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第37週 歴史上の人物 寿桂尼

はじめに

今日の歴史上の人物は戦国時代の女性で駿河国の戦国大名・今川氏親の正室の寿桂尼です。


お生まれ

寿桂尼(じゅけいに)は藤原北家、勧修寺流の中御門家(公家)の出自で、父は権大納言中御門宣胤。兄に中御門宣秀、姉(妹とも)は山科言綱の正室・黒木の方がいます。

生まれた年と名前は不明だそうです。

今川氏親の正室になってから

寿桂尼(じゅけいに)が今川氏親に嫁いだ年は、永正5年(1508年)とされてきたそうですが、米原正義氏により永正2年(1505年)とする説が出されているそうです。

寿桂尼(じゅけいに)は結婚後まず最初に吉良義堯室(徳蔵院)を生みます。後に、永正10年(1513年)に長男の氏輝、次男の彦五郎、永正17年(1519年)には五男の義元を出産します。

ただし、氏親の子女については諸説あり、寿桂尼の子として確定しているのは吉良義堯室・中御門宣綱室・今川氏輝・瑞渓院・今川彦五郎の5名であると考えられています。

晩年病床にあった夫の氏親を補佐しており、黒沢脩氏は氏親が十年余の間、病床にあったことから大永6年(1526年)4月に制定された今川氏の分国法である『今川仮名目録』は寿桂尼とその側近が中心となって作成し、氏親の名前で配布したのではないかとしている。

しかし、有光友学は仮名交じり文であるから、今川仮名目録の制定に寿桂尼が関わったとする考えには「相良氏法度」「塵芥集」「結城氏新法度」など多くの分国法も仮名交じり文であるから一概には言えないとする意見もあるそうです。

一方、黒田基樹氏は氏親の病状の深刻になったのは、氏親の花押のある文書が見られなくなる大永3年(1523年)とする一方で、危篤になったのは大永6年5月であるとして、死期を悟った氏親が傍らにいたであろう寿桂尼の協力を得て作成したのではないかと推測しているそうです。


夫・氏親の死後


大永6年(1526年)6月、氏親が病死して息子の氏輝が家督を継いだとき、氏輝はまだ14歳という若年であり、氏輝が16歳になるまでの2年間は、寿桂尼は自身の「歸」(とつぐ)の印判を用いて公的文書を発給し、今川氏の国務を取り仕切ったことが知られています。

この印判は寿桂尼が氏親と結婚する際に、中御門宣胤が寿桂尼に与えたとされているそうです。

このため、彼女は「尼御台(あまみだい)」と呼ばれました。

寿桂尼の発給文書は25通が確認されており、そのうちの13通が氏輝の代に出されたものであるそうです。

また、寿桂尼は甲斐の大名武田晴信とその正室で三条家(公家)の出自である三条の方の縁談を斡旋したという説もあるそうです。

天文5年(1536年)に氏輝、彦五郎が相次いで死去すると、寿桂尼は、出家して栴岳承芳と名乗っていた義元を還俗させ、側室の子である玄広恵探との間で家督争い(花倉の乱)が起こります。

『高白斎記』の記述にある「同心シテ」という文と、次男・彦五郎の死の真相の解釈を巡って、この乱において寿桂尼は実子である義元の側でなく、玄広恵探に与していたという説もあるそうです。

また更にそもそも義元も寿桂尼の実子ではなく側室の子であるとする新説も出されているそうです。

乱を制し、家督を継いだ義元が永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで織田信長に破れて戦死し、孫の氏真が当主となった後も政治に関わっている。

また、北条氏規が今川氏への人質として駿府に送られた際には実の祖母にあたる彼女が預かって養育する形が取られたそうです。

『言継卿記』弘治2年10月2日条には寿桂尼が娘(中御門宣綱室)と孫(北条氏規)を連れて駿河湯山に湯治に出かけたことが記されているそうです。

死去

寿桂尼は今川氏没落の最中の永禄11年(1568年)3月14日に、今川館にて死去します。

戒名は「龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼」。

「死しても今川の守護たらん」という遺命により、今川館の鬼門である東北の方角にあたる自らが開基した龍雲寺(静岡県静岡市葵区沓谷)に埋葬されたそうです。

没年は婚姻の年齢から推測すると80歳代中ごろと考えられています。

龍雲寺の説明板によると、墓所は寺の背後にあって、五輪二基のほか石塔があるが、いずれが寿桂尼の墓であるか定かではないそうです。

寿桂尼の死後、今川氏と武田氏の外交関係は手切となり、同年12月には武田氏による今川領国への侵攻が開始されました(駿河侵攻)。

氏真は駿河を捨て遠江に落ち延びるも翌年に徳川家康に降伏し、戦国大名としての今川氏は滅びることになりました。

寿桂尼を題材にした作品


寿桂尼を主人公とする小説には


永井路子『姫の戦国』(文春文庫)があります。

寿桂尼が登場するテレビドラマには


武田信玄(1988年 NHK大河ドラマ、演:岸田今日子) 作中では1569年の今川家滅亡の際も生存して描かれた。
風林火山(2007年 NHK大河ドラマ、演:藤村志保)
おんな城主 直虎(2017年 NHK大河ドラマ、演:浅丘ルリ子)

があるそうです。


めぐめぐがすごいと思う寿桂尼のこと

1京都から戦国大名の家に嫁いで、多くの子どもを産んでいること。

2夫の死後、子どもが大きくなるまで政治に関わり今川家を守ったこと。

3今川家が亡びる直前まで生きて、戦国時代の真ん中を家族と共に生きてられたこと


北条政子ほど有名ではありませんが、きっとその政治手腕は同じくらいすごかったんだろうなと思います。


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