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引き算の概念②〜日本人が本質に立ち帰ると幸せがわかる〜

微細な色彩感覚をもつ民族、日本人。

赤に近い色というだけで、

浪花鼠
御所染
紅葉色
木槿色
萩色
海老色
梅重
唐紅
紅の八潮
洋紅色
真紅柘榴色
真朱
茜色

まだまだあるが割愛する。

注目すべきは、
名付け方。

さらには、
意味合い
である。

名付けに「漢字」が用いられるのを
読者諸君は当たり前だと思っているのではないか。

漢字からはイメージ力が養われる。
1字から伝わってくる情報量はアルファベットなどの他を圧倒する。

「梅重」などと見ただけで、
梅の花が重なる色合いが浮かび、
空気に含まれる湿度まで伝わってくるようだ。

梅が放つ香り、
そこに思い出されるは幼少期に香った懐かしさと、香りに喜びが溢れた歓喜の光景だ。

「梅重」と見ただけで、わたしは踊り出したくなる。

日本人の感性とは、
本来そういうものなのではないか。

漢字1字で幸せになる感性を持ち合わせているのが日本人なのだ。

わたしは、
教育、宗教、脳科学、量子論、精神世界、ヒーリング、チャネリング、リーディングについて学習して来たが、行き着くところ、本質はみな同じだ。
幸せになるには想像力と感性が必要なのだ。

はっきりと言いたい。
ちまたに溢れたスピリチュアルな話などは、
とっくに日本人がもっていた感性なのだ。

諸君は、清少納言を読んだことがあるか。
あの一文字一文字から伝えてくるエネルギーと、時代の空気感や質感が諸君は感じ取れるか。
平安時代の人々の奥ゆかしさにいたるまで、感じ取れるか。

感じ取れなければ、日本人の感性を発揮しきれていない。
日本人のDNAを活用しきれていない。

断言する。
「事実」しか受け止めきれていない人間は、
「感性」で受け止められる精神性が豊かな人間に比べて、
幸せが半減する。

残念だが、人生における精神性の発達を自ら葬ったも同じだ。
精神性の発達とは、人間の器を広げることだ。

器を広げたいと自らを進化発展させる人間から伝わってくる本氣のエネルギーは、
神をも引き寄せ、味方に付ける。

吉田茂しかり
松下幸之助しかりだ。

昭和に躍進した人物たちが、
どれほど神の力による後押しをされてあそこまでになったのか、どうか心の目で見て氣がついていただきたい。

人間の器とは、
自分を許容しながらも、
欠けたピースを探し求め、
自らの力で掴みに行く努力によって広げられていく。

一切の愚痴は、
現実を作り出した自分を否定する行為であり、
百害あって一利なしの愚行だ。

愚痴は感謝が足りないから言いたくなる。
自分の幸せを他によって得ようとするから苦しくなるのだ。
主体性とは、人として生きる上で中核を為すものであり、死ぬまで無くしてはならない。

感謝の足りなさによるひ弱な己を叱り続け、
正道から逸れず、ひたすら未知なる不安と恐怖に打ち克つ精神力の向上が己の器を広げる。

さらには、

この世界をよりよくする一員となりたいと
ステージを上げ続ける不動のチャレンジ精神と
実行力を行使することが人間として生きる醍醐味だ。

そこに自らの私利私欲を得ようなどという発想は、本来根からも必要ない。
そうした人間脳による発想をした結果、
志を忘れて成長をやめてしまったり、
人と差をつけようとするから足下を救われるのだ。

自分だけ、もしくは自分の家族だけが良い思いをしたいなどという考えが己の脳からいなくなるまで、苦しみ続けていく覚悟も必要だろう。

戦後、
「感性」というものを無視しきってきた日本。

いや、
これは米国の思惑で仕組まれたものであるが、
詳細は割愛する。

教育によって、食事によって、生活様式の変化によって、片っ端から潰されてきた日本人の感性。

現代の日本人の集団意識が低過ぎる。
これは、GDPに比例していると常々思う。

数十年の時を経てここまで落ちぶれたか、日本人よ。

農家が苦しみ
自殺者が増え
精神病が増え
他国の不要なものを買わされても
まだ氣がつかぬか。

日本に転生が多いわたしは、悔しくて仕方がない。
戦後、日本人は日本人であることを徹底的に忘れてしまった。

しかも、それに氣付くこともできないほど鈍り切った感性だ。

見事なまでの腑抜けとはこのことよ。

本来、
日本人は生き方、考え方そのものがスピリチュアル(精神性)を伴っている民族であり、
世界トップクラスの感性を誇っているのだ。

楠木正成の英雄っぷりに惚れて涙が出る日本人が、今どれだけ残っているのだろうか。

坂本龍馬が語った「今一度、日本を洗濯したく候」という真意について、真剣に考えたことのある日本人は、今どれだけ残っているのだろうか。

熱くなったが、話を元に戻そうと思う。

色彩感覚と日本人は、
切っても切り離せない関係だ。

日本は、どうしたって海外よりも繊細になってしまう。

四季折々に出会える花が多種多様であり、
温度や湿度が繊細なのだ。

葉の形に至るまで、海外に比べて細やかで繊細だと述べた学者がいたっけな。

✴︎SENSAI✴︎

この言葉がいつか海外で使われていただきたい。

まずは日本人の自己肯定感を上げることが不可欠だ。
自尊心を取り戻して自立した人間は、他者の自尊心を呼び起こす力をもつ。

自己愛から他者愛、自然愛、地域愛、日本への愛、世界への愛へと広げていくことが可能だ。

さらには、
感性を取り戻し、互いの良さを認め合い、
開眼する日本人が増える日が楽しみで仕方ない。

わたしは千葉県船橋市から始めようと思う。
ここに述べた生き方を体現していくという決意を表する。

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