見出し画像

8月の日記(大阪旅行、11周年、アイドルの炎上)

八月三日(木)
有休消化の日。国立国会図書館でカフカの批評と現代詩手帖を読む。カフカショートストーリーコンテストに出したいと思ってるけど予定は未定だ。詩も地方新聞の文芸欄以外にどこかに投稿したりしようかな〜と思って現代詩手帖の投稿欄を見てみたけど難解で私はお呼びでねえかなと思った。

八月四日(金)
鎌倉に行く。小町通りの奥の方のブルスト屋さんでブルストを食べながらビールを飲む最高の平日。最近アルコールを遠ざけて生きているんだけどブルストにはビールが必要だった。今後はソバーに生きていきます。
なんか歩いていたら海岸に出たので海のそばまで行く。サンダルの隙間から入ってくる砂が熱い。トンビが飛んでいるのを見て有名な動画トンカメを思い出す。https://youtu.be/dbTavyCmSjQ?si=8aDahQ3pKes2SHQs

これ好きなんだよね。また小町通りに戻ってコロッケを買って食べる。江ノ電に乗ってスラムダンクの聖地になっている鎌倉高校前の踏切を見る。(スキズのピリちゃんも来てたので。聖地巡礼をするアイドルの聖地巡礼)観光客の小さな人だかり。普通に住宅地の近くなので住民の人からしたらありがたくないだろうな……ともちょっと思った。
また鎌倉駅まで戻ってたらば書房(ちっちゃい本屋)に行き、目についたソシオパスの本を買った。ソシオパス……こっわ。出会わずに生きていきてえ。
ブルスト屋に戻って31歳人間へのお土産を買う。そのまま駅に向かう途中のプリン屋さんで全品半額になっていたので4つ買ったら1個おまけしてもらえてラッキーだった。


八月五日(土)
31歳人間と阿佐ヶ谷七夕まつりに行く。大学時代は阿佐ヶ谷に住んでいたので愛着がある街だ。お気に入りのジェラート屋さんでジェラートを食べる。地元のおばあちゃんにお中元でここのジェラート送ったらめちゃくちゃ喜んでくれた(東京のアイスはハイカラねぇ〜って言ってた) ミート屋というその名の通りミートスパゲティ屋さんが七夕まつりの時だけ出すショートパスタが大好きなので楽しみにして行ったらミート屋……潰れてました。悲しすぎる。コロナのこともあったのかなあと思うと、お気に入りのお店にはちゃんとお金を使わなきゃいけないんだよなあと痛感した。屋台でパエリアを食べる。人が多すぎて少し辟易する。中華料理屋KOYAに入る。壁に手書きのメニューが貼ってあって、昔は「天使のエビ スパイシー」と言うメニューがあったはずだったけど無くなっていた。ミート屋もないし天使のエビ スパイシーもない阿佐ヶ谷、悲しいね。しょうがないね。代わりに頼んだナスを揚げたのに山椒がかかってるやつが美味すぎて天使のエビ スパイシーのことは忘れた。

八月七日(月)
引き続き有休消化。有意義に使いてえ〜と思いつつダラダラしてる。
A2KというJYPがやってるアイドルオーディション番組を見てたら一日が終わってた。かなり面白い。デビューしたらしっかり推したいな。

八月八日(火)
久々に出勤。
31歳人間に教えてもらってPEDROの生活革命という曲を聞き、よかった。

八月九日(水)
無の一日。アイドルが炎上している。もう誰も苦しんでほしくないしアイドルオタクなんか辞めたい、と思いながら更新されたBTSのVのソロのMVを見る。ステキだった。

八月十日(木)
朝マックを食べてから献血に行く。献血十回目だったので記念品をもらう。

献血をしたあと喫茶店でコーヒーを飲みながら、コロナ禍にいろんな職業の方が書いた日記をまとめた『仕事本』を読んだ。かなり面白かった。いろんな仕事があり、皆それぞれが生活をやっていっている、ということに励まされる。多分こういうことを感じたくて私はTwitter(現X)とかをやっていたんだよなあ。もう害の方が大きくなってやめちゃったけど。

昨日知ってしまったアイドルの炎上を引きずっている。

うまく言えないけど、私たちは「推し」の全てを知ることはできない、ということを忘れては行けないんだろうなと思った。今のアイドルは本当に生活のたくさんの部分をファンに見せてくれて、それでわかったような気になってしまうけれど、それでも私たちは同じテーブルで食事をすることはできない。見せられたものから「こういう人だろう」と想像して、その自分が作り上げた偶像を愛していく。でも何かのきっかけで、その偶像が壊れるかもしれない、ということを、心のどこかに持っていなければいけない。友人や家族であっても他人を完全に理解することはできない。人は変わっていくものだし、愛していた部分が失われたと感じることもあるだろう。その時、「私の愛した偶像に戻れ!」と言うことは無意味だし、「傷ついた分傷つけてやりたい」と思ってしまったとしても、誹謗中傷してはいけない。(会ったこともない推しを傷つけるのがあまりにも簡単な時代になってしまったと思う)

