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嘘をついたことがあった。

母にゲームをやめろと言われて、家族が集まる一階から、誰もいない二階の部屋に帰ったときだった。

小学生のとき、僕は多くの子どもたちと同じように、ゲームをするのが好きだった。公園で集まってゲームをしている子どもたちの中の一人だった。しかし、満足ゆくほどゲームを買ってもらえるような家に僕は生まれなかったらしかった。携帯ゲーム機だけがあって、同じものばかりを遊んでいた。いろんな種類を試せないから、同じものをやり続ける他なかった。新しいゲームを手に入れることのほとんどはかなわなく、やりたいゲームができる度に友達の家に遊びに行った。

その頃、Yくんとよく遊んでいた。Yくんの家にしかないゲーム機があって、遊ばせてほしいとYくんにせがんでばかりいた。それがみっともないことだとなんとなく分かっていて、僕はなるべく意図が見つからないように、気持ちを抑えながら少しずつ交渉した。Yくんは条件を出してくることが多かった。いっしょに他のゲームをやることや、なにかを手伝うことだった。僕は友達の家にあるゲームしたさに、条件を飲むほかなかった。Yくんがどんな気持ちでいたか、僕の気持ちをどこまで知っていたかは、分からなかった。

けれど、条件が達成されたあとで、約束はしばしば覆された。Yくんの母親に今日はもう帰るようにと言われた。テレビが使えなくなかったこともあったし、そもそもYくんが約束を守ろうとしなかったこともあった。僕は条件を飲んだはずだった。僕は条件を遂行し、約束を果たすべきはYくんのはずだった。それでも守られないことが多かった。僕は嘘をつかれたのだと気づいた。そのときになって初めて、人は嘘をつくのだと学んだ。自分のためや、他人のためや、社会のために。僕は騙されたと気づくまでにずいぶん時間がかかり、すべてを知ったときに絶望した。
同時に、騙されるほうがわるいと言われるのは、きっと僕のほうだとも思った。約束を守らなかったことを責めたところで、果たされたはずの時間が巻き戻り、改めて遂行することは不可能だと分かっていた。もしそれができるのならそうしたいような気もしたし、どうでもいいことであるような気もした。


僕も嘘をついた。僕は二階にあがってきた母親に問い詰められた。「ゲームはもうしないって言ったよね、してたでしょう」「ううん、してない」ゲーム機はクッションの下に隠していた。この嘘はバレようがないと自信があった。直接見ていないことを確かめられる方法なんて、あるはずがないと確信があった。

母は悲しんだ。「ゲームをしていたことじゃなくて、嘘をついてまで隠そうとしていることが悲しい」母は悲しんでいることに嘘をつかなかった。僕はどんな簡単な言葉も出てこなくなった。

僕は嘘をつかれたとき、悲しんでいたのだと気がついた。

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