「アナスタシア八巻『新しい文明』と統一協会の結婚観」
『アナスタシア』シリーズは、
1996年に本国ロシアで、
一巻が出版され、十巻まで出ています。
日本では、年に一冊ずつしか出版されないので、ちょっともどかしい。
やっと8巻か、という感じ。
´Д`)ヤット‥
でも、そういうタイミングなのかなとも感じています。
国民が理解出来るタイミングなのかな。
8巻は、(上)(下)とあるようで、
8-1となっています。
「新しい文明」
今、この時にふさわしい副題のような気がします。
p.158〜の
「私の天使よ、おまえを誕生させよう」
という章の話
p.172〜
『あなたは子どもに、あなたの、もしくは私たちの肉体の快楽の結果として、つまりおまけとして生まれてきてほしいと思う?
それとも、二人の愛の結晶として強く望まれた結果、生まれてきてほしいと思う?』
p.175〜
『まず、私たちは自分の身体を完全に正常な状態にしなきゃいけないわ。私たちは今から、煙草も吸わないし、お酒も飲まない。』
この章を読んでいたら、
なんだか遠い昔の事を思い出してしまいました。
「統一教会」を信じていた頃のこと
統一教会
今は名称を変更しているそうですけど、
私が所属していた頃は、
統一教会でしたので、
そう呼ばさせてもらいます。
(キッパリ)
信者になると
酒も煙草も、異性とのお付き合いも禁止されます。
結婚して、子供を宿すまで、
身体を浄めておく。
性行為も、快楽を求めると言うよりか、
二世を授かるため、
というのが目的とされています。
結婚相手を教祖に選んでもらうんですが、
Σ(。Д゜)マジカヨ!?
相手が決まったあとも、
聖別期間などというものがあって、
直ぐには家庭を持てないんです。
最低40日
三年とか、それ以上の人も。
結婚相手なのに
ずっとオアズケ状態
だから信じていた頃は、
婚前交渉や、できちゃった結婚なんかを軽蔑さえしていました。
肉体の快楽の結果として、
できちゃったから、
仕方なく結婚する。
そんなの順番が違うし、
聖い子が生まれるはずがない。
本気でそう思ってました。
アナスタシアを読みながら、
統一教会が言っていたことは、
あながち間違ってなかったのかな、
なんて思ったわけです。
肉体の快楽の結果として、
おまけとして子供を授かるのと、
愛し合う夫婦が自分たちの子供を授かるために、身体を浄め、
お互いを産まれてくる子供の父として、母として接した結果、
子供を授かるのとでは、
多分差があるように感じます。
別にできちゃった結婚を批判したいわけじゃないんです。
ただアナスタシアを読んでいたら、
そう言えば・・・
って、思い出しただけ。
あと、統一教会では、
生まれてきた子供は、神様からの預かり物として育てるように言われました。
預かっているだけなんだと。
決して自分たち夫婦に所有物では無いんだと。
その考え方も、間違ってはないんだろうなって、感じます。