9月に読んだ本、見た映画

 コロナにかかってベッドにいる時間が長かったのでそこで結構本が読めた。

読んだ本
『Hマートで泣きながら』(ミシェル・ザウナー著)
『テヘランでロリータを読む』(アーザル・ナフィーシー著)
『それから』(夏目漱石著)
『怠惰の美徳』(梅崎春生著)
『菜食主義者』(ハン・ガン著)
『浮遊霊ブラジル』(津村記久子著)
『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』(小野寺伝助著)
『クソみたいな世界で抗うためのパンク的読書』(小野寺伝助著)

観た映画
『アステロイド・シティ』(ウェス・アンダーソン監督)
『コンパートメントNo.6』(ユホ・クオスマネン監督)

①『Hマートで泣きながら』(ミシェル・ザウナー著)
 韓国人の母親とアメリカ人の父親を持つ筆者が、母親を亡くした後に書いたエッセイ。
 引用する箇所を探そうと読み返してたけどどこも良くて、良くて、というか、エッセイとしてぐっと引き込まれる箇所が多かった。電車でうっかり開いてしまって涙ぐみながら読んだし、コメダコーヒで読みながらおしぼりで涙を拭った。ヤバいやつじゃん。元から涙もろくもあるんだけど最近とみに涙が出やすい。

 五年のあいだに、わたしはおばと母を癌で失った。だからHマートに行くのはイカや三把一ドルの小ねぎだけが目当てではない。わたしは記憶を探しにHマートに行く。アイデンティティーの半分である韓国人の部分が、おばや母と一緒に死んだわけではない証拠を集めに行く。Hマートは、抗癌剤の副作用で髪が抜けた頭や骸骨のような体、鎮痛剤ヒドロコドンの投与量の記録といった、心に取り憑いて離れないおそろしい記憶からわたしを遠ざけてくれる橋。十本の指先に指輪型をしたはちみつ味のチャング・クラッカーをはめてひらひらさせ、韓国のぶどうを皮ごと食べて種を吐き出す方法をやって見せてくれた、美しく、元気いっぱいの母たちを思い出させてくれる場所なのだ。(p.19)

 Hマートはアジアの食材を専門に扱うアメリカのスーパーマーケット。そこに並ぶ食材を眺めながら、フードコートの人々の様子を見ながら、著者は母親と交わした言葉を思い出し、涙ぐんだりする。元気だった頃の母親は食べることに対してとても情熱を持つ人で、エッセイには度々、母との思い出の韓国料理が登場する。

 著者と母親はずっと仲の良い母娘だったわけではなく、進路に関して激しく対立したときは家というのは彼女にとって地獄だった。また、アメリカで育ち、その価値観を持つ著者にとって、韓国人である母親のあまりにも子供本位の生き方は不可解でもあった。

 コレットを見るにつけ、母の夢が気になった。母の目的意識のなさが異様で、あやしげで、反フェミニスト的にさえ思えてきた。子育てが人生の中心だなんて、そんなばかなことがあるだろうかと、単細胞なわたしは憤慨した。目に見えない家事労働を、夢を持たず実用的なスキルも身につけなかった怠惰な主婦の暇つぶしと切り捨てた。わたしが家を守ることの苦労を知り、自分が感謝もせずどれだけ母に甘えていたかを自覚しはじめたのは、実家を出て大学に入ってからだ。(p.70)

 それでも、家を出てから母との関係は雪解けを迎えた。互いに価値観を受け入れ、ぎこちなかった関係がもっといい形に落ち着こうとしていた矢先に、母はステージ4の癌が見つかり、闘病の末帰らぬ人となる。

「こうやって仲よく話ができるのっていいよね」。さんざん迷惑をかけた十代の記憶が薄れかけたころ、大学から帰る途中で、わたしは母に問いかけた。
「まったくよ」と、母は答えた。「お母さんも、気づいたことがあるの。あなたのような人には、会ったことがないんだ、って」
 あなたのような人には会ったとこがない。まるで別の町から来た赤の他人か、ディナーパーティーに友だちが連れてきた変わり者について話すように、母はそう言った。わたしを産み、育て、十八年間同じ屋根の下で暮らし、わたしの「二分の一」である女性の口から聞くには、不思議な言葉だった。わたしが母を理解できず苦しんだのと同じように、母もまたわたしを理解できずに苦しんだのだ。世代と文化と言語の断層の両側にわかれ、相手がなにを期待しているのかちっともわからず、接点もないままさまよい歩くうちにいつしか年月はすぎて、謎を解き、心のなかに相手を迎える場所を作り、ちがいを認め、屈折した共通点を評価できるようになったのは、ここ数年のことだった。なのにこの先ずっとつづくはずだった実り多い理解の季節は乱暴に断ち切られ、わたしはひとり手がかりもなしに、母の遺産を解き明かすことになった。(P.220)

