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6個入りのDポップをひとり占めした日 #ミスドの思いド

 ミスタードーナツが今年50周年を迎えて、ミスドでの思い出話を募集していると、締切直前の今週知った。子どもの頃の懐かしい記憶が今、頭の中でよみがえっている。

 私は小学生の頃、家から少し離れた場所にある歯医者に通っていた。歯医者の最寄り駅の近くにミスドがあり、診療を受けた帰りに、母にドーナツを買ってもらうのが楽しみだった。

 姉が留守番をして待っていたので、店内で食べるのではなく、いつも家に持ち帰っていた。一口サイズの小さなドーナツが6個トレイに入ったDポップは、毎回必ず買って、母と姉と私で2つずつ分けて食べた。

 普通のサイズのドーナツを一つ食べ終えてしまっても、小さなDポップを2つ食べられるのが嬉しかった。歯医者での怖い時間を我慢したご褒美だから、格別なのだ。

 母がDポップを箱から取り出して、「どれがいいの?」と聞く。こういう場面で、姉はすぐに「私はこれがいい」自分の希望を言うタイプ。私は「私はどれでもいいから、先に選んでいいよ」と言うタイプ。

 私のたちが悪いのは、「どれでもいいよ」と言いつつ、本当は希望があって、それが叶わないと心に不満を貯めがちなところ。だから、いつかDポップの6個のドーナツを一人で全部食べたいと願っていた。

 ある時チャンスが巡ってきた。姉が修学旅行で不在の日に、私の歯医者の予約があった。私は母に、今日は大きなドーナツは要らないから、Dポップを一人で食べたいと伝えた。

 あんなにもワクワクしていたのに、実際にDポップを一人で食べ始めると、母と姉と分け合えないのをつまらなく感じた。母に、「次回も、Dポップを2トレイ買って、お姉ちゃんと分けなくてもいいよ」と言われても、断ってしまった。

 Dポップはみんなで分けて食べないとつまらないと、小学生の私はつくづく実感した。それがどうしてなのか、当時は言葉にならなかったけれど、大人になった今はよく分かる。

 小さくてかわいい、いろんな味のドーナツを前に、どれにしようかなとワクワクする。あれこれ話しながら選ぶ時間が楽しかったのだ。

 今年は感染症の流行のために、美味しい物を食べながらみんなで歓談するのが難しい状況になった。だからこそ、Dポップを前にお喋りした記憶をとても懐かしく愛おしく感じる。

 でも、またそんな時間を楽しめる未来がきっと来ると信じている。私の記憶のDポップは、ミスドのサイトの「懐かしのメニュー」の1987年の欄にある写真そのもの。

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https://www.misterdonut.jp/museum/donut/y1987.html より引用

 今は「ドーナツポップ」の名前で、一口サイズのドーナツが売っていると、昨日ミスタードーナツを通りがかった時に見てきた。ドーナツポップを買って実家に帰って、母と、姉と、あれこれ話してみたい。