くせ毛の果てしない物語

わたしは酷いくせ毛だ。今までにも何度だってこの髪質に泣かされてきた。この世には2種類の人間がいる。くせ毛の人間とくせ毛ではない人間だ。

そうやって、天敵である湿気を憎み、わたしは美容院を恐れて生きてきた。

好きな洋服を纏うように、ファッションの一部としてヘアスタイルを自らのものにし、自分の髪の毛を使いこなしているお洒落な人たちはわたしの憧れであり、同時に恐怖と嫉妬の対象でもあるのだ。そんなわたしにもやはり「希望のヘアスタイル」というものがある。いや、わたしにこそ、ある。

毎回、この扱いにくい髪をどうかあなたの技術力とセンスでいい感じにしてくださいと祈りながら美容院を選び、美容師を選び、予約する。

わたしは行きつけの美容院というものを決めていない。想いが通じた。この人にまたお願いしたい。という決定的な出会いを経験していないから決まらない、というのが正直なところだ。自分の髪質をも変えるほどのゴッドハンドに出会いたい。「高い技術力が定評」などの触れ込みに誘われ訪れるも「確かな仕上がり(ただしわたしのくせ毛は除く)」というように感じる。毎回かすかな希望を込めては、違う美容院、新たな美容院、と渡り歩いてきている。

そうしているうちに、わたしは流しのくせ毛となった。

美容院では受け身でばかりいてもいけない。したい髪型をしっかり伝えることが出来てこそ、技術で再現してもらえるのだ。わたし自身でも事前に少しでも自分のイメージに近く、参考になるようなヘアスタイル写真をインスタなどで探して、スクショしておくということも当日の予約時間ギリギリまでやっている。誰よりも美容院できれいにしてもらうことへの憧れは強い。

初めて訪れて席に通されてからまず始めに「今日はカットとカラーでご予約頂きましたが、どのようにカットされますか」と聞かれる。

ここでどういう風にしたい髪型を伝えるか。めちゃくちゃイメトレしてきている。本当に前日の夜はいつも寝不足だ。暗い布団の中でいくつも画像を検索しすぎて目はシパシパしている。これが十代や二十代の話ではなく、わたしはもう不惑の年齢だ。ここまでの緊張感を持って美容院に挑む人は同年代でどのくらいいるものなのだろうか。わたしにとってはいつだって、リフレッシュ、リラックスとは程遠いシリアスな空間だ。

「こんなふうにしたくて…」と、おずおずとスクショした写真の中の二、三枚を見せる。一枚では私がその写真のどこを気に入っているか伝わりづらい。何枚か見せることで「ああ、前髪をこうしたいのね」とか「毛先をこんなに重めにしたいのね」と伝わりやすくなると思うからだ。自分のなりたいイメージを伝えることはとても恥ずかしい。なぜこんなにも恥ずかしいのかわからない。しかしここで恥ずかしがって適当に伝えてしまってはいけない。まるきりお任せしてやってもらってもサマになるような髪質ではないのだ。おまけにおでこが広く丸顔なので、そこもうまくカバー出来る髪型でないとだめだ。コンプレックスが爆発して心は余裕を失い、匠のような厳しさになる。心は厳しくあるのに、出る言葉はしどろもどろだ。わたしは自分のしてほしいことを即座にうまく話せない。だから写真でうまく伝わってほしい。そのために厳選に厳選を重ねてここでいま見せているのだ。

しかし大体の美容師の方は「あー、OK」くらいの感じで一回見たきり、もう二度と確認してこない。

まず、ここで少し落ち込む。

そして過去の経験の学びから、カットに入る前に、先にくせ毛であることを伝えるようにしている。毛量も少なく柔らかい猫毛なので、あんまり梳(す)かないで重めにしてほしいことも必ず伝えるようにしている。

わたしのくせ毛は少し変わっていて、湿気ゼロの時には比較的真っすぐで艶もある。洗髪後の速度と工程がとても重要で、すぐにくるくるドライヤーで軽く乾かしておく。それから冷風と温風を切り替えながら風量の強いドライヤーでしっかり乾かして水分を完全に取り除き、最後にヘアアイロンを軽く通す。そうすれば、その後はなにもない限りは比較的ストレートで扱いやすい。しかし、湿気にめっぽう弱く、雨はもちろん、雪、雨上がりの軒先から垂れるたった一滴のしずく。それらに当たると本当に別の髪質になる。その日がちょうど雨なら髪質を見てもらえ、くせ毛を考慮した上でカットしてもらえるが、そうじゃない日はくせ毛と言ってもそこまで伝わらない。