 大切な人を亡くした経験は誰にでもある。(幸福なことに今はなかったとしても、いつか必ず経験する)そのとき、わたしたちは、悲しみに塞ぎ、なにを見ても故人を思い出し、あのときこうしていれば、というどうしようもない後悔をするだろう。それでも、残されたものは生きていくしかない。それしかできない。そのことがあまりにも鮮やかに描かれていて泣いてしまう。人生ってなんでしょうね。

②『テヘランでロリータを読む』(アーザル・ナフィーシー著)

 テヘランの大学で英文学を教えていた筆者は、抑圧的な大学当局に嫌気が差して辞職し、イスラーム革命後の圧政の下で、優秀な七人の女生徒とともに、当時禁書となっていた西洋文学を自宅で語り合う勉強会を開いた。筆者がアメリカに移住するまで続いたその勉強会を中心として回想の形で綴られている。その当時のイランの圧政と、その中で苦しみながらも、勉強会でいきいきと文学を論じる少女たちの聡明さが印象に残った。

 三十年ほど前のテヘランで、革命による国内の混乱や戦争という過酷な状況の中でも文学を学ぶ人がいたということに人間の持つ強さや善性を感じた。取り上げられていたオースティンやナボコフやフィッツジェラルドも読みたくなった。

 チャイムが鳴る少し前に、休憩中ずっと口をつぐんでいたザッリーンが突然立ち上がった。話す声は低いが、動揺しているようだった。人々はなぜわざわざ文学を専攻しているなどと言うのだろう、そう言うことに何か意味はあるのだろうかと考えることがある、と彼女は言う。この本に関しては、弁護のために言うべきことはもう何もありません。この小説自体がみずからの弁護になっているからです。私たちはこの本から、フィッツジェラルド氏から、いくつかのことを学べるかもしれません。私がこの本を読んで学んだのは、不倫はいいことだとか、みんないかさま師になるべきだなどと言うことではありません。スタインベックを読んだ人が全員ストライキをしたり西部に向かったりしましたか? メルヴィルを読んだからといって鯨をとりに行きましたか? 人間はもう少し複雑なものではないでしょうか? 革命家には個人的な感情がないんですか? 恋をすることも、美を楽しむこともまったくないんですか? これは驚くべき本です、と彼女は静かに言った。この本は夢を大切にするとともに夢に用心することを、誠実さは思わぬところにあることを教えてくれます。とにかく、私はこの本を読むのが楽しかったし、それも大切なことなんです。わかるでしょう?

 引用したのは、筆者が大学で教鞭を取っていた時期に授業で『グレート・ギャッツビー』を取り上げた時に、ある女生徒が発言したものだ。一部の生徒が、ギャッツビーのような文学は「頽廃的」で「ブルジョワ的」でイスラームの価値観にそぐわない、若者の心に悪影響を与えるものだから授業で扱うのは不適切だ、と述べた際、それに反論し、諭すようにザッリーンは言う。人間はもう少し複雑なものではないでしょうか? 私はこの本を読むのが楽しかったし、それも大切なことなんです。

 たぶん文学を学んだものなら誰もが、文学を学んで何になるのか、結局、自己満足以外の何者でもないのではないかと思ったことがあるだろう。文学は万能薬ではなくて、圧政や虐殺、理不尽な扱いから守ってはくれない。
 けれど、内政は混乱しきっていて、言論の自由はなく、戦争で、あるいは粛清で、あまりにも簡単に人の命が失われて行く中で、それでも、そんな状況でも本を読むことをやめない人間がいるということが、なんだか文学の価値を表しているように感じた。どんな状況でも人は本を読むことで慰めを得ることができる。(こともある)それは十分価値のあることではないか。

③「それから」(夏目漱石著)

 高校生の時に現代文の評論の試験問題で「漱石という人はおそろしく孤独な人だったが、漱石の作品は不思議と読者を孤独にしない」から始まる文章を読んだことがあって、ずっと心に残っていた。大学受験が終わったらたくさん漱石を読んでみようと思っていたのに、十年以上も積読してしまった。

 百年前くらいに書かれたにしては読みやすすぎる。「真理」の話しかない。人間の感情の普遍のところを書いているから長く読み継がれているんだろうな。面白かった。

 ただ応えるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方ともたいした変わりはないと信じていることである。それだから、自分のむかし世に処した時の心がけでもって、代助もやらなくっては、嘘だという論理になる。もっとも代助のほうでは、なにが嘘ですかと聞き返したことがない。だから決して喧嘩にはならない。(中略)親爺はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇っている。
 実際をいうと親爺のいわゆる薫育は、この父子のあいだに纏綿する暖かい情味を次第に冷却せしめただけである。少なくとも代助はそう思っている。ところが親爺の腹のなかでは、それがまったく反対(あべこべ)に解釈されてしまった。なにをしようと血肉の親子である。子が親に対する天賦の情合いが、子を取り扱う方法の如何によって変わるはずがない。(中略)自分が代助に存在を与えたという単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証となると考えた親爺は、その信念をもって、ぐんぐん押して行った。(P.35)

 主人公である代助と父親との関係について。ウワー!!!!! 真理の話をしている。世代を超えて普遍的な、あーこういうこともあるよねっていう人間関係、親と子の話をしている……全然古びない……。