そもそも生身の人間をコンテンツとして消費することのグロテスクさを忘れてはいけなくって、私はアイドル産業を完全に肯定できないのにこうして「推し」を消費することでこの産業を支えていることを後ろめたく思っている、と言い訳をしながら消費を楽しんでいる……

とにかく、もしもう応援できないと思ったら、そっと離れるしかないんだと思う。
確かにあった楽しい時間だけに感謝して、そっと船を降りる。それは多分、とても難しいことだけれど。

八月十一日(金)
自由が丘のモンサンクレールでケーキを買って帰る。イートインしたかったけど時間が終わっていた。早く起きて有意義に時間を使いたいのにダラダラYoutube見ちゃうな。前行った時には店頭になかったセラヴィを無事ゲット。めちゃくちゃうめ〜。

八月十二日(土)
何かしたいなと思いながらダラダラYoutubeを見ている。夕方になって買い物に出たけれども何が欲しいわけでもない。明日は部屋の片付けがしたいと思ったのでここに記す。

八月十三日(日)
朝、少し片付け。昼、31歳人間が作ってくれたラーメンを食べる。その後カフェに出かけて『仕事本』を読了。

八月十五日(火)
17日から31歳人間と休みを合わせられたので2泊3日の旅行に行くことにする。大阪やどっかの島、山中湖や河口湖などが候補に上がり、今から宿が取れそうなのは大阪かな、と言うことで明後日から大阪に行く。夜食にお蕎麦が出るからと言う理由で決めたホテルに連泊することにする。

八月十六日(水)
31歳人間と交際11周年。31歳人間が20歳人間だった時からの付き合いと思うと感慨深い。明日からの大阪旅行の買い物などに行く。

八月十七日(木)
31歳人間と歌バトル(ワイヤレスイヤホンを片耳ずつでして、交互に選曲して同じ曲を聴くやつ バトルではない)をしながら電車に乗る。東京駅まで行く予定だったけど途中で品川を通過することがわかったので品川駅で降りる。前日までの台風で新幹線のダイヤに大幅な乱れ。品川駅新幹線改札内のスタバでいちごのフラペチーノとソーセージパイを立って食べる。立ち往生している人がたくさんいて、私たちはまったく計画性のない旅行だからいいけどそうでない旅行者は大変だろうなと思った。指定席は四時間後くらいまで埋まっていたので自由席にする。座れるか不安だったけど案外すんなり座れてよかった。新幹線の中でも歌バトル。
昼過ぎに新大阪に到着。スキズのリノがVLogで行っていたたこ焼き屋さんに行く。あつあつで美味しかった。
海遊館(水族館)に向かったけれど入場三時間待ちだったので諦める。大阪湾を眺めていたら視界に謎のドームがあり、調べてみたら「なにわの海の時空館」という博物館の廃墟だと分かった。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/なにわの海の時空館

しばらくWikiを熟読して、近くの商業施設で31アイスを食べ、観覧車に乗った。夕ご飯は串カツ。サイドメニューの土手焼きが美味しくて二回頼んだ。ホテルに帰る前に新大阪駅構内で見かけたプリンを自分たちへのお土産とする。2連泊するホテルは小さいけれど清潔でいい感じだ。駅からも近いし、夜食に蕎麦がつく。嬉しい。


八月十八日(金)
大阪旅行二日目。朝起きて新大阪駅構内のパン屋さんでモーニング。10時オープンの民博(国立民族学博物館)に10時12分に着く。14時過ぎに、お腹空いたね、ご飯にしようか、と休憩を入れた時点で展示の三分の一くらいしか見終わっていないことに気がついてめちゃくちゃウケた。嘘でしょ? 開館とほぼ同時に来てるのに? どう考えても見終わらない。

館内のレストランでご飯を食べ、これからはサクサク回ろうねと言っているのに「世界の楽器」「世界の言葉」などのゾーンが来るたび「面白そうすぎる……」となって絶望した。結局閉館時間までいたけど最後駆け足になってしまったのでまた必ず来たいなと思った。とても楽しかった。

その後ライトアップされた太陽の塔を見ながら観覧車に乗った。観覧車は楽しい。
新大阪駅に戻って駅の中の店で焼きそばとネギ焼きを食べた。焼きそば、太麺でとても美味しかった。

ホテルでテレビを見ていたら、インドの女性の映画監督のドキュメンタリーがやっていた。インド映画というとボリウッド、というぼんやりとした知識しかなかったが、番組の中で「ボリウッドの中で女は性的な対象でしかない」と監督は語り、そうではない映画を撮りたかった、と言っていた。Parchedという映画が取り上げられていた。いずれ見ようと思ってケータイにメモする。

八月十九日(土)
旅行最終日。キウイがいるので動物園に行く。キウイは暗闇の中ずっと壁を向いていた。31歳人間はわざわざYoutubeでキウイの動画を探して見ていることがあるくらいキウイが好きなので嬉しそうだった。
私と同じ名前の猿がいて、「身体は大きくても甘えたがり。興奮したり、嫌なことがあると、うんちを投げてくる」と説明されていた。

