Seteの友人 2003.10.15

昨シーズンの1シーズン目(2002~2003)は、南フランスのSETE(セット)というチームに所属していました。
地中海に面した港町で、スペインとの国境にも近く、一年中暖かい、環境的にも過ごしやすい地域です。

登録上の関係で、第1節(1st.part)は出場できませんでしたが、第2節になって、登録もようやく許可が下りて、初戦からスタメン出場できるようになりました。
(出場できなかった第1節)チーム成績は…… まさきの12戦"全敗"!?
記念すべきオレの初の海外チームが……。でも自分が出て勝つことができれば、それはチームとしても勢いづくし、自分への評価にも繋がる!と、これ以上ないチャンスだというふうに考えるようにしました。
会長のジャン=フィリップ氏は、
「後半戦はお前(ユウタ)に任せる! たのんだぞ!」
この言葉で、嬉しいというより、むしろ良い緊張感となりました。

チーム全体で気持ちも切り替えた第2節(1月~ )。
初戦から2連勝して、何とか結果を残すことができました。
チーム関係者や周囲の方からも認められ、ようやくSeteという街で温かく迎えてもらえるようになりました。
地元新聞社「Midi Libre(ミディ・リーブル)」からも取材を受けて、翌週の新聞のスポーツ欄に、一面(写真付)で掲載されました(バレーボールマガジン10月号に掲載)。

そのおかげで、地元の人やその地域の人から「ユウタ」と覚えてもらうことができた。街を歩いていても声をかけてくれて、一緒にカフェや食事に行ったり買い物に行ったりして、そのときに彼らからフランス語も少しずつ教わることができました。
初めてSETEに来た頃とは180度違う対応だった。

1シーズンしか一緒にプレーしなかったけど、チームのメンバーや関係者と知り合い、日を追うごとに仲良くなれたし、最初のシーズンとしてはバレーとそれ以外でも満足しているし、彼らには本当に心から感謝しています。

SETEの隣にある大きな街「MONTPELLIER(モンペリエ)」の会長アルマーシャ氏には、まるで子供のように面倒を見てもらえた。
常に気にかけてくれて、電話も定期的にしてくれました。
アルマーシャがいなかったら……と思うと、感謝してもしきれないほどです。

そして、オレにフランスで「親友」ができました!
プロチーム「ARAGO DE SETE」の元選手として活躍していたデビッド(通称ペイス)だった。
彼は確かに上手な選手だ。人間的にもしっかりしていて丁寧。
いつでも、どんなときでも頼りになる男というイメージ。。オフのたびに、食事にも遊びにも一緒に連れてってくれました。
また、彼は自分の考えていること(バレー)を完璧に理解してくれた唯一の人間で、プレーについても良し悪しを正直に評価してくれました。
フランス語も彼から教わっていました。オレも日本語を彼に少し教えたけど。。。

彼はとことん日本が気に入っています。というのも、彼はラジコンが大好きで、日本のラジコン雑誌もなぜか持ってました。
「今度、日本に行きたい!」
と何回も言っていました。これだけペイスに世話になったんだから、日本ではそれ以上の世話をしたいと思います。

SETEのみんなには心から感謝しています!
時間があれば、ちょこちょこ遊びに行きたいと思っています。本当にありがとう!

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