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なっちゃんの三日月クッキー

 12年前、私は会社で大きなプロジェクトの立ち上げに関わることになった。私が所属していた、5人の作業チームの一員であるMさんには、当時小学校3年生の娘、なっちゃんがいた。

 プロジェクトが始まる前は、私たちの部署は忙しくなく、Mさんは残業せずに帰れた。しかし、5月末頃から次第に忙しくなり、Mさんの帰宅時間が遅くなるにつれ、なっちゃんは寂しがるようになった。

 七夕の短冊に、なっちゃんが「ママが毎日早く帰ってきますように」と書いたのを見たMさんは、何とかしなくてはいけないと思ったらしい。毎日夕方に、会社の休憩室からなっちゃんに電話し、「なるべく早く帰るからね、おばあちゃんと先に夕飯食べてね」と連絡するようになった。

 平日は仕事で遅くなるけれど、Mさんは週末には、お料理が大好きななっちゃんと、いろんな物を作ったようだ。ある月曜日、なっちゃんの手作りクッキーを、作業チームのメンバーにも配ってくれた。

 チームのメンバーたちは、それぞれ仕事の合間にクッキーを頂いたが、忙しくてMさんと雑談する余裕もなかった。

 その日の夕方、Mさんが恒例の電話をなっちゃんに掛けている時、隣の資料室にいた私にも、Mさんの声が聞こえた。
「なっちゃんのクッキー、すごく美味しいって、みんな褒めてたよ。また一緒に作ろうね。ママ、お仕事がんばって、なるべく早く帰るからね。」

 資料室からデスクに戻った私は、メモ用紙になっちゃんに宛てたメッセージを書いた。

なっちゃん、おいしいクッキーありがとう。みんな元気が出たよ。
なっちゃんのママ、お仕事がんばっていて、カッコいいんだよ。
なっちゃんがおるすばんしてくれるから、ママがかつやくできるんだよね。いつもありがとう。

 Mさんにメモを渡すと、照れた笑顔で喜んでくれた。

 それから数回、なっちゃんはチームの中の私だけにクッキーを焼いてくれた。なっちゃんのクッキーの抜型はいつも三日月の形で、たまに星型の時もあった。「七夕の時に空にお願いしてから、お月さまやお星さまに祈れば、願いが叶うと思っているみたい」と、Mさんは優しい母の顔で教えてくれた。

 なっちゃんが三日月クッキーに込めた願いは、秋には叶った。プロジェクトは無事に始動し、Mさんは残業せずに帰宅できるようになった。

 こんな昔のことをふと思い出したのは、Mさんから先日、退職の挨拶メールが届いたことがきっかけだ。Mさんが別の支社に異動してから、連絡を取っていなかったけれど、以前から「娘の学費の貯金にめどがついたら、早めに退職する」と聞いていたから、退職の知らせを受けても驚かなかった。

 Mさん、長年にわたり、お疲れさまでした。猛暑の続く今日この頃ですが、十五夜の頃には涼しくなることでしょう。オンラインで待ち合わせて、一緒にお月さまを見ませんか。お団子ではなく、月型のクッキーを食べながら。

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(以上で本文は終わりです)

 塩梅かもめさんの「 世界の片隅であなたが見る月の欠片を探しています 」の企画を拝見した時、私の頭に浮かんだのは、同僚のMさんとなっちゃんとの思い出です。子どもの手作りの型抜きクッキー。お店で売っているようなホロホロ・サクサクではなく、しっかりしたビスケットのような噛み応えの記憶もよみがえります。

 かもめさんの企画の、「お国柄や郷土色を含ませながらエッセイもしくは小説を書いてみませんか」という部分、私のこのnoteはお国柄も郷土色も出ていなくて残念なのですが…。お月見コンテストへの団体参加とのことなので、隅の方でまぜていただけたら幸いです。