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斜めのまちなみ!?吉祥寺のナゾ

こんにちは!メヘヘメンバーのみやはえと申します。note2本めの記事は東京都武蔵野市の「吉祥寺きちじょうじ」をピックアップし、先日中央線に乗っているときに私がふと思った「吉祥寺のナゾ」を解き明かしていこうと思います。

吉祥寺ってどんな場所?

吉祥寺駅南口

吉祥寺は東京都の中央から少し東側の武蔵野市にある地域です。近年は住みたいまちランキングでも上位にランクインすることが多く、2022年度では横浜に次いで2位に名を連ねています。新宿や渋谷まで電車で最速およそ15分という抜群の立地を誇り、近年はアパレルショップや飲食店が多く出店するなど、抜群の利便性と話題性に起因した集客力によって、幅広い層から支持を得ています。また、上記の都市的な側面の他に、井の頭恩賜公園をはじめとした緑豊かな環境も支持を集めている要因となっています。

吉祥寺のナゾ

中央線の快速電車に乗っていると、東中野から立川までほとんど一直線に東京を横断するのですが、西荻窪から吉祥寺周辺は線路に対して斜め向きの町並みが広がっていることに気付く人もいるのではないでしょうか。


高架線路を支える柱に寄りかかって撮影。道が違和感のある曲がり方をしています。
中央線快速電車のホームから三鷹方面を向いて。
線路側に建物の角が向いていることが分かります。

多くの場合は線路に平行に建物が建ったり、線路に沿って道が引かれたりしています。しかし、吉祥寺のまちは線路から見ると斜め向きの建物が規則正しく並んでいます。どうでしょう、違和感を覚えませんか?

武蔵境駅周辺地図(地理院地図)
吉祥寺駅周辺地図(地理院地図)

今回はこれを「ナゾ」と位置づけ、調べてみたいと思います。

吉祥寺の由来

そもそも吉祥寺は昔どんなまちだったのでしょうか?吉祥「寺」というくらいだから門前町だったのでしょうか?答えはNoです。まず吉祥寺に「吉祥寺」という寺はありませんし、吉祥寺は門前町でもありません。吉祥寺とは現在の水道橋付近(現在は本駒込に移転)にあったお寺で、武蔵野市吉祥寺は明暦の大火の際にこの門前の住民がこの地に避難してきたことから始まりました。元はこの一帯は原野でしたが、明暦の大火の4年前に開通した玉川上水のおかげもあり、門前の住民が開墾し定住したと言われています。彼らは昔の自分たちが門前に住んでいた寺の名前を取ってこの地を「吉祥寺」と名付けたそうです。

吉祥寺が斜めにみえるワケ

タイトルで「斜めのまちなみ」と言ってしまいましたが、歴史的には斜めなのは吉祥寺のまちではなく線路の方です。先述のとおり、吉祥寺には江戸時代からまばらながら人が住んでおり、そしてここでは新田開発が行われていました。農地を興すのに最も大切なのは「水」ですが、吉祥寺は南に玉川上水や神田川、北に千川上水が拓かれた場所です。また、青梅街道から別れた新田道(いまの神明通り)、五日市街道が通り、西多摩の山々から江戸へ木材を輸送する際の経由地点でもありました。

現在の五日市街道(武蔵野市吉祥寺本町)

武蔵野市の東部のうち、現在の中央線の北側にあたる吉祥寺と西窪は五日市街道と玉川上水および神明通りまで、短冊状の土地区画が規則正しく割り振られました。この短冊状の土地区画というものは、江戸時代の新田開発の名残で、この時の区画が今も残されているのです。なぜ短冊状がいいのかは明確な情報が得られませんでしたが、こうすると水と道を平等に振り分けられるのではないか、と考えます。つまり、吉祥寺まちの元の骨格を為していたのは五日市街道や新田道といった街道や玉川上水や千川上水、神田川といった水路でした。

旧新田道(杉並区西荻北)


神田川(杉並区久我山)


神田川(三鷹市井の頭)
玉川上水(杉並区久我山)


吉祥寺は鉄道が通る頃はまだ田畑ばかりの小さな集落だったのです。一方で中央線は原野を突っ切るため直線的に線路を敷設したのだとか、街道沿いに通せなかったからやけくそになったのだとかいう説があり、真相は定かでは無いものの、旧来の区画を無視して線路を伸ばしたがために今の線形になったと言われています。青梅街道や五日市街道は少々北西方向に向かって作られた街道だったため、中央線は吉祥寺のまちなみからは斜め方向に通っているのです。これが吉祥寺が斜めのまちなみに見えることの全貌です。

まとめ

ここまで吉祥寺のまちなみが斜めに見えるワケをみていきました。街道に沿って形成された新田が元の区画であったために、吉祥寺は中央線から見ると斜めのまちに見える、ということでした。今でこそ路地が増えて碁盤の目状に見えますが、条坊制を採用し、区画を整理したのではなく、新田を拓くうえで合理的な方法で区画され農地や村が拓かれたのです。今でこそ新しいものが流れ込み、おしゃれなまち、住みやすいまちとして広く認知されている吉祥寺ですが、実は非常に歴史を感じさせるまちなみだと言うことが分かりました。武蔵野市をはじめとする武蔵野地方には今でもこのような土地区画が残っているところがあります。ぜひまち歩きをする際は区画にも注目し、町の持っている歴史について思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

参考文献

住みたい街ランキング 吉祥寺が2位浮上「コロナ禍に強い街」 恵比寿は4位に後退:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp) 最終閲覧:2023/12/06
「吉祥寺」って実際のところ、住みやすいの? 憧れの街の実態を調査! (aruhi-corp.co.jp) 最終閲覧:2023/12/06
「吉祥寺」の地名の由来 | 地名由来.com (chimei-yurai.com) 最終閲覧:2023/12/06
小平の土地の形状と暮らし(小平市の昔話)|東京都小平市公式ホームページ (city.kodaira.tokyo.jp) 最終閲覧:2023/12/06
むさしの百年物語プロローグ 太古~開村(紀元前2000~1889)|武蔵野市公式ホームページ (musashino.lg.jp) 最終閲覧:2023/12/06
新田村落の典型、武蔵野 - 土地に刻む碁盤の目 - 国土づくりの歴史 - 大地への刻印 - 水土の礎 (suido-ishizue.jp) 最終閲覧:2023/12/06
中野区ー杉並区貫く「中央線」はなぜ一直線なのか 地図にまっすぐ線引いたというのが定説だが… | 旅・趣味 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net) 最終閲覧:2023/12/06


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