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第15週月曜日 歴史上の女性 山路 ふみ子

第15週目の歴史上の女性は 女優・実業家・社会事業家の山路ふみ子さん

です。

山路 ふみ子(やまじ ふみこ)さんは1912年〈明治45年〉3月13日 大久保 ふみ子(おおくぼ ふみこ)さんとして兵庫県神戸市長田区にお生まれになりました。

山路さんは1930年、森高等女学校(現・神戸学院大学附属高等学校)在学中に神戸新聞社主催のミス神戸に選出され、同年、大阪松竹楽劇部を経て、帝国キネマ演芸株式会社に新人幹部候補生として入社され、『時代の反抗児』で映画デビューを飾られます。

1930年代に個人で自家用車を保有し、運転免許を取得して自ら車を運転をしていた、数少ない日本人女性ドライバーの一人であられたそうです。


山路ふみ子という芸名の由来は、菊池寛の小説『結婚二重奏』のヒロインの名を菊池本人から貰ったものだそうです。

帝国キネマから日活へ移籍後、新興キネマに復帰し、主演女優として多くの作品に出演し、 数本の映画主題歌も本人でレコーディングされています。

また日産自動車、ウテナ化粧品等の広告モデルも務められました。


戦後、『暁の大地に咲く』(1949年)への映画出演を最後に映画界を引退しされます。

そしてお母さんと共に東京都港区芝公園で料亭「山路」を経営する実業家に転身されます。


1964年に母の目の病気を機に料亭を廃業した後に、当時の日本の医療器具では母の目の病気を完治させることが不可能であったことなどから、その土地と建物を売却して得た私財の内、半分以上にあたる一億円を基金として擲ち、「日本の科学の発展の為に寄与する。」という目的で「山路ふみ子自然科学振興財団」を設立して助成活動を開始し、今度は社会事業家として名前が世に知られるようになりました。

1963年に東京都善行銅賞受賞、同年、「中央公論・婦人公論」最高殊勲夫人に推されました。

1972年に藍綬褒章を受章されています。

また、1976年5月に映画人を育成して、功績のあった人を賞賛すること、ならびに教育・文化・福祉事業への支援活動を行うために、私財を投げ打って「山路ふみ子文化財団」を設立されています。

その一人が荻上直子さんです。




その後も1989年災害遺児を対象に山路ふみ子奨学基金、1991年ネパールに女性のための職能施設を創設され、1993年公益信託山路ふみ子専門看護教育助成基金を設立するなど、私財を投じて公益事業の助成に尽くされました。


1994年にネパール国ゴルカ・ダクシン・バフ(外国人最高位勲章)を受賞されています。


2004年12月6日 に亡くなられています。




出演作品であるこのdvdは今でも購入できます。

またこの自伝がを読むことが出来ます。

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めぐめぐがすごいと思う山路ふみ子さんのこと

1映画女優として素晴らしいキャリアを積まれ、また個人で自家用車を保有し、運転免許を取得して自ら車を運転をするというかなり新しいことに取り組まれる素敵な方であったということ。

2映画女優を引退されてからは「日本の科学の発展の為に寄与する。」という目的で「山路ふみ子自然科学振興財団」を設立して助成活動を開始し、それ以外の多くの分野でたくさんの財団を作られ多くの女性を支援されたこと。

3その活動は日本にとどまらず、世界にわたり、現在も多くの人々がこの奨学金、研究助成金を得て素晴らしい活動を行われていること。




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