佐藤春夫(1) 佐藤春夫文学の基盤

 佐藤氏の作品は大正期を——一面において——代表する物でありながら、仕事の量の大きさと、種類の多様性は、明治から現代までを通じても、稀に見る物である。詩、小説、評論、童話、戯曲など、多種に渡って居るだけでなく、その各々の中で氏の相違は自在に働いており、しかし一方において、あまり自由に振舞おうとしすぎて居る為に、どのジャンルでも結局入り口に止まって、本当にそれを自分の物に為し得なかった印象をも得る。詩を書くときは批評家でありすぎ、詩人を意識しすぎ小説には童話が入りすぎ、戯曲は詩に飛躍しようとしすぎて居ると思われる。

近代の芸術に、作者の個性が欠くべからざる要素であるのは言うまでもないが、大正時代の作家たちは、この命題を更に「徹底」させて、近代の芸術にとって、作者の個性が全て、と言うふうに考えて居た。
 この思潮の源流はおそらく武者小路氏だが、佐藤氏もまた「心臓のあるところ直ちに芸術があることを示した」武者小路氏から影響を受けて居る事は、武者小路氏を「近世思想史上のルッツォ」に比した「秋風一夕話」によって知られて居る。
 先輩をルソーと呼ぶ以上、氏は自らその感化のもとに育ったロマン派を持って任じたと考えて良いだろう。氏の鴎外論は鴎外をシャトーブリアンやスタール夫人に比し、自らその後継者としたのである。
 氏をロマン派と呼ぶことに、おそらく氏自身依存が無いとは思われる。したがって、氏の個性を極端に重んずる思想も、ロマン派の通性である個性偏重の一例と見ることが出来るが、ここで私が疑問に思うのは、氏の場合、その個性が専ら芸術的動機から尊重されたのでは無いか、と言う点である。
 氏が一個の自我崇拝者として、我儘を通してきたとしたら、それは氏が芸術家としてこの事を必要と信じ、自分に義務として課してきたからでは無いかと思う。ルソーにしろ、シャトーブリアンにしろ、バイロン、ユウゴオに白、ロマン派の先駆者あるいはロマン派の詩人は、いづれも文学者である前に一個の生活人であり、彼らの文学の新しさは、その生活感覚の新しさから生まれたのである。
 
武者小路氏の場合にも、問題はまづ生きることであり、文学がそのための手段であることをはっきり意識したところに、氏の大体な文学改新の仕事が始められたのである。ところが佐藤氏の場合には——少なくとも文学に現れた限りでは——この生きる意欲は武者小路氏とは比較にならぬほど弱く、恋をしても、本当に相手が好きなのか、それとも詩を書くために恋をして居るのか、判らぬところがある。
 ロマン派の作家の個性偏重は、多くの場合人生の因襲との戦いのため、社会の重い圧力に対して平衡を保つ必要から生まれたのであり、我が国では北村透谷にその典型的な事例が見られるが、氏の場合にはこの個性崇拝は、人生の重みに堪える手段というより、むしろ一つの芸術制作のための方法として意識的に採用されたのである。
 氏の人生劇は、このような芸術的人生観をもって、言わば転倒した形で現実の人生に堪える所にあるのだが、このように意識化され芸術家されたロマンチシズムが、氏の作品に言わば自家中毒的な芸術臭を与えて居ることも事実である。
 氏の文学は、一言で言えば、近代化した文人気質の所産であろう。そこに大正時代の精神の一面が「芸術的」に象徴されて居るのである。


氏は武者小路氏の文体を次のように形容して居る。


「厳密な意味の言文一致を大成したのは武者氏だと言ってもいいような気がする。……武者氏を珍しい真のスタイリストだと言っても、今ならばもう誰も別に驚きはしないだろう。その人の手にかかると、どんな文字も句法も——例えそれが一見可笑しいように見えても、さてそれをどうも改めることも出来ないほどに有機的に、互いの行と行とが生かし合って居る。そう言うのが真のスタイリストと言うもので、古来、真のスタイリストと言うものは多少とも皆破格な文章を平気で書いて居る。
 

 これは武者小路氏の芸術家としての手腕をよく見て居るだけでなく、文章家と言われる人々の性格の一面を捕らえた言葉である。それでは氏自身の文章論はどうかと言うと、氏は本格破格を問わず、文章というものを一切否定しようとして居る。
 以下に引くのは、氏が「文学ザックバラン」の中に谷崎氏の「文章読本」を反復する形で書いた「話すように書く」口語文の主張だが、これが書かれたのは「秋風一夕話」より十年以上も後のことである。

僕の口語文といふのは無法に極端にそれをやってのけて不必要な重複には自ずと心理の混乱状態を示し、粗野な用語や語脈の混乱からも筆者の人格は無論心理的生理的状態までも紙面の上に在らせよう、それが文章でなければ或はノートの一面に書き散らされた落書きの一葉に相当するようなものであってもいいと言うつもりである。……生な現実をぶしつけに紙の上に直かに押し付けてみる一つの手法としての謂である。」

