夏目漱石(5) 坊ちゃんについて3/3

『坊ちゃん』に出て来る蜜柑の木

 本文を読み返して居て、これまでさして注意もして居なかった一本の蜜柑の木が意味深く思われる様になった。芥川龍之介の短編「蜜柑」(大8・5)を踏まえて考えてみると新しい物が見えて来る。

 主人公の「おれ」は生徒を引率して練兵場で行われる日露戦争祝勝会に参列、余興は午後に行われるという話なので、ひとまず下宿に帰り、この間中から気になって居た清への返事を書こうとするが、なかなか書けない。ごろりと転がって肘枕をして庭の方を眺めているところで、初めて一本の蜜柑が現れる。

庭は十坪程の平庭で、是と云ふ植木もない。只一本の蜜柑があって、塀のそとから、目標になる程高い。おれはうちへ帰ると、いつでも此蜜柑を眺める。東京を出た事のないものには蜜柑の生っている所は頗る珍しいものだ。あの青い実が段々熟してきて、黄色になるんだろうが、定めて綺麗だらう。今でも最う半分色の変わったのがある。婆さんに聞いて見ると、頗る水気の多い、旨い蜜柑ださうだ。今に熟れたら、たんと召し上がれと云ったから、毎日少し宛食ってやらう。もう三週間もしたら、充分食へるだらう。まさか三週間内に此処を去る事もなからう。(十)

 東京を出たことのない「おれ」には、蜜柑の生っているのは頗る珍しかったから、上の様な関心が生まれたということは無論まず言えるだろう。内田道雄氏は「只一本の蜜柑」についての注で「南国の蜜柑についての印象は新鮮であったと見えて『草枕』十二でも場面として用いられているが、熊本時代の漱石の句にも「『累々と徳孤ならずの蜜柑哉』『同化して黄色にならう蜜柑哉』『温泉の山や蜜柑の山の南側』などがある」と述べている。他の漱石作品における<蜜柑>についても言及したいが、此処では東京者にとって珍しく、印象が新鮮だったという以上に、あるいは、珍しく新鮮であったとすればそれゆえに、<蜜柑>の意味をもう少し考えてみる必要もあるのではないかと思う。

「おれ」が気に入った蜜柑と温泉

 一体、「おれ」が四国辺の中学校へやってきて、気に入った物があっただろうか。船が着くと、船頭は真っ裸に赤ふんどしで野蛮なところだと思い、見たところ、大森ぐらいの漁村で、人を馬鹿にしていると思う。中学校を訪ねても知らんと答える気の利かぬ田舎者である。宿では見かけで悪い部屋に通されるし、下宿のいか銀や中学校の滑稽さは言うまでもない。東京と注を加えた蕎麦屋は汚らしい。久しぶりに食ったので旨かったからと天婦羅四杯平げたとあるが、気に入ったというわけではない。住田という温泉で食べた団子も同様だが、「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」と褒めている。「折角来た者だから毎日這入ってやらう」というのは、東京にない蜜柑の木を毎日眺め、「毎日少しづつ食ってやらう」というのと同様であり、温泉や蜜柑といった自然は「おれ」に背かず、気に入られるのだ。熊本時代ではあるが「温泉の山や蜜柑の山の南側」の句も思い出される。しかし、少数の例外を除いて人間の方は全くその逆である。「運動のために、湯の中を泳ぐのは中々愉快」なのだが、見られたはずはないのに、「湯の中で泳ぐべからず」の札が貼られ、学校へ行くと、黒板に同じ様に書かれている。「何だか生徒全体がおれ一人を探偵して居る様に思はれた。」ということになり、「おれ」の神経衰弱、被追跡症的な孤立が始まるのである。だからこそ、蜜柑という此土地の自然への愛好、期待は貴重であり、注目すべきことなのである。

海という自然

 従来、「坊ちゃん」における自然に注意することが殆ど無かったのは、中学校における活劇を中心に作品を読むという傾向の故であった。また、自然描写などがほとんど無いかのように扱われてきたのは、その注目に価するものが殆ど無いかの如き作品世界と見られていたからとも言えよう。さらに言えば、「坊ちゃん」の作中時間の検討、その期間・時期等についてもよく考えてこなかったという事情もあった。温泉はともかく、蜜柑などは季節の移り変わりと切り離して考えることは出来ないものなのである。

 右の問題を含めて、「坊ちゃん」に於ける自然描写、季節の移り変わり等の表現に注意してみよう。まずは、バッタ事件の後、五章から釣りに誘われて海へ出かけるが、学校から海へという一つの場面転換が言われるところに自然は現れている。

船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐ろしいもので、見返へると、濱が小さく見える位もう出ている。高栢寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針の様に尖っている。向側を見ると青嶋が浮いている。是は人の住まない島ださうだ。よく見ると石と松ばかりだ。成程石と松ばかりぢや住めっこない。赤シャツは、頻りに眺望していい景色だと言っている。野だは絶景でげすと言っている。絶景だか何だか知らないが、いい心持には相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見給へ、幹が真直で、上が傘の様に開いてターナーの絵にあるさうだね」と赤シャツが野だに言うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲がり具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙って居た。船は島を右に見てぐるりと廻った。波は全く無い。是で海だとは受け取りにくい程平だ。赤シャツの御蔭で甚だ愉快だ。

