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はじめに

今週の教育者は日本の教育者で戸板学園の創立者の戸板関子さんです。
津田梅子さん(津田塾大学創立者)、安井てつさん(東京女子大学創立者)、成瀬仁蔵氏(日本女子大学創立者)、吉岡弥生さん(東京女子医科大学創立者)、横井玉子さん(女子美術大学創立者)、鳩山春子さん(共立女子大学創立者)などと並ぶ日本の女子高等教育の基盤づくりに活躍した「明治クリスチャン教育家」のうちの一人です。

お生まれ

戸坂関子さんは明治2年4月19日(1869年5月30日)仙台でお生まれになりました。

おじいさんは仙台藩士で天文学者・数学者の戸坂一左衛門氏、お父さんは漢学者の戸坂善内氏という代々学者の家系にお生まれになりました。

生まれた年にお父さんを亡くされ、お母さんの手で育てられています。

教員に

関子さんは仙台の松操女学校で学び、18歳で小学校教員となります。

松操女学校は女子に向けた裁縫塾「松操私塾」が前身となって創立された学校でした。

学問や裁縫の実学を学んだ関子さんは、さらに知識を磨くべく上京。日本で最初の女子教育を行ったフェリス和英女学校で英語を学びながら、東洋英和女学校、東京女学館で裁縫技術を教えられます。


明治35年(1902年)に戸板裁縫女学校を創立されます。

戸板裁縫女学校

それまで裁縫の教育は一対一で教える形式が一般的でしたが、戸板裁縫女学校は西洋式の教育法から考案した「分解式一斉教授法」での合理的な授業によって裁縫技術のスピード化を図り、生徒も増え高い評価を受けました。


2 年後に現在の戸板女子短期大学がある芝2 丁目に移転しています。

1916年には、現在の三田国際学園中学校・高等学校の前身となる、三田高等女学校も開校しました。

学校設立にあたり、関子さんは「社会に、そして人類に貢献できる人材の育成」を教育理念として掲げられます。

そして「知好楽」という指導理念のもと、職業に必要な能力を育成するとともに、女性の人格形成と自立を目指しました。

「知好楽」とは「論語」の一節で、「人生におけるすべてのことは知ることから始め、それを好きになり、最後に楽しむ境地に至ったときこそ、初めて自分のものになり、豊かなものとなる」という想いが込められているそうです。

1920年のスぺイン風邪大流行の時には今のように粗悪なマスクが売られたそうですが、戸板裁縫女学校では学生に正しい家庭で作れるマスクの作り方を教えていたという記事があるそうです。

警視庁は、簡易なマスクの作り方をさっそく考案して配布。「読売」もさきの記事(1920年1月18日朝刊4面)で、「こんなもの[粗悪品]は金銭を出して求めるまでもなく、家庭で作ればよいので、戸板裁縫女学校では、各自に作らせて用いております」として、マスクの作り方を詳しく取り上げた。


戸坂関子さんの私生活


私生活では明治26年(1893年)に鳥居坂教会の武田芳三郎牧師と結婚し家庭に入られますが、教育への情熱から夫と離れて戸板姓に戻り、学校創立に至ったそうです。後に和解して、芳三郎が戸板家に入籍しているそうです。

娘の青木あささんも教育者で、戸板学園理事長を務めておられます。

もう一人の娘、山口ひささんの結婚にあたって、男子が生まれたら戸板姓を継がせる約束を交わしていたそうです。

その子が演劇評論家・作家の戸板康二氏でいらっしゃるそうです。


敬虔なクリスチャンでもあったことから、関子さんはキリスト教の信念に基づいて、社会事業や慈善事業、少年少女の感化事業にも取り組んまれました。そうした貢献が認められ、勲六等瑞宝章を受章。

多くの功績を残して、1929年、60歳で病のため亡くなられています。

戸坂関子さんの著書


『新式実用戸板裁縫全書』広文堂書店、1917年があるそうです。


今日の記事はウィキペディア及び以下の記事を参考にしました。





めぐめぐがすごいと思う戸坂関子さんのこと

1勉強され更にそれを磨くために上京され英語を学び、また裁縫教師として活躍されたこと。

2西洋式を取り入れた新しい学校を作り、その学校はどんどん大きくなり、現在も更に進化していること。

3教育の情熱から一時夫と離れるも、その素晴らしさで夫を感化させるほどの教育家としてのパワーを持っておられたこと



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