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走れ、母のお腹を蹴っていたその足で。
久しぶりにゆったりと読書中
心の奥底にまでグッと来る広告を見つけてしまい、誰もいない公共スペースで不覚にも涙を流している。
![](https://assets.st-note.com/img/1712894084814-GPeftNGVam.jpg?width=1200)
ただ通り過ぎてしまうにはあまりに惜しい、
美しい言葉が綴られていた。
走れ、母のお腹を蹴っていたその足で。
走れ、はじめて立って父と母を喜ばせたその足で。
走れ、公園をよちよち歩きで駆け回ったその足で。
走れ、毎日学校に通ったその足で。
走れ、鬼ごっこで逃げ回ったその足で。
走れ、友達とケンカしてしまったその足で。
走れ、何度も転んで擦りむいたその足で。
走れ、初デートに震えたその足で。
走れ、廊下を走って怒られたその足で。
走れ、敗北が刻み込まれたその足で。
走れ、たすきを待つその足で。
足跡の数だけ、強くなってきた。
一歩一歩が、今日という日に続いている。
いま、生きてきたすべてが、走りになる。
走れ、走れ、走れ。
サッポロビールは、箱根駅伝を応援しています。
“じぶんの頭と心を使って想像してもらう。
それはある意味、広告に「参加」してもらうことなのだと思いま す。
この広告では、選手が送ってきた足の人生を追体験してもらうことで、今まさに、人生を懸けて箱根 に挑もうとする選手の気持ちに「参加」してもらえないかと考えました。
読み終えると選手を見守る側の目線になっている。そんな伝わり方ができていればうれしいです”
いやあ、素敵。
箱根駅伝が全く違ったものにみえる。
以前から、出先で惹かれるコピーを見つけると立ち止まらずにはいられない性分で、LUMINEとか毎回ガツンとやられる。
広告の前で一瞬立ち尽くすことが、ある。
なんでこんなに惹きつけるんだろうと考えてみたときに、今日出会った本の冒頭にドンピシャな序文があったので引用させていただく。
あなたを振り向かせる。その欲望を、むきだしにした言葉たち
広告は、しょせん広告です。
詩や短歌とは違い、自らの熱や叫びのみを込めることはできない。 クライアントがいて、商品を売るため、ブランドの認知を高めるため 私たちは依頼を受けて文章を書きます。
だからこそ、飛び越えることができる。
範囲を区切るからこそ、制限があるからこそ、見つけられる表現や生まれてくる言葉があります。
もちろん、アイデアが出ず、もがきながら書くことがほとんどですが、同時にとても楽しく、爽快な作業でもあるから不思議です。
先ほど「自らの熱や叫びのみを書くことはできない」と記しましたが、 そうは言ってもAIが書くわけではありません。
個々の性格、好き嫌い、見たことや聞いたこと、いくつもの判断基準。そういった人生そのものがその文章には反映されます。
「無視される」という前提を抱いた広告だからこそ、 創意工夫を盛り込み、どうにか人々を振り向かせたい、立ち止まって、1文字でもいいので読んでください、と願う。
私たちコピーライターはその目的のため、
今日も商品と言葉に向かいます。
さすがコピーライター
的確な言葉選びで、広告の鋭い価値をついている。
![](https://assets.st-note.com/img/1712895220716-a3DTOAympt.jpg?width=1200)
さいごにもう1点、響いたコピーを載せます。
その時、観衆は妙なものを 目の当たりにしました。
なんと一人の選手が、 両手を地面についたのです。
“イノベーションは、このような形で 突如現れる”
“今やあたりまえと思われているクラウチングスタートは、 第1回オリンピック競技大会 (1896/アテネ)で、ある一人の選手が登場させました。
彼は、その革新的な走法によって金メダルを獲得しました。
このようにイノベーションは世の中に突如現れ、最初は奇異に見えることがあります。
しかし、それが新たな常識へと変わり、 世の中のあたりまえになっていくのです”
今ではあたりまえのように世の中に受け入れられている「クラウチン グスタート」がオリンピックに初登場した瞬間を取り上げたものだ。
周囲の人々が物珍しそうに眺める中、選手は気 にせず地面に両手をつけ、そして優勝という結果を出した。
摩擦を恐れず、挑戦と工夫を続けることでしか、 イノベーションは生み出せない。
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