湿気。

気づけばわたしはくせ毛と湿気について考えこんでいた。美容師のハサミの音が段々と遠のいていく。

くせ毛は、雨で髪に直接的に水分が触れることはもちろん、外気の湿気にすごく影響を受ける。違う、そんなことはわたしくらいになればもう受け入れているのだ。雨の日はもう仕方ない。基本的に休みの日であればそもそも外出しなければいい。仕事はそうもいかないので、出社日が雨に当たればもう諦めている。ただ、晴れた日が一日でも多くありますようにと春夏秋冬いつも願っている。雨が降れば、わたしの前髪はなすびのヘタになる。ただそれだけだ。さすがに連日なすびのヘタの出社では心が死ぬので、梅雨の時期は縮毛矯正をかけて何とかしのぐ。

ただ、縮毛矯正のピンピンの真っすぐさも苦手で、これはこれでいくらヘアアイロンでふんわり前髪を作って家を出ても、雨に濡れると瞬時に不自然なすだれのようになり、元々毛量の少ないわたしから全体的な髪のボリュームまで奪い取るため、今度は沼から出てそのまま出社してきた人みたいになる。縮毛矯正を当てれば万事解決なら、その方法をとっくにやっている。両極端な選択肢を迫られる。中間はないのか、と思う。

六月にかけた矯正が数ヶ月過ぎ、少し和らいで馴染んできてくれる頃合いがいちばん好きだ。ずっとその髪質でいたいと思う。でも生きている限り、髪は伸びるし、六月は毎年やってくるのだ。毎年一定期間は、すだれとして生きていくのを受け入れるのが今のところの心の落とし所だ。

用心しなければいけないのは、なにも雨の日ばかりではない。晴れた日でも迂闊には気が抜けないことになっている。気づきにくいけれど、冬の早朝なんかは小さな霧があって、空気がほんの少し湿っている。それに気づかせてくれたのも、わたしに搭載された前髪のセンサーにほかならない。(全体的にクセが出るのだけど、前髪がいちばん目立つので気になる度合いが違う)自宅から駅まで徒歩二十五分。家を出るまでは真っすぐだった前髪は、駅に着く頃には見事に湿気でクルクルになっている。どうみたって雲ひとつない晴れの日でもこんな目にあう。話が違うじゃないか!雨の日だけは仕方ないと受け入れただけだぞ!わたしは空を睨む。

それでもまだ、なすびのヘタで済んだ日はいい。クルクルなりに毛流れはまとまってはいるので、なんとなくそういうパーマをかけてるように見えなくもない。最低なのは雨に風が加わった日。

道中、雨と風に攻撃され続け、なんとか抗おうと顔の角度を斜めにしながら変な角度で歩く。わたしの髪の毛は柔らかいせいかとても軽い。傘の下では髪の毛がめちゃくちゃに右へ左へと翻弄されて続けている。そういう日は、駅に着くころには前髪が紗々(サシャ お菓子)のように織をなしている。そこから八時間。わたしは紗々として働くのだ。

そうなのだ、くせ毛に加えわたしは髪の毛が人より軽い。それも髪の毛を、よりやっかいにしているもののひとつだ。晴れた日、皆が風にそよがれ、少し髪がなびく程度の心地よいそよ風の中で、そこだけに台風が停滞してるかのようにわたしの髪の毛だけがひとり踊り狂っていることがよくある。

わたしの職場は商業施設内にあるオフィスなので、お昼休みにオフィスのある階から下へ降りれば、そこは会社員と買い物客で賑わう華やかな空間だ。スタバの外のテラス席で、スイーツやフラペチーノを手に同僚と談笑するOLや、友達とまったりお喋りする女子学生たちを眺めながら、わたしは近くのベンチに座って、踊り狂う髪の毛のすき間からファミマのツナマヨおにぎりと焼き鳥串(もも塩)を食べる。荒ぶる髪の毛をして誤解されるかもしれないが、わたしはそこにいるOLらとなんら変わりない心でお昼ご飯を楽しんでいる最中だ。わたしを俯瞰でみたとき悲しく映るのは、すべて髪の毛がままならないせいに違いない。


