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東京はさびしい

訳あって突如一人暮らしを始めた。
埼玉県がいやになったからだ。実家は新築だったし、特に親のうるささは人並みだったろうけれど、実家に住み続けている自分と、埼玉県がいやになったから家を出た。

一人暮らしをはじめてみるとわかるが、料理や家事のありがたさを感じる前に、そんなことを気にするはるか以前に、問題はいくつもあったことに気がつく

第一

に、家具や家電、消耗品を買うサイクルができていることが、努力によってなされたものなのだと、生まれて初めて、理解する。
ティッシュやトイレットペーパーは勝手に補充されない。白米だって自分から増殖してくれない。食器を洗うスポンジは、無限には使えない。 

第二

に、生活習慣をサポートする存在の無さに恐怖する。朝起きても誰もいない、昼も、夜も、帰ってきても、出かけなくとも。気にする必要がない代わりに、気にかけてくれることもない。

第三

に、自分の生活を自分で保証しなければならないと覚悟する。責任は自分にある。風邪を引いたら終わりだ。熱が出たまま外出するのは難しい。たとえ頭が痛くとも、仕事をしなければ収入がなくなる。できる限りの予防策としては、栄養バランスを考えたり、手洗いをすることが挙げられる。すべては、今まで人並みにうるさい親に言われていたことだった。煙たがっていた説教の答え合わせが、否応なしに連続して起こる。間違えれば落ちるのは自分だ。誰のせいにもできない。

上記をすべて通った上で、いや家事がありがたかった、洗濯はめんどくさい、料理が出てくるのは嬉しい、やっとそう口に出すことができる。はたと気づく。「一人暮らしはめんどくさいよ」と言っていた先駆者たちは、とっくにこの過程を経ていたのだと。

東京はさみしい街である。さみしさと引き換えに得られるのは、利便性と電動キックボードの先行利用チケットだけだ。それが良いのかは、今となってはわからなくなってしまった。

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