掌の力を弄ぶ「其の内(そのうち)」

先日、表通りのバス停の所に老夫婦がいました

腰が曲がってもう地面に合わせられなくなった体は

きっと正しいと思うのです

腰が引けている私よりはそれはもう神々しいのです

それよりもこうしている間にもどんどんと

漏れていっているかもしれない感受性

私はそれを防ごうと必死に子供ぶってみるのです

食事を左手で行ったりするのです

不意打ちに飛ばされた青光りのする風船を残念がってみるのです

隙間が 隙間が 隙間がみえるのです

鋏(はさみ)の先端すら入らないほどの隙間から

砂糖の匂いを嗅ぎつけた真夏の働き蟻のように黒く沈みがちな虚無感が練り歩く 列をつらねて あなたにそこで

そんな筈はないでしょうと どうしても冷たく言って欲しいのです

いつものように 私を悲しませるあなたでいて欲しく思うのです


蝶々が鱗粉を振りまきながら子供の周りを目障りに飛ぶのです

「あら可愛い」とその子供の母親は笑うのです

子供は体を掻き毟るのです

蝶々の鱗粉に目を回してしまいそうになるのです 私は

「ママは僕を僕の嫌うものと結びつけたがる 結びつけてはしゃぐ 喜べ、という 僕は僕が蝶々を嫌っていることが誤っているのだと考えるようになったんだ そうしたらどうしよう 僕は僕をとても嫌いになっちゃいそうだ」と解説をつけ、クスリと笑うのです

子供は理屈を捏ねないから好きだと彼は私に言っていたのです

私は彼が好きだったのです

理屈を捏ねる私を私はひとり好きだったのです

それでも彼は私を要してくれ それ故に時折、彼は

子宮の中で逆さまになっているのに気づいてもらえない

もどかしい逆子のような目つきで私をみていたけれど

私には受け止める器がない 器が、ないのです

私がこの親子から思い出を駆け巡る材料を頂いて ひとまわりして

ひと通りまた清算し終えたところ、その子供の母親は

まだなおしきりに「あら可愛い」「あら可愛い」

子供の髪にとまった蝶々に拍手喝采しているのです

この日の出来事はその子供の母親にとってみれば

小春日和の公園で わが子が生物に触れた素敵な記念日

その子供にしてみれば血は繋がれど、口に感情を表してみれど

伝わらない歯痒さを知り 何かが絶えた日

この光景を一番奥深い所で受け止めている私が何よりも無関係なのですが

やはりそういったものでしょう


海に近い公園で私の履物が

なぜだか急に恥ずかしく思えてくる昼下がり

こんな開放的な場面に 閉鎖的な頭の持ち主が

背中丸めて何をしに、のこのこやってきたのでしょう

明治牛乳のベンチに座ってこの大広場で

紅茶の湯気しかみていない

顔を上げれば、きっと太陽はそこにあるというのに


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