引き算の概念③〜日本人が本質に立ち帰ると幸せがわかる〜
あなたは、戦時中に戦地へ赴いた若者たちの手記を読まれたことがあるだろうか。
我が家の書庫に一冊入っている。
読むのに相当なエネルギーを要する。
その文章力たるや凄まじい。
みな文豪になれる域だ。
読者諸君は、戦前の日本人の伝統的な子育てが今と全く異なることを知っているだろうか。
渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)では、
江戸末期に来日した欧米人たちの多くが、
日本は「子どもの楽園」と表現し、
「世界の中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子どもに如くものはない」
「日本の子どもほど行儀よく親切な子どもはいない」
とある。
戦後、日本の教育は地に落ちた。
日本の大人が変わってしまったのだ。
さて、ここから日本人が本質を見失っている要因を紐解いていきたい。
一言に尽きる。
日本人の失われたアイデンティティが要因だ。
それは、
日本人の自尊心の低さを招いた。
ここからは持論である。
次のことをわたくしは自分に問う。
嫉妬深い人間か
傲慢な人間か
人生がうまくいっていないと感じるならば
どちらかに当てはまる。
無意識下で嫉妬していないか
無意識下で人を下に見ていないか
一度自分を見つめ倒すと氣がつく。
それが人間の心理だと、
当たり前の人間の考え方だと提唱している学者がいるようだが、論外だ。
その心理をかなぐり捨てなければ、真の幸せには辿り着かない。
仏陀は言った。
「人のしたことと、していないことを見ずに、
自分のしたことと、していないことを見なさい。」
本質はシンプルだ。
この言葉を体現できて初めて大人といえるのではないか。
①嫉妬して人を嫌い自分を嫌う
→自尊心の低下
②傲慢化して人と自分の存在を分離する
→自尊心の低下
②に至っては、一見自尊心が高いと捉えられる。
しかしながら、人と自分との差別化は己の孤独を呼ぶ。
つまり、自尊心の低さを人との差別化で上塗りして隠している状態である。
嫉妬する自分
人を下に見ている自分
というものを直視して、
その意識を乗り越える覚悟と
勇氣をもって人生を歩めば、
人間は飛躍的に成長できる。
ではなぜそう思ってしまう自分がいるのか。
スピリチュアルにのめり込んでも
量子力学や脳科学を学んでも
分からないままわたしは苦しんだ過去がある。
結論。
あなたの意識を歪ませた根本的な原因。
それは、不安や孤独や絶望といった歪んだ自我を生み出し続けて来たもの。
あなたが自分自身に価値がないと繰り返し思わせ、やる氣を削がれて来たもの。
それは、
子ども時代の
両親や周りにいた大人の歪んだエゴだ。
抜け出すには、
賢くて優しい大人のモデルを探して会いに行くか、
賢くて優しい大人のモデルの思考をトレースして行動に移し、
脳を書き換える必要がある。
「意志」と「意識」と「行動」の力を使って、
自分を切り替えるのだ。
もののけ姫に出てくる
「エボシ」とたたらばで威勢よく働いていた女性を
わたしは賢くて優しい大人だと思う。
日本女性があの域に達すればこわいものなしだ。
平塚らいてうが、
「原始、女性は太陽であった。」
と明言した凛々しさと清々しさに胸を打たれる。
戦後、日本人が失った心の灯を復活させようではないか。
日本人である自分を誇らしく思って生きよう。
己の命をかけ、名を馳せるまで情熱をもって突き進んだ幕末の獅子たち。
名を残さずとも、日本人の心を強靭な精神力をもってして保ち続け、情熱を実行力に変えた日本人がかつて存在した。
その意志を引き継ぎたい。
この肉体をもって生まれた意味や意義を自らに刻みつけながら、
真善美を体現したい。
この日本で本質を体現したい。
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