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もっとかみ砕きたい次元のはなし

運動好きに悪い人はいない説を提唱してるけど、正直なところキャッチ―やから使ってるだけであって。どんなに運動好きでも、トレーニング対談とか、波長の合わん人はあわんでな。(笑)

SNS上の薄っぺらい、限られた文字数とビジュアルマウント世界のなかで言ってみてるだけ。”運動好きに悪い人はいない”って。
ゆうなれば
それこそ、わざとらしい薄っぺらめな表現と自負してる。


まあ、そう受け取ってる人は少ないやろうけど。



ついでにいうと、


”グループフィットネス最高!”、”グループフィットネスこそ価値がある!”って言ってるけど、私は断然パーソナルトレーニング推奨派です。笑

というか私の理想郷なんやけどな。


人間の身体が十人十色であるように、
本来自分の身体や食生活と向き合うには、1対1がちょうどいい。自分対自分!
つまり自分自身で自分の身体を観察してコントロールするのが理想。でもそれってだいぶ難しいから、それに1人のプロが要ればいいよねって話。

常に四六時中伴走するっていうより、時々ポンってその時欲しいヒントをくれる存在。パーソナルよな、そのやりとりって。



永遠に傍観者がいい理由

わたし、4年前ぐらいから、ボディメイクコンテストを見るのが趣味になってて。ころなが流行る遥か前。当時、何がおおきなきっかけで、何がハマった理由かはっきり分からへんのやけど、書道で作品を世に生み出してた2020年代以前の七夕の短冊に、筆で願い事として”美BODY”って書いてるのが残ってる。

ちなみに私が好きなカテゴリは、メンズやとフィジークとスポーツモデル。レディースやとフィットネスビキニ♡

つまりは結構ぱりぱりな仕上がりが好き。


何ゆうてんねんって感じやろな、競技知らん人からすると。←




youtubeで最近も直近の大会密着とか見まくってたここ数日。爆

これもまた、持続性のない世界やな~って思ったり。それでも見てしまうのってなんでやろな~って(自分が出る予定一切ないのに)ちょっと内省的な方向へ考察が深まっていったり。

それで気づいたことなんやけど、コンテスト出る人多くは、自分を超えたいから、とか結果残したいから、とかやと思うのね。手段。あくまでコンテスト出場も、そこで結果残すのも手段。


例えば、
パーソナルトレーナーとして有名になりたいから、大会で優勝してプロフィールに大々的にかきます!とか、

集客に困ってるから、大会出て、良い素材写真撮ってもらって、SNSでビジュアル出していきます!とか。

私の周りこれめっちゃ多い。(笑)


この辺って、圧倒的に手段でしかないんよね。

ボディメイクが、(稼ぐのための)手段。
大会出るのも、(売名的な)手段。

それで残るのは、”○○女王”っていう肩書とか、結果問い合わせとかスポンサーが増えるとかいう反響よね。


これって、フィットネス業界の上手くできたカラクリやと思ってる。私はコンテストに出たことないから良いも悪いも、そもそも評価したり意見はするつもりない。けど、○○の女王がもたらすのは、相対評価の塊であって、評価するのが人間である限り、歪んだ評価基準がはびこるのは否定できひんと確信してる。


だから、好きで見てるコンテスト動画も途中で観んのやめるときある。←ほんまに好きなんかい、ってな。(笑)



何が言いたいかっていうと、
ボディメイクなんて一生もんやし、習慣のことを指すと思っていて。

そんな中で、1位~順位を決める。ひとをふるいにかける。

それは違和感なんよ。

私の中の価値観では消化しきれへんから、ずっと傍観していたいです。






あと、”ダイエット”って日本語では”減量”を意味してるけど、
”diet”って本来は”食生活”もしくは”食習慣”の意味。

the kinds of food that a person, animal, or community habitually eats.

Oxford Languages






ふう、思うことの0.5%ぐらいしかかけてないけど、おーしまい。

99.5%を言語化してこっと。


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