夏目漱石(4) 「坊ちゃん」について2/3

1.坊ちゃんと諸作品との関係

・「猫」と「坊ちゃん」

「要するに『猫』と『坊ちゃん』は御調子に乗った漱石の、出まかせの余技に過ぎない」(唐木順三「『夏目漱石』(昭31、修道社)
という否定の極北から、
「それは小説らしい小説と言う意味では明治文学の卓抜せる傑作とも云ふべきものである。その理由は、筋とユーモアの損失の無い高潮へと、駆け上がる様なその創作の完全さによる。またもう一つ、その傑作である理由は、日本人の諸性格の、それまでに全く類のない把握である。」「主人公の楽天性、その同情、その無邪気さ、そして他の人物にある日本的な薄汚さ、みみっちさ、卑劣さ、弱小さ、豪傑ぶり、それは実に完全な日本の性格である。」伊藤整「『現代日本小説大系16』解説(昭24、河出書房)
という最大級の賛辞に至るまで、そして江藤淳氏の「知識階級とはいまだに、坊ちゃんは若しくは山嵐的行動をかなり真剣に憧れながら赤シャツ又は野だ的生活を余儀なくされている集団なのである。」を含めて、従来の「坊ちゃん」論が指し示してきた評価は、この小説の底部を垣間見たとは言えぬにしても、それ自身は否定さるべきものでは無論無い。
 知られている様に、「坊ちゃん」が掲載された雑誌「ホトトギス」(明39.4)
には「吾輩は猫である」の第十回が併載されているが、古井武右衛門という中学生が訪問するこの第十回を見ても、中学教師苦沙弥の担当する文明中学二年乙組の生徒なのだが、苦沙弥はそれをいちいち尋ねる様な有様である。第八回での落雲館中学校生徒との「戦争」の下を見れば、「冷淡」というよりもむしろ憎悪というべきものになっている。


今の世の働きのあると云ふ人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌を掛けて人を陥れる事より外に何も知らない様だ。中学等の少年輩迄が見様見真似に、かうしなくては、幅が利かないと心得違いをして、本来なら赤面して然る可きのを得々と履行して未来の紳士だと思っている。是は働き手を云ふのではない。ごろつき手と云ふのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見る度に撲ってやりたくなる。こんなものが一人でも殖えれば国家はそれ丈衰へる訳である。こんな生徒の居る学校は、学校の恥辱であって、こんな人民の居る国家は国家の恥辱である。(第十回)

これは猫の口にする批判であるが、そのまま坊ちゃんの中学生批判と読んでもおかしくない。「ごろつき手」とその候補生たる中学生への批判は、「坊ちゃん」では、赤シャツ・野だなどの「ごろつき手」と「四国辺のある中学校」生徒が「全体中学校へ何しに這入ってるんだ。学校へ這入って、嘘を吐いて、誤魔化して、陰でこせこせ生意気な悪いたづらをして、さうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと勘違いをして居やがる。話せない雑兵だ」(四)「野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本の為だ。」(六)といった批判になっているわけである。

・石川啄木「雲は天才である」と「坊ちゃん」

 漱石が描くこの期の主人公たちの特徴の一つは、批判対象との断絶的な距離にある。高みからする断罪的な批判と見えるものであるが、坊ちゃんと中学生との関係もまさにそれで、教師と生徒という、人間的交流の多少でも存在しがちな教育の場にあってこの断絶は誠に独自なものというべきである。同じ明治三十九年四月に教壇に立った啄木の
「神の如く無垢なる五〇幾名の少年少女の心は、これから全く我が一上一下する鞭に繋がれるのだなと思ふと、自分はさながら聖ひものの前に出た時の軽蔑なる顛動を、全身の脈管に波打たした。不整頓なる教員室、塵埃にみちみちたる教授、顔も洗はぬ垢だらけの生徒、ああこれらも自分の目には一種よろこばしき感覚を与るのだ。」(「渋民日記」明39.4)
という「顛動」、あるいは「雲は天才である」(明39,7執筆)の新田耕助の次の様な述懐を見ても、彼らは自分と生徒との連帯をつゆ疑ってはいない。