キウイのぬいぐるみを買った

昼ごはんにお好み焼きを食べた。生地がほわほわで美味しかった。

最後、リクローおじさんのチーズケーキと551蓬莱の肉まんを買って大阪を後にした。大阪は初めてだったけど食べ物は美味しかったし、民博や動物園も楽しかったのでよかった。

八月二十六日(土)
31歳人間が読書会の課題図書ということでギュンターグラスのブリキの太鼓を熟読している横で、『出セイカツ記』(ワクサカソウヘイ著)を読む。結構面白かった。特にエピローグが良かった。以下引用。

「ちょっと様子を見てみるか」
 この一言を発するだけで、とりあえず事は動く。様子を見るために店へと入り、様子を見るために注文をし、様子を見るために飯を口に運び、様子を身終えた証明としてお会計を済ませる。店を出たら、それぞれの「様子を見た」感想を漏らし合えばいい。意外と美味しかった、予想通りの中途半端な味だった、これまで出会ったこともないくらいの不味さだった。たとえネガティブな感想がこぼれるような結果であったとしても、同時に妙な達成感を得ていたりする。我々は様子を見るために店に入ったのだから、目的は遂行されているのである。
「ちょっと様子を見てみるか」の導入で物事に挑むと、そこに横たわっていたはずの緊張感は、少しだけ緩む。少しだけ軽くなる。
(中略)
 生きている最中では時折、気の滅入るような季節が訪れることもある。そんな際は心の中で「さて、滅の景色の様子を見てみるか」と唱える。そうすることで、わずかではあるが、重苦しい気分の隙間に風が吹く。やっぱりこれは、魔法の言葉なのだ。
 私はずっと、今生の様子を見ている。生きることの様子を、不安を飼いならしながら、夢中になって見続けている。
 やがて訪れるであろう曇りガラスの向こうの「死」とかいう永遠の景色、それをなるべく鮮明に窺うために、まずは「生」の様子を深呼吸しながら見ているのである。

出セイカツ記

八月は有休消化などもありのんびり生きていた。カフカショートストーリーコンテストには出せなかった。

読んだ本は
『僕は李箱から文学を学んだ』(李箱文学賞という韓国の権威ある文学賞を受賞した人の「書くこと」に関するエッセイを集めたもの)

 よく、文章を書くのは苦しい作業だと言う。しかし、私にとって文章を書くことは、苦痛より自由と没頭、充実感をもたらしてくれるものとして刻まれている。時おり文章を書くのが苦しいなら、それはたぶん存在することが苦しいからであって、文章を書くことのせいではない。(p.231)

 この世に生まれた者であれば、さびしさや恋しさに身もだえしない人はいないだろうが、それは克服しようとすればするほど大きくなる、神話の怪物のようなものであることを、かつて誰も教えてくれなかった。それを克服する術はなく、賢くよけなければならなかった。しかし、私はそうはできなかった。それが運命であると、やっと悟った。だから私は依然としてさびしさと恋しさを、余りにも大きくなりすぎて自分の力では到底どうすることもできない二つの怪物を心の裡に、今日も遥かなる道を進んでいる。
 しかし、そもそもそれを賢くよける方法を分かっていたとしても、そうであったとしても、よける方法を決して選ばなかったであろう。私は、自分の人生に対して常に真正面から挑まなければならないという愚直な人生観を持っている。それも「運命」なのだ。私のプロメテウスは、永遠に再生し続けるさびしさの肝を鷲についばませなければならず、私のシーシュポスは、永遠に転がり落ちる恋しさの岩を山頂に押し上げ続けなければならない。(p.323)

『良心をもたない人たちへの対処法』(マーサ・スタウト著)

ここに書かれているような人間にはできれば一生出くわさずにいたいな……。特に家族にソシオパスを持ってしまった人間の苦労や苦痛を読んで、こんなリスクもあるのかよと思うとますます子どもを持つ気がなくなった。しかし新しい人間との出会いは必ず、やばい人間と出会ってしまうリスクも孕むものだと思うと、友達作りとかも億劫になってしまいそうだ。ただでさえ友人が少ないのに。

『出セイカツ記』(ワクサカソウヘイ著)

 既存の生活観から脱して自由になるための、生活や未来に対する漠然とした不安に立ち向かう試みの記録として読んだ。いざとなったらどうとでも生きていける、と思えることは、この何かと苦しいことも多い世の中で生きて行くためのお守りになるだろう。

『仕事本』
コロナ禍のいろんな人の日記。パン屋さんやごみ収集員やアーティストなど、いろんな人がコロナによっていろんな変化を強いられて、でも、表紙にも使われているように留学生の人が書いていた「何に対しても私と関係ないって思ったら終わりじゃん?」ということに尽きるな、と思った。みんな自分のことで手一杯で、いつも他人や世の中のために何かできると言うわけではないけれど、それでも「自分とは関係ない」と思ったら終わりなんだ。自分の心身の健康を損なわない範囲で、あらゆるものに対してのエンパシーを忘れずにいたいと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?