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欲しい物は、突然やってくる

3月末日、一年間お世話になった会社で、20代女子達から

お疲れ様会をしてもらい、綺麗な花束をもらった。

そこに「いつも太陽の様な」という文字が書いてあった。

多分何気なく書かれた物だとおもうけれど

その言葉が目に飛び込んできた瞬間に思わず泣いてしまった。

「いつも太陽のような」は、私にとって魔法の言葉だから。


私には、一つ年上の姉がいた。

太陽のようにキラキラと周りを明るく笑顔が眩しい人だった。

そんな彼女が大好きで、いつもいつも彼女の後を追いかけていた私。


アメリカで酷い失恋をして、当時付き合っていた彼から家を追い出され

異国の地で途方にくれていた時も

サンフランシスコまで私を励ましに来てくれた

優しい優しい人だった。

しかし、彼女の子供が幼稚園に通い始めた頃から

その笑顔に曇りが見える日が増えていく。


地方のアナウンサー登録をしていた彼女は、

岐阜という場所では少しばかり目立つ存在で

それを快く思わないママ友から

嫉妬という陰湿ないじめを受けてしまう。


人は、淋しい生き物で、

優し過ぎたり、キラキラ眩しい人は、

人に嫉妬されたり、妬まれたりする。


姉は、それを咎める事もなく

子供に影響が及ばない様、誰とも戦わず

自分自身を責める事で解決をしようと笑顔を作って生きていた。


そのあたりから彼女は、体調を崩し始める。

「食後、胃が痛くなる」と言い出し大きな病院へ行った時は、

既にステージ4で末期の胃がんになっていた。

スキルス性のその癌は、小林麻央さんと同じと言えば分かりやすいと思う。


私には、イジメから彼女が体調を崩したとしか考えられなかった。



そして、胃がん発見から9ヶ月後に

38才という若さで天に昇ってしまった。

私の結婚式を見届けた2か月後、

幼い子供を残し静かに逝ってしまった。


自分の命が短い事を悟った彼女の無念は、

病室でわが子を見るまなざしからひしひしと伝わってきた。

きっと自分の運命が悔しくて悔しくてたまらなかったのだと思う。


その時、私はある決意をした。


「お姉ちゃんの分も、私は生きる」と。

姉の分も太陽のように生きる、それが私の使命だと感じた。


本当は、太陽より月が好きな私にとって

太陽の様に明るく生きることは、

一つの人格を作り上げるような事だった。

いつも誰かの陰に隠れて様子を伺う幼少期の自分。

大人になるにつれ、明るく活発な自分もいたけれど

やっぱり、とても明るいものは苦手だった。


だから「太陽のように生きる」は、簡単じゃなかった。

でも、時間を取り上げられた彼女の分まで生きなければと

自分を作っていった様に思う。


だから、カードにある「太陽のような」の文字が

自分に寄り添ってくれるようで涙が止まらなかった。


私は、ようやく姉に報告が出来る気がした。

生きてると、こんなに素敵な事がある。

感動して涙が止まらない事があるんだなと。

世代の違う女子達から「さちえ・さちえ」とフレンドリーに呼んでもらい

距離なく笑顔を作れた1年間。

みんな、本当にありがとう!







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