太平洋の奇跡

 映画の話です。竹野内豊が主演の太平洋の奇跡と言う映画のモデルになった人。大場栄大尉をご存知でしょうか?戦争末期に日本軍は組織的な戦闘ができなくなっていました。兵糧もそこを尽きようとしていました。弾薬もわずかしか残っていなかったでしょう。そんにかでもゲリラ戦をしてアメリカを困らせた部隊の隊長です。霧を読み匠にゲリラ戦を展開しフォックスとあだ名され敬意を表されていました。
 大場栄大尉は苦学して多分師範学校だったと思います、を卒業し念願だった教職についていました。彼の元にも召集令状が届き出征する事になりました。厳しい訓練と過酷な戦闘が待っていましたが彼はそれも前向きに捉え、厳しい修行であると考えていたのではないでしょうか。映画の中に「確かに死を恐れぬ勇気も時には必要だ。だが死ぬことは目的ではないあくまでも勝つことが目的だ。」と部下を諭すセリフがありました。そうこうしているうちに日本は降伏しました。しかしこの部隊は戦闘をやめずあくまでも抵抗していました。
 それでは困るとアメリカ軍が談判を持ちかけたのですがその時のセリフが「私はこの島で褒められるようなことは何一つしていません。しかし私は存分に戦いました。」と言っていました。その時の談判では折り合いがつかなかったのですが、しばらくして幸福はしないが日本が降伏したので、連隊旗を米軍に預けることで部隊は解散する運びとなりました。
 その時の行進でも皆痩せこけてはいましたが軍歌を歌いながら堂々たるものでした。降伏したあともあくまでも筋をとうして闘い敵からも敬意を表される。まったくあっぱれなお人でした。
 復員してからも地方議員を努めたりと世の中のため人のためと奔走したのだと思います。なかなかここまでは筋をどうせないものですが、きちっと筋をとうした姿は光るものがあると思います。

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