「そんなに理屈を言うなら、参考のため、言って聞かせるが、お前はもう三十だろう、三十になって、普通のものが結婚をしなければ、世間ではなんと思うかたいていわかるだろう。そりゃ今はむかしと違うから、独身も本人の随意だけれども、独身のために親や兄弟が迷惑したり、はては自分の名誉に関係するようなことが出来(しったい)したりしたらどうする気だ」(P.140)

 そりゃ今は昔と違って独身も本人の自由だけど……って百年前から言われてたんだ。

 彼は第一の手段として、なにか職業を求めなければならないと思った。けれど彼の頭の中には職業という文字があるだけで、職業そのものは体を具(そな)えて現れてこなかった。彼は今日までいかなる職業にも興味をもっていなかった結果として、いかなる職業を想い浮かべてみても、ただその上を上滑りに滑っていくだけで、中に踏み込んで内部から考えることはとうていできなかった。彼には世間が平たい複雑な色分けのごとくに見えた。そうして彼自身はなんらの色を帯びていないとしか考えられなかった。(P.271)

 家族の金で暮らしていた代助が働かなければいけない状況になった時の文章。就活中の私じゃん。

 夏目漱石、思った以上に面白くて、古典の読みにくさとかもあんまり感じなかった。他にも色々読んでみたいな。

④『怠惰の美徳』(梅崎春生著)

 エッセイと小説。タイトルで『怠惰の美徳』とか言ってるし、筆者も自分をものぐさの怠け者とか言ってるけどめちゃくちゃ誠実な人だと思った。

 戦中戦後に書かれたものとは思えない感性の新しさを感じた。周りが戦争に高揚している中で自分も一歩離れて世間を見ることができるか自信がない。たぶん私が戦時中に生まれてたら周りに流されて戦争を賛歌したかもしれんと思うと、なんか……すげえなと思った。(言語化の放棄)

⑤『菜食主義者』(ハン・ガン著)

 これもいずれ読まねばの積読だったので崩せてよかった。
 救いのない話なんだけどほのかに薄ぼんやり光るものがあるというか、「正気でいる」ということの細い紐を手放してしまっても、それでこの世の苦しみから逃れられるのならそれが不幸だなんて誰にも言えないんじゃないかと思った。

⑥『浮遊霊ブラジル』(津村記久子著)

 津村記久子を一冊も読んだことがなかった。自分の親しい人に津村記久子が好きな人が多いので視界には入ってたんだけど。コロナになって家にいなくちゃいけなかったので31歳人間の本棚にあったものを読んだ。「給水塔と亀」がよかった。

 いつまでも気楽でいたいと思っていたわけではない。けれど、いろいろなことの間が悪くて、私も積極的になれなかった。後悔はしている。人間が家族や子供を必要とするのは、義務がなければあまりに人生を長く平たく感じるからだ。その単純さにやがて耐えられなくからだ。(p.17)

 他にも読んでみたいな。『君は永遠にそいつらより若い』とか、タイトルがいいよね。

⑦クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書 (小野寺伝助著)
⑧クソみたいな世界で抗うためのパンク的読書 (小野寺伝助著)

 会社員をしながらパンクロックで音楽活動をしている筆者の、パンクの視点からの読書案内。パンクについて全然知らなかったけれど、紹介されている本がどれも面白そうでよかった。実際『テヘランでロリータを読む』や『怠惰の美徳』はこの本の中で紹介されていたので読んだものだったけれどどちらもとても良かった。パンクロックも聞いてみるかという気持ちになった。

 このクソみたいな世界で、あークソだなーと思いながら何をするわけでもなく生きている私だけれど、思考停止してはいけないなと思った。例えばチェーン店ばかりで食事をするのではなく地域のお店で買い物をするとか、政治に関心を持つとか、ヘイトに耳を貸さないとか、他者への想像力を忘れないとか、とにかく自分にできることを自分にできる範囲でやっていくしかない。やっていくぞ。

観た映画

①『アステロイド・シティ』
 
画面作りにすごいこだわりを感じた。色や構図で楽しませてくれるので画面を見ているだけでなんだか楽しい。ストーリーはよくわからないけどとにかく宇宙人が来て隕石を持っていくシーンが良かった。まったく前情報なしで映画館で見たのも楽しかった。

②コンパートメントNo.6
 感想むず。人生の話だった。(だいたいそうだよ)
 恋人に旅行をドタキャンされた、モスクワに留学中のフィンランド人女性が、一人で寝台列車でペトログリフ(岩面彫刻)を見に、ムルマンスクというロシア最北端の街を目指す。そこで粗野な炭鉱労働者の男と同室になり、最悪の旅になるかと思ったが、だんだん心を通わせるようになり、という話。
 少しだけロシア語を齧ったことがあるので少しわかる単語が聞こえてきて良かった。
 感動する場面も気に入ったフレーズもあるけれど、100点満点のお気に入りという感じではなかった。なんでかはわからない。


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