 ふと、我に返る。そうだ、美容院に来てたんだった。

先ほどの美容師は、わたしの不安をよそにどんどんと髪の毛を直毛の人にするみたいにカットしていく。まずい、、やめろ、、、そんなにそこを梳いたらくせ毛が出やすくなるんだ、、、しかし、ある程度始まってしまった流れを止める勇気がわたしにはない。

腕前に自信のある美容師>髪質に自信のないくせ毛

どちらのエネルギーの流れが大きいだろうか。物事は自信のある方へ流れてゆくものだ。

軽快なハサミの動く音に合わせて、わたしはどんどん沈んでいく。

いや、違う。向こうは髪のプロなんだ。わたしは「あんまり梳かれるのは好きじゃなくて重めがいいです」とちゃんと伝えた。なのにこんなに梳いてくるには考えがあるはずだ。重いほうが癖が出にくい。そんな神話をいつまで信じているつもりだ。大丈夫。信じろ。

そうしてカットとカラーを終え、髪を乾かす頃に美容師は首を傾げ始める。

「・・・前髪、、真ん中で割れるクセが強いですね。てか、けっこう全体的にクセありますね。ほらここ、後ろ髪のこのあたり、とくにクセが強いですよ。うねりやすい。」

鏡で確認させられる。

「縮毛とか、かけないんですか。かけないことでのメリットがあんまりないような。。」

今までこのやりとりを何度してきただろうか。相手を変えてもわたしがわたしである限り、その投げかけは殺せない。

違う、そうじゃない。その髪は、特に前髪は、髪を洗い終わったらすぐに真っすぐおろして、そしてすぐに乾かさないとクセで割れてしまう。さっきの洗髪後、前髪が目に入らないようにいったん後ろに軽くとかしてから、真ん中で一度分けてとかしたまま「少々お待ちください」と言われ、そのままの状態で数分待っていたから、こうなった。そしてうねりやすくなったのは、やはり毛を梳かれたことにより重みを失ったうえに、すぐに乾かさなかったからだ。とは自分では原因が分かっていてもなかなか言えない。そして、知る。直毛の人はちょっと乾かすのが後になったくらいで、前髪を濡れた状態で分けて数分放置したくらいで、髪の仕上がりに影響なんて出ないのだろうことを。

「そうです・・・ね。ほんとうに。。」

こうしたことで、わたしはますます自分の髪の毛が恥ずかしくなり、心がしゅんとしおれていくのだ。

「わたしの髪はこういうくせ毛なので、髪を洗い終わったらすぐに真っすぐにおろしてください。そしてすぐに乾かしてください。」

なんて言えやしない。そもそも言うタイミングとしたら洗われている最中だろうか。かゆいところはないですかって聞かれたときか。いや、顔になんか紙みたいなものを乗せられているのだ。すみませんの「す」の段階でそれが吹き飛んで行ったらどうする。では、洗い終わってシートを起こされて席に案内される道中か。いやそれでは遅いだろう。美容師はすぐどこかに居なくなる。

「すっ、あの、すっ…!(すみませんと言いたい)」

店内に流れる音楽にかき消され、その声は届かない。遠ざかる美容師をわたしは幾人見送ってきただろうか。

じゃあ、「今日はどういったカットにしますか」と言われた時に言えばいいのだろうか。早すぎて何も相手を信用してない感じがするし、印象が悪くないだろうか。だいたい多くの美容院では、シャンプーの段階で担当スタイリストは一旦掃けていき、シャンプーはアシスタントの人がしてくれる。最初の段階で頑張って伝えたとしても、その時にスタイリストが髪の乾かし方の注文までアシスタントに伝えてくれるだろうか。いや、伝えてくれたとしても、わたしの第一印象が「髪の毛の乾かし方にまで注文つけてくるやつ」ってなってしまわないだろうか。まあ、実際そうなんだけども。

