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第14週 水曜日 教育者 吉岡彌生


14人目の教育者は日本の女子教育の基礎を作られた方の一人吉岡彌生さんです。


吉岡 彌生(よしおか やよい)さんは 鷲山(わしやま)彌生さんとして 1871年4月29日〈明治4年3月10日〉 遠江国城東郡土方村(現:静岡県掛川市)に、漢方医・鷲山養齋氏の娘としてお生まれになりました。

学校法人東京女子医科大学前理事長吉岡博光氏は孫。吉岡と同じく土方村出身の東京学芸大学学長鷲山恭彦氏は、本家筋にあたるります。

1889年(明治22年)に上京し、済生学舎(現:日本医科大学)に入学されました。


当時の済生学舎は、入学試験がなく女子も入学できる医術開業試験(現:医師国家試験)のための最も古い私立医学校であったそうです。

1892年(明治25年)、内務省医術開業試験に合格し、日本で27人目の女医となられます。

1895年(明治28年)に再上京し、昼間は開業をしながら夜はドイツ語を教える私塾・東京至誠学院に通学されます。

同年10月に、同学院院長の吉岡荒太氏と結婚されます。


1900年(明治33年)、済生学舎が女性の入学を拒否したことを知り、同年12月5日、日本初の女医養成機関として東京女医学校を設立されます。



学校は1912年(明治45年)に東京女子医学専門学校に昇格、1920年(大正9年)に文部省指定校となり、卒業生は無試験で医師資格が取れるようにななりました。


吉岡彌生さんは太平洋戦争中、「婦人国策委員第一号」他、愛国婦人会評議員、大日本連合女子青年団長、大日本青年団顧問、大日本婦人会顧問など要職に就かれ、多数の青年・婦人の戦争協力を指導されました。空襲後、疎開されます。

戦後、東京に戻られ学校の再建に取り組まれますがが、1947年(昭和22年)〜1951年(昭和26年)教職追放ならびに公職追放されます。


1955年(昭和30年)危篤に際し、勲四等宝冠章を賜られます。

しかし、叙勲の知らせで奮起し、奇跡的に回復されました。

1959年(昭和34年)5月22日、世田谷区の自宅で死去されます。

遺言により遺体は解剖に付されたそうですが

死後、正五位勲二等瑞宝章を賜られます。



東京女子医科大学の河田町キャンパスには、吉岡の像が建立されており、吉岡の名を冠した彌生記念講堂が設置されている。また、掛川市の吉岡彌生記念館や東京女子医科大学の吉岡彌生記念室などの施設では、吉岡の資料を収集、展示している。

家族
学校法人東京女子医科大学前理事長吉岡博光氏は孫。吉岡と同じく土方村出身の東京学芸大学学長鷲山恭彦氏は、本家筋にあたる。


吉岡彌生さんは以下の栄典を受けておられます。


大正13年(1924年) - 勲六等瑞宝章。
昭和15年(1940年)- 勲五等瑞宝章。
昭和30年(1955年) - 勲四等宝冠章。
昭和34年(1959年) - 勲二等瑞宝章。
昭和34年(1959年) - 正五位。


吉岡彌生さんには以下の著作があります。

単著
『和文独訳 独逸作文独修』誠之堂、1900年1月。NDLJP:869514。
『婦人の衛生』田中玲瓏編、明治出版社、1912年10月。NDLJP:935491。
『家庭の衛生』婦人文庫刊行会〈家庭文庫〉、1915年12月。
『家庭衛生』上笙一郎・山崎朋子編纂、クレス出版〈家庭文庫〉、2006年7月。ISBN 9784877333263。
『家庭看護の栞』箒文社、1916年10月。
『日常衛生 若き婦人の心得』泰山房、1917年6月。NDLJP:934456。
『結婚より育児まで』東盛堂、1919年1月。
『家庭衛生 婦人一生の心得』日新閣、1919年9月。
『私の実験したる安産と育児』丁未出版社、1921年4月。NDLJP:934511。
『安産と育児』丁未出版社、1930年1月、増補新版。NDLJP:1048765。
『家庭に於ける看護の知識』東盛堂、1925年10月。NDLJP:935426。
『女医の将来と其使命』金原商店〈臨牀医学講座 特輯号〉、1936年1月。NDLJP:1074830。
『来るものゝ為に』相模書房、1937年5月。
『母の教育 姙娠より育児まで』富文館書店、1938年10月。NDLJP:1054919。
『母の教育 姙娠より育児まで』国民書院、1940年10月。NDLJP:1054918。



『姙娠と安産の心得』婦女界社、1939年7月。
『女性の出発』至玄社、1941年5月。NDLJP:1276750。
『婦人に与ふ』報道出版社、1943年1月。NDLJP:1276752。
『婦人に与ふ』大空社〈叢書女性論 42〉、1997年3月。ISBN 9784756802019。
『この十年間 続吉岡弥生伝』学風書院、1952年3月。
『愛と至誠に生きる 女医吉岡弥生の手紙』酒井シヅ編、NTT出版、2005年5月。ISBN 9784757141179。
共著
山脇房子、嘉悦孝子、吉岡弥生『処女より主婦になる迄』日比書院、1922年4月。
山脇房子、吉岡弥生、嘉悦孝子『若き女子の為めに』処女会中央部編、日比書院、1926年10月。
選集
『来るものゝ為に』杢杢舎〈吉岡弥生選集 第1巻〉、2000年12月、編集復刻版。
『女性の出発』杢杢舎〈吉岡弥生選集 第2巻〉、2000年12月、編集復刻版。
『女医編』杢杢舎〈吉岡弥生選集 第3巻〉、2000年12月、編集復刻版。
『随想編 1』杢杢舎〈吉岡弥生選集 第4巻〉、2000年12月、編集復刻版。
『随想編 2』杢杢舎〈吉岡弥生選集 第5巻〉、2000年12月、編集復刻版。
『近況随筆』杢杢舎〈吉岡弥生選集 第6巻〉、2000年12月、編集復刻版。

たくさん伝記がありますがまだ買えるのは以下の本のようです。


















めぐめぐが思う吉岡彌生さんのすごいところ

1男性に混じって医学を学ばれ日本で29人目のおいしゃさんになられたこと。

2その後女性が医者になれるように学校を作られ、その学校が認められるまでものすごく尽くされたこと。

3女性はこう子どもを育てるべきとの形を示して、日本の女性の生き方を本などを通して多くの青年に伝えられたこと。





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