2018年6月頃 うつ病時の生活(1)

精神科でうつ病と診断された時、1日1錠分の薬をもらって、1週間後来てくださいと言われた。

好きなことしといてください、ゲームやり過ぎ
たりとかしないでくださいとも言われた。

でも、やりたいことが全くなかったから、何もしたくなかったから、1日のうち数分だけ友達にLINEを返してるとき以外、ほとんどの時間寝てた。

テレビも見なかったし音楽も聞かなかった。

テレビ見ても頑張ってる人をみると、ああなんて自分はダメなんだと悪い方向に考えるし、ラブソングを聞いてもおれには彼女できねえよと考えてしまう。

お風呂に入っても、身体洗うだけで疲れきったりするから、風呂入らない日、身体だけ洗う日、頭だけ洗う日、湯船にだけ浸かる日と分けていた。
ごはん食べやとおかんに言われたら食べには行った。

眠ってないときは、ベッドの上で、過去の悪い思い出がよみがえってきて、自分を否定しかできなかった。

こんな、1回で合計22単位しかとれへんクソ野郎が強引にうぷ入って、授業サボって、小学生相手にお兄ちゃんぶってる。。。なんて迷惑かけたんや。という風に。(今、思うと単位とかどうでもいい!大切なんは、いっしょに楽しもうとか愛情とかいった真心!)

そして自殺を考えるようになった。
もうこれから生きていくの嫌や。こんな厳しい世の中にもうついていけない。たぶん、おれは人として生きるのに向いてない。成長しようとしても心は置いてきぼりや。
大学行くのも働くのも嫌やぞ。親もおれなんかいてても邪魔やろ、小3の弟にもこんな兄いたら悪影響や。
家の近くの線路の上の橋から電車が走ってきたタイミングで飛び降りようかな?いや、でもそれやるとめっちゃ高い損害賠償が求められるのは知ってる。しかも、自分の血を見たくないな。崖から海に飛び込んで溺れて死ぬほうがいいかな? 車の中で一酸化炭素中毒になる方法は分からないな。なんか、失敗しそう。

そんなことがずっと頭の中をグルグル回っていた。

家に誰もいないときに部屋の中でベルトで首絞めたり、ゴミ袋の中に顔を突っ込んだりした。苦しなってきてやめた。
あーあ自殺て相当苦しいんやろな、だって骨折、後遺症、再起不能、植物状態を超えたとこに死ぬてあるもん。

ベッドで寝転びながら、おかんに「死にたい。」と言った。

すると、「うまいこと天国行けたらええけど
な。。。もし変に後遺症残ったりしても苦しいやろうしな。。。もし死んじゃってもそういう運命やったと思っとくわ。辛かったな。おつかれさん。」 と言われて、そっと顔にふとんをかぶせてくれた。

その言葉でわずかに楽になった。それでも、自己否定はずっと止まらなかった。

そうして、1週間が過ぎ、精神科で診断を受けた。
薬は1日2錠になった。
昼ごはんに食べに行ったそば屋でおとんに「これから学校行ってもええし、働いてもええんやで。」て言われた。
おれは「え。。どっちも嫌やわ。。うつなる前から嫌やったもん。」て答えた。

おとんは、「やとしたら前からうつ抱えてたんかもしれへんな」と言った。
たしかに、高校で苦しかったときとかもうつやったんかもしれへんなとハッとさせられた気分になったこともあった。

2週間目も相変わらず、寝てることが多かった。

寝すぎで身体痛くて散歩しても100mくらいで気持ち的にしんどなって帰ってきて、弟に、「帰ってくんの早!!」てツッコまれた。

ちょいちょいおかんに、悩みを相談するようになった。

会話に苦手意識があることも言った。

すると、「他人に興味持ってる?」と言われた。
「秀くん(弟)に学校であったこととか聞いてるのあんま見たことないもん。」

興味はあるのはある。でも、なんか、聞くの
が照れ臭くて聞いてないてことに気付いた。

他には、この頃、大学の教授をめっちゃディスってた。あんな、ダサい見た目で前でつまらん話して空回りしとる。
あんなやつ、おれ絶対なりたないぞ、あんな人生送るくらいなら死ぬほうがましやみたいな思想を持っていた。

自分はカッコよくて何でもできて楽しい人にならなければいけないと思いこんでいた。
そして、自分を変えようと必死やった。

大学生は、フル単とって、バイトして、サーク
ル楽しんで。。。無理矢理「イケてる自分」になろうとしていた。

でも、この変なプライドと命やったら、命のほうが大切やなと思った。
理想を追い求めるのはいったんやめて、今の自分のままで楽しもうていう発想になっていった。

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