一切の不平、一切の経験、一切の思想、——つまり一切の精神が、この二時間のうちに、機を覗ひ時を待って、吾が舌端より火箭となって迸る。的なきに箭を放つのではない。男といはず女といはず、既に十三、十四、十五、十六といふ年齢の五〇幾人のうら若い胸、それが乃ち火を待つ許りに紅血の油を盛った青春の火皿ではないか。

「坊ちゃん」と「雲は天才である」における教師像は極めて対照的である。「雲は天才である」に「吾輩は猫である」の影響を見る説もあるが、苦沙弥と新田耕助の場合も同様に対照的である。教師・生徒の関係において、一方は断絶であり他方は連帯を固く信じている。「雲は」が「坊ちゃん」の影響を受けているかどうかは不明だが、坊ちゃんのたぬき・赤シャツ批判は、新田の校長・古山批判に通じており、教育への批判という視点を両者は持っている。
 だが、「雲は」の場合は、新田耕助は唱歌を作り、フランス革命に倣って「ジヤコビン党」なる生徒群を見方につけ、校長らとの「日露開戦の原因」を作るのである。「坊ちゃん」の場合、師範生との喧嘩の翌日、「教場へ出ると生徒は拍手を以て迎へた。先生万歳と云ふものが二三人あった。」という事で、連帯の契機が生まれるが、坊ちゃん自身としては「景気がいいんだか、馬鹿にされているんだか分からない。」といった受け止めようで、相変わらず連帯は意識されていない。

・島崎藤村の「破戒」と「坊ちゃん」

「坊ちゃん」より一ヶ月前に、島崎藤村『破戒』が刊行されている。漱石は「破戒読了。明治の小説として後世に伝ふべき名編也。金色夜叉の如きは二三十年のあとは忘れられて然るべきものなり。破戒は然らず。僕多く小説を読まず。然し明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思ふ。」(明39、森田草平宛)と高く評価しているが、この翌日「坊ちゃん」批評の礼状を書き「山嵐や坊ちゃんの如きものが居らぬのは、人間として存在せざるにあらず、居れば免職になるから居らぬ訳に候」「僕は教育者として適任と見做さるる狸や赤シャツよりも不適任なる山嵐や坊ちゃんを愛し候」(明39、大谷繞石宛)といっている。漱石の願望が知られるが、「藤村先生とは正反対のもの」とある如く、『破戒』と「坊ちゃん」は教師小説としても非常に異なる作品である。
 影響関係もないのだが、「教育者が金牌なぞを貰って鬼の首でも取ったやうに思ふのは大間違いだ」という瀬川丑松の意見や「教育は即ち規則であるのだ。郡視学とその甥の勝野文平、高潮らの丑松追い出しの策略などを含めて、「坊ちゃん」における教育批判と重なるものを見出すことができる。異なるのはやはり教師と生徒の関係であって、『破戒』では「高等四年の生徒は教室に居残って、日頃慕って居る教師の為に相談の会を開いた。」「一同揃って校長のところへ嘆願に行かう」ということになる。それを校長が追い返し、更に教師・生徒の見送りまで禁止するという結びによって、「ああ、教育者は教育者を忌む。同僚としての嫉妬、人種としての軽蔑——世を焼く火焔は出発の間際まで丑松の身に追い迫ってきたのである。」という作者藤村の怒りと悲しみが更に込められることになっている。
 ところで、坊ちゃんと生徒の関係は既に見た通りである。教師と生徒との連帯はなく、生徒もひとしなみに虚偽・悪の側に押しやられており、結局坊ちゃんと山嵐は誰一人支持する者も見送りもなく、「不浄の地」を後にするのである。三円後には田山花袋の『田舎教師』(明42)が出るが、これを含め、以後大正・昭和と下がってきても、教師小説・学校小説で漱石の描いた様なのはないはずである。学校・教師・生徒の関係においては、大同小異ふつう啄木の型である。

