働きたくないと働きたいの間で

働きたくない。というか、もう何も考えたくない。

仕事と私、がテーマなのに何を言っているのかと思うけれど、これもある意味正直な気持ちだ。

私にとって働くことは、親から経済的に自立することと、人の役に立つことだった。

高校を卒業してそのまま就職して、5年と少し。

親から早く離れたくて就職することを選んだ私は、身体障害のこともあり、就活は難航すると周囲から心配されていたのにもかかわらず、自分でも驚くほどあっさりと就職先を決めて、障害者枠で働き始めた。

働き始めた頃、私は張り切っていた。Wardやexcelなどの資格は持っているし、早く仕事を覚えて戦力になるぞ!と思っていた。

でも、すぐに思うように行かなくなった。

仕事の優先順位がつけられず溜まっていく。ちゃんと見直していれば気づくはずのケアレスミスが多い。ファイリングが出来ず、書類がどこにあるのか分からなくなってしまう。

こんなことが多発した。仕事に行きたくないと思う日も多くあって、体調を崩すこともあった。正直、あまり思い出したくない。

それでも1年目はなんとか乗り越え、2年目になった。

2年目になってもそんなに状況は変わっていなかった。

ミスが多い。書類が整理できない。役に立ちたいと思っているのに、先輩に迷惑をかけてしまう。

そんな2年目の10月に、先輩に決定的な一言を言われるのである。

何のことで怒られていたのかはもう忘れてしまったけれど、

「例えばこの書類、めぐみさん(本当は苗字で呼ばれていた)はファイリングするだけでいいはずなんだけど、それをするために、書類の処理手順を一からやり直さないといけないの?」と言われたのだ。

その通りだ、と思った。それがやりたい!と思った。けれど、それを言われるということは他の人はそれをやらずともファイリングの手順が出来るということだ。私が出来ないことには、なにか理由があるのかもしれない。

そのことに気づいた私は主治医に相談し、知能検査を受けてみることにした。

検査をしてからしばらくして、結果が出て驚いた。私が苦手だと思っていたことが、脳の特性で苦手である、と書いてあったからだ。同時に、私が出来ない人なわけではなかったととても安心した。

検査の結果を職場に持って行き、身体障害によって身体に負担がかかることと合わせて、配慮をお願いした。普段リハビリをしている理学療法士の先生にも職場を訪問してもらって症状を説明してもらい、理解してもらえるようにと思った。検査自体も長時間にわたる上、先生に来てもらうためにはもちろん職場の承諾を貰わなければならない。手続きにも時間がかかるし、その間にも日常を過ごしていかなければならない。その一連の流れはとても辛かったけれど、働く環境が良くなる可能性があるのなら、と思っていた。

結果的に、その年度の3月には先生に来てもらい、翌年度の5月からは時短勤務をする方向で調整をしてもらえることになった。

私はとても嬉しかった。これで少し肩の力を抜いて仕事をすることができる。安心して仕事ができるようになる。仕事をこなす努力は必要だけど、出来ていないことに必要以上に負い目を感じなくて済む。

だが、5月になっても、時短勤務の話は出てこなかった。それどころか4月からは担当業務も増やされていたのである。

当時の上司はとても忙しそうで、それでも人当たりは良かった。実際私が相談をすれば親身に聞いてくれたし、悪い人ではなかったと思う。仕事を増やしたのも、出来るだろうという見込みの上だったかもしれない。
だから、私は強く言うことが出来なかったし、言い続けることで関係が悪化することが不安だった。

結局、時短勤務が実現したのは年明け1月のことだった。

それから3年が経った現在まで、優先順位をつけること、口頭での指示を頭の中に留めて実行することが苦手なため、抱えている業務を一緒に把握して欲しい旨などを伝えてきたが、上手く伝わらず、中々苦しい日々が続いている。休みのことで、なんで体調が悪くないのに取るのか、と言われたこともある。最近やっと、業務把握のためのシートを作ってもらえた。上司も同僚も変わってしまったため、障害の理解も一からやり直さなければならない。
今も、理学療法士の先生にもう一度来てもらえるよう調整しているところだ。

仕事をやりたくないわけでも、えり好みをしたいわけでもない。

今の仕事は、苦手で苦しく感じるものもあるが、愛着を持っているものもある。

だが、その愛着を持っている仕事で、他の人に迷惑をかけるかもしれない(実際、出来ていなくて、まだ?と聞かれることもある)、というのがとても辛いのだ。部署にも長くいるという部類になってきたため、大丈夫だろうと思われることもある。その気持ちが嬉しい反面、とても辛い。

私は人に迷惑をかけるのではなく、役に立ちたいのだ。

お金を貰って仕事をする以上、働く義務を果たしたいのだ。

それを実行するためには、地道に理解を求めていかなければならない。

でも、最近そのことに疲れを感じるようになった。

伝えるにはどうしたらいいのか、次はどこに相談したらいいのか。

そんなことを考えるうち、だんだんと疲れてしまった。

働きたいのに、働くことに疲れている。

役に立ちたいけれど、この場所では限界かもしれない。

でもこの場所にも愛着がある。積み重ねてきた時間がある。

場所を変えるべきなのか、今の場所を変える努力を続けるべきなのか。

私が少しでも社会の役に立つために、どこにいたらいいのだろう。

どういう選択肢を取るにしても、今すぐには変わらない。落ち着いて考えたいと思っているけれど、どうしたらいいかわからない。

会社が安定していることもあって、休んでもいいから、まだ頑張ってみればいいという声もある。

どちらを選ぶかは私しか決められない。

もう嫌だ、やめたい、休みたい、考えたくない。

でも、働きたい。

そんなことをぐるぐる考えながら、きっと休み明けは出勤をしてしまうのだ。

それでまた、悩みながら仕事をするんだろう。どれだけ働きたくない、と言っても、いざ働かないと働かない罪悪感でいっぱいになってしまうんだろうな、と思っている。

#もぐら会

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