アシスタントの人に直に伝えるにしても、いきなり「はじめまして。お願いですが、とにかく洗い終わったらすぐに髪を乾かしてください。」なんて言えるわけがない。すぐに乾かさない行為はくせ毛には命取り。数秒の気のゆるみが仕上がりの差を大きく隔てる。そんなことはわたしにとっては常識なのだけど、他の人には分かるはずもない。これはいい、悪いとかではなく、もともと直毛の人には想像も出来ないことなのかもしれない。いや、違う。なかにはくせ毛の美容師だっているはずだ。しかし、くせ毛といえどそのクセの出方は千差万別。だからこんなことはそもそも自分にしか分からなくて当たり前なんだ。わたしだって、きっと自分が想像もしてあげれてなく、自分にとっては気にも留めないようなことだったという理由で、知らずにひどく誰かを傷つけてしまったことがあったはずだ・・・何の話をしているんだっけ。とにかくこの人はすぐに髪を乾かしてくれる人だろうか、そうであってほしいと心の中でそんな祈りを捧げながら、心の中は随分遠く深い穴にまで来てしまった。それなのに、尋ねられた問いかけに「かゆいとこないです」「おゆかげんもちょうどいいです」しか言えないわたしのことを、わたしはもうほとんど嫌いになっている。




クセが強いです。その言葉を最後に

「お疲れさまでしたー」

クロスを取られた。終わった・・・のか・・・?

あ、もうわたしの荷物探してくれてる。終わったんだな・・・

「私のくせ毛は強い・・・」

呪いをかけられ、放り出されたような気分だった。

今までもそうだった。わたしは毎度この髪質と美容師たちに心を砕かれてきた。

知り合いの美容師に「俺が絶対可愛くするから」と自信満々に言われて初めてウェーブパーマをかけてもらったとき。施術後に「猫毛でくせ毛だからかな。思ったよりパーマがかかりやす過ぎる髪質だったから・・・」とまず言い訳された。鏡の前のわたしはゆるふわではなく、ドクタースランプあられちゃんの、ガッチャンこと則巻ガジラだった。

そこからしばらく縮毛やストレート以外のパーマをかけることは、頑なにしてこなかったのだが、岡山から関東に越してきてすぐの頃に、勇気を出して原宿へ内巻きパーマをかけてもらいに向かった。

なんの計画性もない無慈悲な天然パーマは嫌いだが、やはり人工的に手を施された方向性や規則性のある美しいパーマやカールのふわふわくるんには憧れがあるのだ。おしゃれで個性的な髪型を多く扱うであろう原宿ならと、希望をもって店のドアをくぐった。

内巻きパーマをお願いするとしっかりと髪質をみながらカウンセリングも相談も提案もしてくれた。「んーじゃあ、外巻きにも内巻きにもできるようにパーマかけちゃうね」と言われ、「それがいちばんしたかったんです!」とわたしは久しぶりに美容院で剥き出しの心を見せ、笑顔になった。