2.連帯の欠如の原因

 では坊ちゃんはなぜ生徒と繋がることができないのか。彼のそばには山嵐がおり、遠く離れても清がいる。清は坊ちゃんが手紙を出す唯一の相手だった。父も母も兄も無い全くの孤児に他ならぬ坊ちゃんの「四国辺の中学校」での行動は、東京の清と細い糸でつながっていた為とも言えそうであるが、他の教師とは無論中学生とも繋がりを得なかった坊ちゃんの精神構造はどの様な者であったのだろうか。他方とも繋がり得る可能性の場を与えられている筈の教育現場において、尚且つ、繋がり得ないのは何故か。その理由を求めようとする所に、この小説の魅力、そして坊ちゃんの心、更には作者漱石の秘められた底部を覗くことが出来るのではないだろうか。
 
このことを言い換えれば、坊ちゃんの行動はいかにして可能なのかということであり、正義・正直を振りかざして、みみっちい日本的類型をかくも鮮やかに批判し得たのは何故か、ということでもあるが、その秘密は実は先に指摘した連帯の欠如にあると言えるのである。

宿直をして鼻垂れ小僧にからかはれて、手のつけ様がなくって、仕方が無いから泣き寝入りしたと思われちゃ一生の名折だ。是でも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生まれからして違うんだ。只知恵のない所が惜しい丈だ。どうしていいか分からないのが困る丈だ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分からないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に活物があるか、考えてみろ。(四)

バッタ事件。吶喊事件の時の坊ちゃんの述懐だが、「只知恵のない所が…」以下では誰しも笑わせられるが、こういう操作で対象化されているのは言え、前半の「土百姓とは生まれからして違うんだ」までの部分はどうか。ここでは旧旗本と土百姓という意識が書き込まれている。是は単なる弾みで記されたものではなく、実は山嵐も「会津つば」として書かれており、彼はバッタ事件の職員会議で「教育の精神は単に学問を授ける許りではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓舞すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにあると言っている。清もまた「もと由緒あるものだったさうだが、瓦崩の時に零落して、つい奉公迄する様になった」人間として設定されており、是は御家人というよりも旗本ぐらいのイメージである。坊ちゃん・山嵐・清は、士族階級という概括では不十分で、佐幕派士族という一点で彼らは等しいプライドを持っている。
 
明治文学は佐幕派の文学、と言われる様に、薩長藩閥政府の下で立身出世の道を絶たれた佐幕派の子弟は、精神的な次元を目指して文学者・宗教家などになる者が多かったのだが、坊ちゃんの世界で言えば、彼らの反極にあるのが狸や赤シャツなどの存在であり、それにへつらう野だなどの存在であった。屋敷町に住む旧家のうらなりには旧士族のイメージがあり、うらなりの世話をした坊ちゃんの下宿先は、いか銀などは逆の上品な貧乏士族であった。
 「僕は実業家は学校時代から大嫌だ。金さへ取れれば何でもする、昔で云へば素町人だからな」と苦沙弥は言うが、「猫」には士族(知識人)と町人という意識があり、坊ちゃんの旗本と土百姓という意識と同じである。坊ちゃんらと「ごろつき手」及びその志望者の中学生らは、こういう身分意識によって断絶していることがわかってくる。確かに是は封建的身分意識には他ならぬが、坊ちゃんの場合、佐幕派ということで立身出世コースにある俗物たちを批判し得るし、また、その身分意識によって、町人・百姓を批判し得る訳である。

