不要不急の自粛要請とは。自己責任とは。考えてみる。想像力って大事。
新型コロナウイルス。
不要不急の外出自粛要請について考えてみる。
「そんな不要不急のこと、自粛しろよ!」といってる人を多く見かけるようになりました。
自粛を強いられて(って変な話)、収入が減り、助けてくれ〜!と叫ぶ人に向かって、自己責任だろという人も良くみかけます。
そうなんでしょうか。そうなんでしょうか?
当然人によって基準が異なるものだけど、どこまでなら出かけて良いのでしょうか。
どう思いますか?
遊びはだめで、仕事は仕方ないですか?
例えば(例えばよ?)
いつものシャンプーを求めて電車で美容院まで。
...どう感じますか?
音楽は遊びですか?仕事ですか?
タバコは?
肉や酒なんかは不要ではないですか?
三密じゃなかったらいいですか?
仕事(医療系など除く、伝われ..)にはいかされるけど、飲み会は自粛。
これは仕事のほうが大切だからですか?人の命よりも仕事が大切って判断してるということで良いですか?
(例えば、よ?)
みんなまずは自分に出来ることを、自己判断で、自粛しているんですよね。(それも大切なこと)
正直、仕事はよくて満員電車乗って、娯楽は自粛って、本当に危機感持つのむずかしくないですか。
今は、ひとりひとり出来る限りのことはやるべきというのは良くわかります、同感です。
あくまで例え、考えてみる回です。
で、突き詰めていくと、みんなの不要不急(つまり衣食住)の外出を制限するということは、それなりに極限であって。
(その極限を普段から強いられてる人がいることも私たちは可視化しなければならなりませんが、また今度)
本当に、感染拡大防止のために、本来ひとりひとり尊重されるべき権限を制限して、人の動きを止めるのなら
生活の補償/保証を決めてはじめて外出禁止に効果があるだろう。と思っています。
だからって不用意に出かけてる人を擁護するというのではないです。
でも、一言発する前に、想像力を持てたらいいなと思っています。
自分にとっての不要不急と、人にとってのそれ、またそれをどう判断して行動するかは驚くほどちがうものです。
音楽(の仕事)なんてわかりやすい例ですよね。
同じようなこと言うのでも、想像力があるかないかで、人に与える印象がアレな気がします。
物事には色んな側面があるということ知って
"みんなやってる"を盾にしないで。
責め合うのはやめよう。
責め合わないことと、権利を主張したり改善や救いを求めることは反することではないはず。
それから、これはいつも言ってるのだけど
いままでもこれからも国民の質が国家の質です。
ふんばりましょう。反省すべきところは活かしましょう。
そして
これまた常々思うけど、大変さはその人にしか分からへんし、比べられるものではないよ。
なにか主張した人に対して、お前だけが大変と思うな!という人、結構多いんですけど、
国民主権、民主主義の国なので、普段から、まずは自分のことは自分や仲間と訴えたらいいんですよ。
最終的にそれがどういうバランスで受け入れられるのかは、時代の流れとか状況とかで変わるとと思いますが。
自分が多数派にいるときにものをいうのは簡単なんやで。
責任ない立場や安全な場所から正義を振りかざすのも簡単。
たしかに踏ん張らなあかんとき、ぐっと堪えるときってあるんだけれども
たまたま流れに乗れているときに、転んでしまった人、間違えてしまった人を叩いて笑うなんて、想像力も心もない人がやることです。
矛先の向きや言い方には気を付けようって話。
とはいえ
普通に、可能な限り出歩かないほうがいいとは思います。
人の命はどんなに後悔しても戻ってこないからな。
今はずいぶん感染者の体験談とかも見れるようになっているから
実感沸かない人(私もちょっと前までそうだった)は、そういうの見てみると良さそうです。
私なんて生きてるし、幸い明日食べるものに困るほどでもないのだけど、本当に色々心が痛いです。
もちろん自分にできる限りのことは尽くしますが、どうしてゆくべきなのか、ずっと考えてしまいます。
最後に、こうした状況で働いてくださっている、働かなければならない
医療従事者、保健所、手続きなどの現場の職員、物流業界のみなさまには本当に頭があがりません。
手厚い特別な手当(現金給付)がおりますように。
まずはすべての人の健康、生活が保証されるよう願っています。
また亡くなられました方にご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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