三時間後。内巻きとも外巻きとも呼べない、細かくうねったソバージュのようでいてそれですらない、ただ髪の毛がチリチリに痛んだ人になった。

「これは、、この人にとっての成功なのか、、?だって、あんなに親身にカウンセリングもしてくれたのだし、、パーマ得意って言ってたし、、」

頭の中はハテナでいっぱいだったが、心はショックを受けていて、泣きそうになっている自分に気づいた。

「すみません。こんなはずでは・・・これでは僕のプライドとしてパーマ代は頂けません。」と言われた。

タメ口が敬語になった瞬間、ああ、失敗されたんだなと理解した。

帰り道、インスタ映え、韓国ファッションの若者たちの賑わう竹下通りを、美容師のプライドを砕いたチリチリが足早にかけていった。


それでも懲りもせず、数か月後、もういちど別の原宿の美容院に行った。前髪を下ろしてほしいとお願いしたわたしに、トランクスヘアのイケメン美容師は言った。

「前髪の真ん中のここにちょうど、なんか、つむじがあるんすよ。だから前髪割れやすいんすよね。センター分けにしちゃえばいいのに。てか、えーーめっちゃ富士額すね」

前回も同じ地で敗北しているわたしは、二度も原宿まで来て、このまま帰れない。そこで少し勇気を出してお願いしてみた。なんとかなりませんかと。トランクスは言った。

「んー、ありますよ。センター分けが嫌なら、ここの富士額の真ん中を剃ればいい。そしたら上に上がって分かれてるとこが収まります。」

「え、剃る?そこ剃って大丈夫なんですか?」

「まあ、伸びてきたら剃ったとこが、ごま塩みたいになりますね。」と笑った。

「どいつもこいつも好き勝手いいやがって・・・。」

帰り道、竹下通りをキキララみたいな髪色をしたカップルの横をセンター分けの富士額が足早にかけていった。

どうしてうまくいかないんだろう。

二十代の日のいつかのこと。なにをしても髪型が決まらないわたしは友人に「気づいたんだけど、わたしはそもそも髪の毛が似合わないと思うんよ。」と、零したこともあった。

美容師と相性が悪いのだろうか。お洒落に邁進する美容のプロの前でわたしはあまりに卑屈だ。鏡に映る自分を見ている自分を見られることが恥ずかしくて、施術中いっさい鏡で髪型を確認しない。まるで関心がないようだ。しかし深層は真逆だ。どんな髪型にされるのか。わたしに似合うのか。少しはかわいくなれるのか。関心があってあって仕方ない。素直にかわいさや美しさやお洒落を目指せる人間には、この心理は理解できないだろう。そもそもの世界の見え方が違うのだ、きっと。

そして水面下ではここまで膨れ上がってしまった想いが、成功を渇望しているわたしの真剣度が、初対面の美容師より上回るのは当然なのだろう。だからわたしの想いは空回る。失敗しても髪質のせいだと言わんばかりの人もいた。だから美容師が苦手だ。だけど憧れてもいる。そして性懲りもなく、わたしは夢見ている。素敵なヘアスタイルになれる日を。


紆余曲折。そうしていまは、ようやく職場の近くにお気に入りの美容院を見つけることができた。接客も、料金も、仕上がりもいい。波長が合う。写真も「もう一回見せてもらってもいい?」と確認してくれる。会話も自然。ずっとわからなかった「美容院はリフレッシュ、リラックスの空間」ということが、すとんと理解できた。流しのくせ毛もようやく心の港を見つけたのだ。

 しかしつい先日、出来心でわたしはまた別の美容院のドアを叩いた。その店は家から駅までの途中にあって、いつも店の前を通って通勤するので、なんとなく前からそこにあるのは知ってはいた。今回利用しようと思った理由は、お年玉企画という限定メニューだった。
カット、カラー、パーマ、トリートメントになんと美顔ローラーのリファカラットの現品つきで19800円。これは高いけど、超お得だ。(リファ自体がもともと20000円くらいする)

そして、前髪と毛先にパーマを当ててもらった。結果、良かった。ただ、少しパーマの当たりが弱かった。

担当のお姉さんは「いつでも気になるとことかあれば一週間以内なら無料でお直しするので、来てください。」と言ってくれていた。

今までお直しというものをお願いしたことがないのだけど、前もってそう言ってくれてたので、多少言いやすい状況ではあった。どうしようかと悩んでいたところ、雨の日がやってきた。大変なことになった。
天然パーマと人工パーマのコンボで髪がとにかく収拾のつかないすごいことになった。毛先にパーマをかけられたことにより、なぜかかけていない部分のクセがひどく出てくるようになるというバグが発生した。湿気ひとつで、またもやめちゃくちゃな髪型になった。

「いつでも気になるとことかあれば一週間以内ならお直しするので、来てください。」

お姉さんの声がリフレインする。

正直迷った。これは成功とはいえない。雨粒がひとつ落ちればたちまちぐしゃぐしゃになるような髪の毛に19800円もかけたと思うと、心がえぐられる。ビフォーのほうが遥かに良かった。でもこれは、この場合は、お直しと呼んでいいのだろうか・・・。パーマ自体はいい感じに当ててもらっていて、そこはもう一回パーマを前回より少し強めに当ててもらえば済む話だ。言いにくいのはパーマをかけたことでより発動してしまったわたしのくせ毛をどうにかしてほしいということ。これは、お姉さんのせいではない。わたしという人体のバグだ。でも19800円もかけてこの仕上がりは辛すぎる。悩みに悩んで一週間になるぎりぎり前に電話をした。電話をしてから予約当日までの数日、憂鬱だった。


