夏目漱石 文学論(上)について 1/3

 『文学論/夏目漱石』を要約をここに残します。また、氏の著書における著作権は消滅しています。

<第一編 文学的内容の分類>

第一章 文学的内容の形式

 文学的内容の形式はF+fと言う形式の上に成り立つ。

 ここで言うFはFocus(焦点的印象または観念)であり、fはfeeling(Fに付着する情緒)の意味を持つ。つまり文学的内容とは、認識的要素と情緒的要素との結合である。

 Fとfの交差する日常は、大別して三種類存在する。

⑴Fありてf無き場合。すなわち知的要素存在し、情緒的要素を欠くもの。

 ニュートンによる運動法則の公理がその最もな例。そう言う文章は単に吾人の知力にのみ作用するものであり、少しも情緒を喚起させない。

⑵fのみ存在して、それに相応すべきFが無い場合。

 抒情詩がこれに該当する。悲しみの原因を書き下す事なく、「嗚呼、悲しい」と嘆いているような状態。この場合(F+f)の公式に当てはめる場合には、Fを想像して改めて読むか、この詩自体をFと捉え、自己の中にfを生成するか(しかしこの場合では意識がそちらに向いてしまい苦痛であると云う)。

⑶Fに伴ってfを生ずる場合。

 例えば花、星等の観念。文学的内容はこれが正しい。

Fとは

 FとはFocusつまり焦点的意識である。そしてこれを解くには根本に至り、意識と云う語からの説明を要する。

 意識とは波形をしている。これを「意識の波」と云う。

 先ず意識の一部分すなわち一瞬間を切り取ると、そのうちに幾多の次序・変化があることを知る(意識の波形はp35を参照)。波形の頂点すなわち焦点は意識の最も明確な部分であり、前後の所謂し識末なる部分を具有する。識末では、物体への意識が明瞭でない。モーガン氏曰く、

「意識の任意の瞬間には種々の心的状態絶えず、やがては消え、かくの如くして寸刻と雖もその内容一所に滞る事なし」

  しかし先述したるはあくまで一瞬間、一分、一秒を想像していただろうが、これが一日、一ヶ月、一年、一生を切り取っても同じように波形を表す。ここに三つの例を出す。

⑴一刻の意識におけるF

 説明を必要なし。前記。

⑵個人的一生の一時期におけるF(時期的F)

 時期的Fとは或一時期における自分が、焦点を当てていた物体を指す。例えば、幼き頃では玩具、人形。少年では格闘、冒険。青年では恋愛。中年では金銭、権力など。

⑶社会進化の一時期におけるF(時代的F)

 時代的Fとは時代思潮あるいは「勢」である。例を挙げると攘夷・佐幕・勤王といった観念の変化。


第二章 文学的内容の基本成分

 文学的内容が(F+f)であると前章では説明した。ここからはF及びfを区切って説いていく。


 Fについて

 Fとは焦点的意識だと説明したが、詳しく云うと、何物かに焦点を当てた時の印象あるいは観念とも言える。しかしこれは、例えば、目が見えない盲だとFは出てこなくなる。耳が聞こえない者だと音に焦点を当てることはできない。では始めに、Fを認識する為の簡単なる感覚的要素を幾つか挙げる。

・触覚

・温度

・味覚

・嗅覚

・聴覚

・視覚(輝き、色、形、運動)


Fの趣の変化

 前提としてFは全て具体的なものでなければならない。抽象的なFではfを生ずることは難しい。具体的とは例えば、白沙青松を言い、抽象的とは例えば、正義は眠る、起立する邪悪、などを云う。しかし、抽象的Fにもfを喚起するものがないわけではない。それは、

⑴最初より具体ならざる無形、無声のF、すなわち超自然的事物。例えば、神や霊。

⑵数百もしくは数千の単独なる場合を概括したもの、すなわち一般共通の心理。また、一般共通の条件として、単純ならざるべからず、や、常に常人の意識域上に存在する心理、など幾つかルールもある。例えば、各国固有の諺、あるいは賢者の格言。これらは皆直接に人生の利害に深く関係しているもの故、吾人の情緒を喚起しうる。

 しかし注意しなくてはならないのは、これら全ては抽象的にして一種の概念に他ならない。すればこれらFに伴うfは概念を基礎としたfであると云うこと。これを覚えていなくてはならない。


 fについて

 fとは焦点を当てた物体に対する感情・情緒・内部心理作用である。fは大別して三つに分かれる。

間接(客観的)

 間接とは情緒の状態を喚起するに先立ち、その原因Fを記すか、あるいはその肉体的徴候を挙げて情緒その物の記載をせずに、唯読者の想像に委ねるの意味。

直接(主観的)

 先ず何はともあれ情緒そのものを述べ、そしてそれに伴う結果現象Fは後々に語る。

両方を使いこなす

 間接と直接との両方を使う。こうした作品は少なくない。

 しかしこの方法では間接法にFがあってfがなく、直接法にはfがあってFが内容にも読み取れる。これは全く(F+f)の崩壊である。ではここで(F+f)のバリエーションに一言付け加えると、

⑴F+fとなって現れる場合

⑵作者はfを言い、Fは読者に補足させる場合

⑶作者はFを担任し、fは読者に引き受けさせる場合


一般情緒の分類の例(単純な情緒)

・恐怖

・怒り

・同感(他人と感情を共にする)

・自己の情(エゴ)(a)積極(意気・慢心・昂り・押し強...など)

         (b)消極(謙譲・小心・控えめ・忍耐...など)

・両性的本能(恋)

一般情緒の分類の例(複雑な情緒)

・嫉妬(思慕と憤怒との併発)快楽分子→苦悩の分子→破壊の分子

・崇高(賞嘆と恐怖との併発)

 と云うように幾つかのfを混ぜたものを複合感情と言い、単純なfを単純情緒と言う。勿論、人の興味は単純な感情よりも幾多の複雑感情の分子があって津々となる。が、ある程度以上に複雑になってしまうと、返って興味は消えて、混雑に変わる。


 第三章 文学的内容の分類及びその価値的等級

 社会百態のFに於いて、苟も吾人がfを附着し得る限りは文学的内容として採用すべく、然らざる時は容赦無くこれを文学の境土から除外する必要がある。そして今文学的内容たりうるものを分類すれば、

感覚F  自然界が該当

人事F  人間関係が該当、善悪喜怒哀楽を鏡に写したもの

超自然F  宗教的Fが該当

知識F  人生問題に関する観念が該当

⑴の感覚Fは多大にfを喚起し得る。感覚的とは言い換えて、具体的となり、吾人の情緒を呼び起こすのに特に強大なる。

⑵の人事Fは云うまでもなく、人世のことを語り、吾人の心に触れること強大となる。しかし疑わしき行動(狂人の行動など)は、漠然として、抽象的情緒に過ぎない。fはFの具体の度合いに正比例する。

⑶と⑷のFは比較的にFの明瞭を欠き、抽象の度合いが多い。勿論概念を標本とする第四種の内容としても、fを欠く如きことはないかもしれないが、⑴⑵よりは劣る。ルールの一つとして、人世の重大事件に触れることなき時は、その興味が著しく減退する。

 また、fの強弱は次の通り。①が最強で、④が最弱となる。

本能的f(同情・同類相哀れむ・闘争・殺人)

習慣的f

実用的f(或結果を意識してその目的の為に一個人に対する一種の情緒)

普遍的f(大義名分・正義)


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