「想い」を形にすること
自分の「想い」を言葉に出すことは案外難しい。
友人や同僚と楽しくお話をすることはもちろんあるし、日々誰かと対話しながら生きている。でもだからといって、自分の気持ちの全てを人に伝えることなんてできない。
「ここまでは言っても大丈夫」「これは言わない方がいい」日々の何気ない会話の中でも、心の奥底ではそう考えている。
それが「優しさ」からくるものであるなら良い。でもそうではなく、それが打算的なものであったり臆病な気持ちからなのであれば、それは変えるべきところなのだろう。
「想い」を言葉に出来ないことが「自己表現」をきちんとできないことの結果なのであれば、それほど悲しいことはない。
最近世間では許しがたい事件や悲しい事故など、辛いことで溢れている。最近の私はそういった出来事にとても敏感で、そのニュースを目にするたびに心がざわざわと騒ついてしまう。
そして、私たちの周りにはいつも「死」が渦巻いているのだなと感じてしまう。事件や事故、病気…生きることと死ぬことは表裏一体で切り離すことは出来ない。
いつ、どこで、自分ないし周りの人が倒れるかわからない。いつ、どこで、何が起こるか分からない。それは昔からずっとそうで、何も変わらないことなのだろうけど、最近ようやくそのことに気付き始めた。
そして、こう思った。
『もし自分に何かが起きた時、私の中にある「考え」や「想い」はどこにいってしまうのかな。どこに消えてしまうのかな。』
それは決して暗い気持ちで思ったわけではなく、ふとした瞬間に感じた何気ない疑問だった。
私の中には様々な事に対する様々な「想い」が詰まっている。それは自分の中の秘めたる想いであったり、人に伝えたいけれどまだ伝えられていない想いであったり。喜びや楽しみ、悲しみ、後悔など、本当に様々。
それらは、私が口にしないと形にはならない。
消えてしまうかもしれない「想い」である。私の「想い」は私にしか表現できない。私だけが形に出来る大切なものなんだろうな。
だからこそ、形にするため一つの手段としてnoteを試してみようと思います。
難しいことを書きたいわけではなく、日々のちょっとしたことを綴っていきたいと思います*
#言葉 #想い #考えたこと
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