今回わたしの選んだものは全体パーマor縮毛矯正のメニューだったのだが、わたしの希望で部分的にだけパーマをしてもらっただけだったこともあり、もしかしたら根元から中間は縮毛矯正で、前髪と毛先だけはパーマをするというお直しを元々のメニューの範囲内で(追加料金なしで)お願いできるんじゃないだろうか、そうであって欲しいと願っていた。それをうまく伝えるイメトレを当日まで何度も繰り返した。イメトレを繰り返すうち、出来ないはずがない。これだって全体パーマと同じことだろう、という想いも湧いてきた。

当日、「前髪はいい感じなのでこのままパーマを残しつつ、毛先はパーマのかかりが弱かったのでもう少し強めにパーマをかけなおして欲しい。根元から中間の前回パーマをかけてない部分へ縮毛矯正をかけたい。」

伝えたいことはこれだけなのだけど、はっきりとものが言えないわたしの悪い所が出てきてしまった。

お姉さんは美容師歴二年目でまだ新人だった。自分の技術的な面でのお直しだと思っていたようで、会って早々にすみませんでしたと謝られた。そこをまず否定しなくてはと思い、慌ててしまった。

「これはほんとにわたしのクセが邪魔してきたせいで、かけていただいたパーマは、いい感じで。あ、でもちょっと毛先のパーマは弱いかなーと思ってて、もうちょっと強めに当てていただきたいなーなんて思ってて。で、パーマかけてないとこになぜか、クセがひどく出てくるようになっちゃって、雨の日とか大変で、あ、でも晴れの日はほんとにいい感じで、、ただ自分のくせ毛がここまでだったとは予想が出来なくて、、だからその、そこのところをシュシュシューっと縮毛矯正とかしてもらえないでしょうかね。」

しどろもどろに伝えてしまった。ちゃんと伝わったのかもわからないが、単なるパーマのお直しだと思っていたお姉さんは、店の人と相談してくるといってしばらくその場を離れた。胃が痛かった。お姉さんが変わらず誠実で、優しかったことが本当にありがたった。

戻ってきたお姉さんに、通常だと縮毛矯正とパーマで27000円だけど、前回の19800円を引いて7700円で全体にパーマをかけれるけど、どうするかと聞かれた。

やっべえ、さらにお金かかるんか・・・えっ、ていうか通常そんなにかかる?くせ毛の足元を見られている・・・と思ったけれど、もうここまできたら7700円でこの悩みが消えるなら安いとすら思い、お願いした。

施術を終え、お姉さんはまた言った。

「これでまたどうしても気になったり、なにかあればまた一週間以内ならお直しさせて頂きますね」

仕上がりの話をしよう。

わたしは前髪のパーマは残して欲しいとお願いしたのだけど、そこは今回縮毛矯正かけてくれたときに完全に取れてしまった。そして、急に浮上した縮毛矯正というワードに引っ張られて、お姉さんは肝心の毛先パーマのお直しを忘れていた。いや、これはわたしの伝え方が悪かったと思う。27500円もかけたが、満足できなかった。お直し期間は一週間ある。私はその真実をそっと追い払った。お直しのお直しでまた来店なんて猛者のなせる業だ。出来るはずがない。いいんだ、わたしにはリファが残っているじゃないか。すべてが元に戻ったわけじゃない。チリチリにされなかっただけよかったじゃないか。ちゃんとまだ港へ戻れる。

そうしてわたしは家から駅に向かう途中にあるこの美容院の前を通るたび、27500円という金額が頭をかすめるようになった。

「もう過ぎたことだ。確かに、今回の美容院でわたしの髪型は最終的に行く前とほぼなにも変わらない状態になった。それでも取り返しのつかないことになるより、よかったじゃないか。」

わたしは言い聞かせる。

しかしお店が開いている時間帯は、なんとなくお店の前を通るのを避けるため、道路を渡り、反対側の歩道を歩くようになった。

わたしを本当に苦しめているものは、はたして。くせ毛なのか、それともこの自意識か。

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