志賀直哉(3)大岡昇平から見た志賀直哉
「小説の神様」として、龍之介や春夫より一段上に置く評価は、その頃から文壇にあったようだが、それは我々の読後の実感とも合っていた。文章はなんとも言えず清潔で、上品で、その作品と同時に、その作者に畏敬の念を抱かせていた。
大岡は志賀直哉を「志賀さん」と呼んだ。それは大岡だけでなく、文学少年達はみな、そう呼んでいた。「夏目さん」「志賀さん」だった。しかし芥川龍之介、佐藤春夫、らは呼び捨てだった。
こう言う畏敬の念は、その作品の完成度、美しさへよりは、他者に対すると同じように事故に対しても厳しいその態度への畏敬だったらしい。それは子供から大人になりかけの年頃にあった彼等にとって、仰ぎ見るべき態度であった。人生の真実に直面してたじろがない意志の権化として、ちょうど小説の中に書かれているような人格を、作者に想定して、尊敬したのであった。これが谷崎、芥川、佐藤に対する時との相違だと言う。
彼らは家と父について問題を持つ年頃だった。彼らの悩みは『大津順吉』や『和解』で、美しく解決されたのだった。
大岡は小林秀雄の評論によって、志賀の独創性の由来を知り、「見ようとはしないまでも見てしまう」眼を知ったと言う。
志賀の文学は、自己の内と外の真実に関する問題を取り扱う。文学者が見、また表すことのできる真実は、その全部ではなく、真実の外観の一部であり、その外観が真実の本質を代表した部分である時、印象は最も強く、安定する。
志賀の眼は、真実のそう言う部分を捉える眼であった。