罰(ばち)について
皆さんは『罰(ばち)』ってあると思いますか?
怪しい宗教勧誘ではございません。どうぞ抜いた刀を鞘に収めて聴いてください。これだけ科学が進歩した今でも『そんなことするとバチが当たるよ!』なんて耳にしますよね。皆が語り継ぐということは誰しもが『バチ』に相当するものを経験したことがあるからだと思うんです。
根も葉もない『この廊下で告白すると成功する』なーんて、学校の噂は風と共に去っていくのに『バチ』は今も尚残ってる。やはりバチってあるのかしら?
罰について色々…
『直接的な罰』と『間接的な罰』について「お供え物」を例にアレコレ。
直接→お地蔵様にお供えされているまんじゅうを食べ、そのまんじゅうのせいでお腹を壊す。
間接→お地蔵様にお供えされているまんじゅうを食べ、その帰り道財布をなくしてしまう。
どちらも『そら、バチが当たった!』って言えるけど、そのバチの種類はだいぶ違うような気がします。
友人に罰の話をした時面白いことを言われました。
『罰ってさ、後ろめたさの事じゃない?自分でもダメだって分かってたことした後に、なにか不幸が訪れたら、その後ろめたさの言い訳として「罰」って思うんだよ。きっと。』
ほほーう、ははーん。すごい面白い。自分の悪さ、後ろめたさが罰にすり変わる…。めっちゃ面白い。これももっと深めたい。
あんまりまとめ考えていませんでした。
改めて、皆さんは罰ってあると思いますか?
(画像は、なーんにも関係ありません。図書館で置き引きにあわぬよう、自分の思いつく1番の罵倒で敵を牽制している写真です。モノ盗るヤツにはバチ当たれ!!)