 小さく見える浜、高栢寺の五重塔の遠景は印象的であり、出来る事ならあの島の上へ上がってみたいと思い、口に出すのだが、それほどの此自然は「おれ」にとって「甚だ愉快」なのであり、赤シャツや野だが良い景色だ、絶景だと言っているのに対し、「いい心持には相違ない。」と同感している。

ターナーの「自然」

 ターナーの絵にありそうだとあるが、ロンドン留学中の漱石がテイト・ギャラリーやナショナル・ギャラリーでターナーの風景画を見た体験が反映しているとするのは今日既に多くの読者の共通観念になっているであろう。事実、漱石とターナーを論ずる人は、「坊ちゃん」の此くだりから描き始めている様で、例えばそこから、江藤淳氏はターナーの「光」への憧憬に注意しつつ、「ターナーは英国の絵画がもっとも『自然』に接近したときに現れ、漱石は日本の小説がようやく『自然』を離脱しかけたときに出現した。」と言い、佐渡谷重信氏は漱石がターナーの色彩の鮮やかさに感銘を受けたと思われるとして、ターナーの「雨・蒸気・速度」に言及した『文学論』の一節を引いている。「かのターナーの晩年の作を見よ。彼が描きし海は燦々として絵具箱を覆したる海の如し、彼の雨中を進行する記者を描くや朦朧として色彩ある水上を行く汽車の如し。」と漱石は言い、此海や陸は自然界では見出せぬものだが、「自然に対する要求以上の要求を充し得るがゆえに、」確固たる生命があり、芸術として真なるものだと述べている。

海と空——自然への親近性

 肥料にしかならないゴルギばかり釣り上げたのち、小声で何か俗事を話し始めた二人を他所に、「おれ」は大空を眺めている。

すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよく聞こえない。又聞きたくも無い。おれは空を見ながら清の事を考えて居る。金があって、清をつれて、こんな綺麗な所へ遊びに来たらさぞ愉快だらう。いくら景色がよくっても野だ杯と一所ぢや詰まらない。清は皺苦茶だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たって恥ずかしい心持はしない。野だの様なのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌雲閣へのらうが、到底寄り付けたものぢや無い。おれが教頭で、赤シャツがおれだったら、やっぱりおれにへけつけ御世辞を使って赤シャツを冷やかすに違いない。

こんな綺麗な所」、美しい自然と清は結びついて居る。あの一本の蜜柑の場面は清のことを考えて居るときに現れたものであった。ここでは、野だだけが批判の対象になって居るが、自称江戸っ子と言う軽薄ぶり批判から、次章冒頭では「野だは大嫌だ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまふ方が日本の為だ。」と激化し、赤シャツに対しても又「声が気に食わない」云々と批判を深めていく事になる。もう少し、この釣りの場面を見ておこう。

おれの事は、遅かれ早かれ、おれ一人で片付けて見せるから、差し支えはないが、又例の堀田がとか煽動してとか云ふ文句が気に掛かる。堀田がおれを煽動して騒動を大きくしたと言う意味なのか、或は堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと言うのか方角がわからない。青空を見て居ると、日の光が段々弱って来て、少しはヒヤリとする風が吹き出した。線香の煙の様な雲が、透き通る底の上を静かに伸ばして行ったと思ったら、いつしか底の奥に流れ込んで、薄く靄を掛けた様になった。(中略) 船は静かな海を岸へ漕ぎ戻る。君釣りはあまり好きではないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝て居て空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻煙草を海の中へ叩き込んだら、ジュと音がして艪の足で掻き分けられた浪の上を揺られながら漂って行った。

 赤シャツと野だが内緒話をして居る堀田(山嵐)をめぐる俗世間の人事に神経を研ぎらせながらも、「おれ」は空を眺め、薄雲に覆われて行く様を見て居る。この自然の形容は実に微妙・繊細なものだが、これは外でもない「おれ」の観察・表現なのである。単純で無鉄砲に正直なだけと思われてきた坊ちゃんの自然との関わり、自然への親近感を読み落としてはならない。

 舟が漕ぎ戻る途中、赤シャツは君が来たので喜んでいると言い、思わぬ辺から乗ぜられないと忠告する。「気をつけろったって、是より気の付け様はありません。わるい事をしなけりや良いんでしょう」と「おれ」が答えると赤シャツは笑う。世間の大部分の人は悪くなることを奨励しており、「たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する」とあるのはまさに自分自身を語って居るもので、こう言う俗世間・俗人と相容れない正直・純粋と自然への親近性は表裏をなして居る。

