠居と見える老人、紙小羽織(こばおり)に置頭巾して大路地より出て来た。浮世床の門口に佇み、-


参考資料:『浮世床/式亭三馬(和田万吉校訂)』岩波文庫黄230-1 1928,1

追記ー投稿遅くなってすいません。学校が始まり、バイトも課題もある中で、noteを更新するのはとても大変です。これからは更新頻度が下がることがあると思いますが、書き続けるので、失踪などはしません。ご理解ください。




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