青年作家の放言では無く、四十歳を越えた大家の真面目な提言とすると、これは驚くべき主張である。しかしこの表現の対象と表現の手段とを完全に混同した「無法で極端」な思想が、武者小路氏の文章改革を、「芸術的」に徹底された論理的な帰結であることも確かである。

 二葉亭の昔はともかく、自然主義が再び取り上げて以来、所謂言文一致運動の目標は、口語を文章に精錬することでは無く、専ら文章を「生きた言葉」に近づけることであった。こう言う錯覚も、漢文や和文の長い伝統の殻を破って、文章に生きた感情を盛ろうとして居た作家にとっては、ある意味で自然の物だったと思われる。彼らは自ら新しくする為に、この錯覚を必要としたのであって、少なくとも自然主義の作家の中には、「話す言葉」と「書く言葉」が別物であることを、従来の教育に基づく第二の天性によって捉えて居ない人は居なかったのである。
 しかし、その区別が十分に意識的なもので無く、時代の文章の理想としては、口語に無限に近づくことが挙げられて居る以上、武者小路氏のように、「破格」の文章によってそれを「大成」する人も出るし、更に佐藤氏のように、「無法で極端」な主張をする者は、文章を文章でない何者か、すなわち表現の対象たる「生の現実」で代用することを理想にするようになるのである。
 ここに芸術の極めて初歩的な、しかし微妙で大切な事柄に対する或る重大な履き違えが見られるのだが、その点を更にハッキリさせるのは、同じ問題に関して、下に引用した二つの間に書かれた次の文章である。
 「芥川龍之介を哭す」の中で、氏はこの問題にかなり長く触れて居る。芥川に「しゃべるように書け」と勧め、「我々は既に所謂口語なる文体を選んできたのだから、文字を扱う場合にもまた、言葉を扱う以上に窮屈な用心をしない方が、帰って真に言文一致の精神に適うと言う者では無いだろうか。」と言ったが、その「真意」が芥川に汲んでもらえなかったと言い、「文芸的なあまりに文学的な」の一節を引用して、次のように結論する。

「しゃべるように書けと言ふ僕の言葉は、僕としては愈々言う言葉であり、従って充分な意識を以て述べた言葉であるが、仮にしもそれが不用意に言ったとしても、それはどちらでも良かった筈である。なぜかなれば、しゃべるように書くと言う僕の説は、不用意の内に作者の人柄が現れる事を喜ぼうと言う意に他ならないからである。僕は実際、放心より他には完全な自己表現はないと考えて居るほどである。」


 ロマン派の心情の特色が、自己を芸術の上に置くことであれば、これも異とするに足りないかも知れない。ただ多くの場合ロマン派のこうした自信は、生活に裏付けられ、倫理的根拠を以て居るのに対して、佐藤氏の自身は、芸術家の個性は芸術に優越するという、それ自信矛盾を含んだ、同義反復的な性格を持って居る。
 この末期ロマンチシズムの不健康性、自家中毒的な空疎な性格を、或る程度は意識しながらそれを敢えて演じ抜いた所に、佐藤氏が時代に対して果たした役割があるのである。そこに氏が、作家として現実に病めた苦痛があり、それを支えたのは恐らく「新しさ」の自負なのである。
 同じロマン派でも、氏はもはや透谷や独歩と違って、自己の生活や事業に使命感を考えることの出来ない時代の子であろう。そういう素朴の情熱は、照れ臭くて持てないのが、氏の属する世代の「新しさ」であろうと思う。
 反抗に於いても、目的や理由のあるものは単純に見え、そういう理屈が付かない、したがって正当化もされない、言わば生のままの無償の身振りだけが、純粋な、芸術家に相応しいものとされた。
 無論こういう考えの底には、芸術家という存在そのものについての、選民意識或は特権の感情があるわけですが、こういう錯覚は、当時に於いて佐藤氏一人のものでなかっただけで無く、現代においても、一般理論的には否定されながら、実際には、根強く生きて居る。
 現代の作家で、俺は俗物とは別の人間だと公言する人は殆どいないでしょうが、芸術家を単に芸術に携わって居るだけで、人類の選手のように見る気風は、戦後の曖昧な芸術尊重の風習と共に、一時より却って強くなって居る。
 また「生の現実を紙の上に直かに押し付ける」のをリアリズムの理想とする偏見も、今日ある意味での全盛期を迎えて居るだろう。小説に書かれた事を、全て事実として受け取り、そうでないと作家に裏切られたような感情を抱く、素朴な読者だけでなく、小説は「生の現実」を「直か」に「紙の上」に表すことに努めたものほど、価値の高いものだという考えは、批評家の間にもかなり行き渡って居るように思える。
 今日の文芸雑誌を、入れ替わり立ち代わって賑わして居る新人たちの小説も、理由のない優越感(或は劣等感)や目的のない反抗を存在理由とし、制作の動機として居る点で、「田園の憂鬱」の末裔といえる。氏の門戸から太宰治をはじめ、
所謂破滅型の作家が幾人か出たのは偶然だとは思えない。

参考資料:佐藤春夫論/中村光夫

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