井上荒野先生の選評に対する一意見

 ある文学賞を受賞して、井上荒野先生に選評をいただいた。そこに、こんなことが書いてあった。

冒頭の、主人公次郎兵衛と与頭源吉の会話などは全く不要で、次郎兵衛の両親が死んだとか女房に離縁されたとかのプロフィールは、地の文二、三行でかけばすむ事だ。

 この部分以外の批評はなるほど理解できる。しかしこの部分ばかりはどうにも私の表現したい世界の外側から槍で突かれたような気がしてならない。では、該当する文章を以下に引用する。

「寒いな今日は。昨日は暖かかったのに」と源吉が時節の挨拶をする。
「へえ、おっしゃる通りで。風も随分冷てえ」とこちらも寒がって肌をさする。「お前、米は足りてるか。こう寒くっちゃ、しっかり食べなければならね」
 次郎兵衛は回答に窮して、黙ってしまった。実際米が足りそうになく、粥かゆにして食っていると言えば必要な心配をさせてしまうと思ったからである。
 源吉は黙った次郎兵衛の顔——何か言いたそうで言い出し得ぬ表情を見てこう言った。
「お前、親はおるんだっけか」
「母様かあさまはおりまする。父様とうさまは二年前に死に申もした」
「女房との例の件はどした」
「離縁状を突きつけられてしもうた」
「ほう、では子供はどっちが養う」
「子供はまだおりませぬ」
「なるほど、あとで俺の家に来い、米を少し分けてやる」
 次郎兵衛は妙な表情をした。断ろうとする遠慮の言葉と、救済に対する感謝の言葉とが口の中で何重にも絡み合った気がした。
 横から「いらねのか」とぶっきら棒な声が聞こえる。
 次郎兵衛は「ありがたく頂きまする」と声を絞り出した。絞り出しながら、おらの為に申もし訳ね、と心の中で噛み締める様に思った。

 自分はこう言った方法で次郎兵衛の家庭環境を表現した。
 ではなぜ会話文で表現したのかと言うと、地の文よりも登場人物の感情が見えやすいからである。もしこれが地の文で表現してしまうと、読者に理解して欲しい次郎兵衛の後悔や、言い出しにくさ、親方に心配させまいと思わせるような、控え目な性分の彼の性格が見えて来ないではないか。
 しかも自分は次郎兵衛の身分を説明する前の文章で、『何か言いたそうで言い出しえぬ表情』とも書いたはずである。会話文で表現できる僅かな心理の動きを削ってでも、地の文に置き換えて全体の情報量を嵩上げする小説に、価値はあるのかと自分は懐疑的にならざるを得ない。

 そうして先生はもう一つ、思い違いをしておられる。選評の冒頭で

時代小説を読み込んでいるのだろうと思わせる筆致

とおっしゃっておられたが、自分は時代小説など二冊ほどしか生来読んだことがない。自分がベースにしているのは明治時代の森鴎外や坪内逍遥の小説である。
 時代小説とは、現代語で書かれた言わば歴史の教科書のようなものである。しかし自分は過去の文体で(これを擬古文と言います)、過去の人物の雰囲気や性格を表現したいと努めている。この作品も明治後期あたりの文体を意識して表現しているのに、現代の時代小説と同等に比べられては非常につまらない思いがする。
 もし私が現代における時代小説を意識しているならば、確かに地の文で説明しても、大体の流れは崩れないだろう。しかしこの小説の正しい読み方は擬古文として読むことである。筆者の自分が言うのだから、それも当然だが。
 であるからして、荒野先生の選評は今後の活動に大きく影響を与えるありがたいものであったが、この部分だけが間違っていると、自分は言いたい。

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