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「育児の祈り」・愛と祈りによって「わたし」にもどる。


『蓮くん、きょう、おやすみする!』

という朝。(わたしも、蓮さんの咳が朝晩はでやすく、きょうは水曜日だから、お休みでもいいかなと、おもっていた矢先。笑)

たまたま、みていた記事の中に

「親の祈り」というものがあると

初めて知りました。(検索すると出てきます)


わたしは、「親の祈り」を読んだ後で


もっと、

親と子が1つに戻っている祈りを

受け取ってみたいなと感じました。


なぜなら、

「あなたは、わたし」であること

その真理を、感じていたいからです。



例えば・・・
「シェア」と言う「概念」には、
分離感があります。
それを直視したときの私は
唖然としました。
なんと、まったく、
シェアになってなかったのか、と。笑


もっと1つであるところを
受け取りたいです。

シェアという言葉を

使っていたとしても。


「親の祈り」も同じく

その言葉の奥にある

光だけを受け取りたいです。


子ども、と言う  特別性 を
とりさらったところでは
わたしを救うために来てくださった
「救い主」だからです。

これらを踏まえて、
元のお祈りをベースに、
受け取りながら表現した、
「育自の祈り」です。


本来の自己という、わたしたちを

受け入れること、

それを育むための、祈り です。



神、あなたが創造されたままの
愛である わたしを、
思い出させてください。


子どもの言うこと、行動、表現することの
その奥にある
あなたの愛をうけとり、


子どもの疑問に
あなたの愛からの答えを
ともに受け取ります。


子どもからの愛を通して
神から注がれている愛を
理解し
あなたのさせようとすることを
している、わたしに
もどしてください。


子どもの失敗を、戸惑ったり、
怒ったりする代わりに
その間違いを通り過ぎられるよう、
肉眼を閉じて
あなたとみる、
心の眼を開かせてください。


本当のことを
いま、時間と空間を超えたところで
感じさせてください。
心に、
みさせてください。


子どもの内側にある、
静かな光に
わたしが祝福されていることを
思い出せますように。


受け取った光が、
全世界に延長することを
延長していたことを
心で見られますように。


わたしの作ってきた
判断や習慣で
子どもをしばること、
愛を遮ることをせずに、


愛が 見せてくれることを
わたしが、気づけますように。


感情的に叱る時、
わたしは愛である
自分を見失っています。

愛とともに、注意をできますよう
助けてください。

わたしの誤りをも
愛に戻せるよう
助けてください。


子どもの心からの願いを
見逃すことのないよう、
また、心からの願いでないものは
共に辞められるよう
あなたの力を貸してください。


どうぞ、子どもと
自分の足りなさ、不完全さをみる心を
取り除いてください。
そして、完璧な光を
みさせてください。


不平不満ではなく、
その奥にある、あなたの愛だけを
使って
ここにある、奇跡を受け取り
分かち合わせてください。


わたしが間違えた時は、
子どもたちに
あやまる勇気を与えてください。

いつも、神と共にいる、
穏やかな広い心を
与えてください。


子どもと一緒に
神の愛の中で
いま、安らげますように。


子どもが心から、
大いなる源である、
愛への信頼と喜びのもと
愛を生きること
『わたし』を消し去ったところで
それを
本来のわたしとともに
観る者、あなたを
讃える者、とさせてください。


子どもも、わたしも、
神の愛の中でいきて
愛される中で、
愛を延長させていることに目覚め、
あらゆることが
完璧にあなたの光ですすめられ、
それをみつめながら、
周りの方々、世界を
祝福することができますように。


Amen.



祈りの中にいたら

5歳になる蓮さんは、自分でやる!と

パンを焼き、大好きなハチミツトーストを

作っていました。

お口繊細さんだとみていたら

最近は辛子明太子ごはん🍚を

パクパクたべていました。

美味しさひろがる…!

2歳の花音ちゃんは、ごちそーさま、と

お皿を下げてくれました。

ありがたいです。:)

(さらに、大好きなお菓子を食べていいよ、と

持ってきました。それ、食べすぎて、

いらないからくれるんでしょ。というと

うふふ、そぉよ、

と正直に言ってくれた花音ちゃんです。)


今日も、奇跡の1日を。:)

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