 「無論悪い事をしなければいいんですが、自分だけ悪い事をしなくっても、人の悪いのが分からなくっちゃ、矢っ張りひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落な様に見えても、淡白な様に見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、滅多に油断のできないのがありますから......。大分寒くなった。もう秋ですね、濱の方は靄でセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、あの濱の景色は......」と大きな声を出して野だを読んだ。なある程こりゃ奇絶ですね。時間があると写生するんだが、惜しいですね、此の儘にして置くのはと野だは大にたたく。

 上の部分には赤シャツにおける自然と人間が直接に語られて居る。世の中には油断のできない人間がいるとして警戒を怠るなと言う主張とそれとは無関係に、あるいは分裂的に靄でセピア色になった浜辺の「いい景色」を見出す。ターナーの場合もそうだったが、発見せずに追従口をたたく野だとは赤シャツは異なるのであるけれども、その自然への引かれ方は人間認識・現実認識に何ら関わりなく、別々に存在して居るのである。それにしても赤シャツの「大分寒くなった。もう秋ですね。」と言う季節感覚は、この作品における自然、季節の推移、作中時間を考える上でも重要となる。

夏から秋へ

「おれ」は蜜柑を眺めながら、「あの青い実が段々熟して来て、黄色になるんだろうが、定めて綺麗だらう。今でももう半分色の変わったのがある。」と思うが、蜜柑の色にも季節の推移は確かに捉えられて居る。「我背戸の蜜柑も今や神無月」の句もそうだったが、明治四十四年の日記にも、天長節に「始めて蜜柑を八百屋に見る」とあり、漱石自身、蜜柑を介しての季節感覚があった。

初秋の風に翻る清の手紙

 風邪をひいて一週間ばかり寝て居たので遅くなったとあるが、こう言う風邪の繰り返しが、結びの肺炎による死の伏線になって居る事は言うまでもない。字がまずいだけでなく、大抵平仮名で句読もはっきりせず、そのうえ極めて長い。小学校しか出て居ない鏡子夫人の手紙をここに重ねて見ることも出来ようが、実際は清ほどではない。

読む方に骨が折れて、意味がつながらないから、又頭から読み直して見た。部屋のなかは少し暗くなって、前の時より見にくく、なったから、とうとう縁鼻へ出て腰をかけながら丁寧に拝見した。すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹き付けた帰りに、読み掛けた手紙を庭の方へなびかしたから、仕舞ぎはには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を離すと、向ふの生垣まで飛んで行きそうだ。おれはそんな事には構っていられない。坊ちゃんは竹を割った様な気性だが、只癇癪が強過ぎてそれが心配になる。——ほかの人に無闇に渾名なんか、つけるのは人に恨まれるもとになるから、矢鱈に使っちゃいけない、もしつけたら、清丈に手紙で知らせろ。——田舎者は人が悪いさうだから、気をつけて酷い目に逢わない様にしろ。(七)

 初秋の風がまだ青いはずの大きな芭蕉の葉を動かし、素肌に吹き付けると言う清爽な身体感覚は、風がさらに清の長い手紙を靡かせるのと結びつき、自然との一体感を読むものに感じさせる。これは清においても同様で、坊ちゃんを思う「正直な純粋な」気持ちの手紙が初秋の風と結びついて居るのであり、清も坊ちゃんも人の悪い田舎の人間と対立して居るのである。印象的な自然描写だが、長い手紙といえば、鈴木三重吉が漱石にあてて綿々と綴った長い巻紙の手紙が、夏目家に入った泥棒の用足しに使われ、翌朝、屋根に翻って居たと言う話が浮かぶ。長い手紙には一般には無論深い真率の情が込められて居ると言えよう。

 漱石は三年前に尾崎紅葉が中絶した『金色夜叉』最後の「新続金色夜叉」における貫一あての宮の長い手紙を意識してはいなかったか。

隣に養へる薔薇の香の激しく薫じて、颯と座に入る風の、此の読儘されし長き文の上に落つると見れば、紙はせんせんと舞伸びて貫一の身を廻り、尚も踊らんとするを、彼は静かに敷据えて、其膝に物憂げなる面杖つきたり。

 貫一を思う宮の心情は長い手紙となって風に翻るのだが、「坊ちゃん」のと対照的なのは、初秋の風でなく初夏の風であり、芭蕉の葉ではなく、薔薇の香りが薫っていおり、束ねると一冊にもなろう長文の手紙は、素朴な清とは逆に、いったんは貫一を裏切り嫁いだ病める美女からのものである。『草枕』で『金色夜叉』を踏まえ、まさに<金色夜叉>と言う金銭と人間の我執の世界とは対照的な非人情世界を描いたのが漱石であり、風に翻る手紙の場面においても両者は極めて対照的である。同じ自然でも<人情>を離れがたいのが紅葉の場合といえよう。

参考資料:『「坊ちゃん」の世界』平岡敏夫 1992年はなわ新書

     「坊ちゃん/ 夏目漱石」明治三十九年「ほととぎす」



 

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