3.神経衰弱の坊ちゃん

 先に引用した「猫」の批判の中に、「嘘をついて人を釣る事」「先へ廻って馬の眼玉を抜く事」「鎌をかけて人を陥れる事」というのがあったが、「ごろつき手」を批判する理由には、この様な卑劣なやり方自体が大きな位置を占めており、このことは、坊ちゃんが「嘘を吐いて、誤魔化して、陰でこせこせ生意気な悪いたずらをして」と中学生を批判するのと一致している。このことは、言い換えれば、坊ちゃんが常に中学生らにその様な被害を受ける立場にあることを意味している。吶喊事件・バッタ事件、あるいは天ぷら・団子・温泉での水泳などの事件は全てそれである。
 元は旗本、土百姓とは違うんだと言って容赦ない批判を中学生たちに浴びせかける坊ちゃんは、その意識で常に確固たる位置を保っていたか。明るいユーモアや痛快な批判と見えているのは実は外貌であって、例えば次の様な部分を見逃す事は出来ないのである。

おれが組と組の間に這入って行くと、天麩羅だの、団子だの、と云ふ声が絶えずする。尤も大勢だから、誰が云ふのか分からない。よし分かってもおれの事を天麩羅と云ったんぢやありません、団子と申したのぢやありません、それは先生が神経衰弱だから、ひがんでさう聞くんだ位云ふに極まってる。こんな卑劣な根性は封建時代から、養成した此土地の週間なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底直りっこない。(十)

 ここにあるのは無論先に指摘した断絶意識だが、生徒の言葉として「それは先生が神経衰弱だから、」云々と想像されている事は注目に値する。坊ちゃんが「神経衰弱」であるなどと従来考えてみたことがあっただろうか。此部分の前後を含めて、生徒集団の不気味さ、眼に見えぬ周囲の敵から受ける恐怖感の様なものが描き出されている。生徒は個人として描き出されてはおらず、そのことが断絶意識とも関係しているが、ここでは坊ちゃんは高みから批判を下すのとは反対に、目に見えぬ敵に対して、むしろ弱気になっている。一年いれば「潔癖なおれも、この真似をしなければならなく、なるかも知れない。」と受け身である。

そこで仕方がないから、こっちも向の筆法を用いて捕まへられないで、手の付け様のない返報をしなくてはならなくなる。さうなっては江戸っ子も駄目だ。駄目だが一年もかうやられる以上は、おれも人間だから駄目でも何でも左様ならなくっちゃ始末がつかない。どうしても早く東京へ帰って清と一所になるに限る。(十)

 批判者がその批判対象の次元に降ろうとしている。此事は以後の漱石の小説の主人公を考える上でも重要な事なのだが、とにかくこれは坊ちゃんの敗北を意味する。それを避ける道は只一つ、帰京して「清と一所になる」事である。
 団子を食べた時には生徒に逢わなかったのだが翌日黒板にそれを書かれ、温泉で人のいない間に泳いで、泳ぐべからずと張り紙される。「何だか生徒全体がおれ一人を探偵して居る様に思われた」(三)とあるが漱石の被害妄想・探偵恐怖・被追跡症はよく知られており、此意味でも坊ちゃんは紛れもなく漱石の分析である。こういう不気味さ・恐ろしさが坊ちゃんの胸をよぎり、東京の清を求める。今日でも現実に教師のノイローゼは多いが、生徒集団を眼に見えぬ不気味な敵と意識している坊ちゃんが「神経衰弱」になってしまわぬのは、一方に佐幕派士族の誇りがあり更には東京に同じ佐幕派の清がいるからである。此点で、山嵐と比較しておくと、上京した坊ちゃんは新橋で「山嵐とはすぐ分かれたぎり今日迄遇ふ機会がない」(十一)と打ち切っており、此事は「二日立って新橋の停車場で分かれたきり兄には其後一遍も遭はない」(一)と一致していて、佐幕派と云っても清と山嵐は同列に扱われていないことが知られる。

参考資料:『「坊ちゃん」の世界』平岡敏夫 1992年はなわ新書

     「坊ちゃん/ 夏目漱石」明治三十九年「ほととぎす」


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